第30話 『回想 勇敢だった僕の友達』

 自室に戻り、ベッドに腰掛けて息をつく。


「……何だったんだ、さっきのは?」

 ジェノは頭を振ると、静かに深く呼吸をする。

 そして、気持ちが落ち着くと、先程のことは忘れようと思い、考えないことにした。


 すると、次に浮かんでくるのは、やはり今回の事件のことだった。


「俺程度の浅知恵では、上手くいかないな」


 事件に携わった皆が納得できる結末などないのは知っている。だが、もう少し事を穏便に運べなかったのだろうかと考えずにはいられない。


「あの依頼を受けたりせずに、自警団に協力してあの化け物を倒す。そして、コウのことは、コウの家族に任せる。それが、おそらく一番波風が立たなかったんだろうがな」

 それは分かっている。だが、ジェノはそれを選べなかった。


 レイの言葉ではないが、客観的に自分の行動を思い出してみると、本当に何様のつもりだろうとも思ってしまう。


「だが、それでも、あんな思いは、もう誰にもさせたくなかった……」


 ジェノは静かに目を閉じる。

 夢に見ることはなくなったが、あの傷は今も残っている。

 もう血を流すことはなくても、思い出すと痛むのだ。幼き日の傷跡が。







 暗い森の中を、幼いジェノは走っていた。


 いつもならば歩きなれた道のはずなのに、辺りが薄暗いとこんなにも勝手が違う。

 それに、まだ春になったばかりで、日が落ちるにつれてだんだん気温も低下していくのが分かり、ジェノは一層不安に押しつぶされそうになる。

 もしも今、友達が一緒にいてくれなければ、ジェノは怖くて動けなくなってしまうところだった。


「でも、早く帽子を見つけないと。真っ暗になったら帰れなくなってしまう。ごめんね、ロウ。お腹すいたよね? 帽子を見つけたら、すぐに帰ってご飯にしてもらうから」

 ジェノは自分の懐にいる真っ白な猫に声をかけて、彼の頭を撫でる。

 そうすると、ロウは嬉しそうに鳴き、それを聞いて、ジェノも少し気持ちが落ち着く。


 ロウは、この白くて可愛らしい猫は、ジェノの一番の友達だ。

 物心ついた頃からいつも一緒に遊んで、食事も眠るときも、いつもそばにいてくれる親友。

 人間ではなくても、ジェノにとってはかけがえのない存在なのだ。

 

 そう、大切な存在だ。

 自分にこんな酷いことをする人間より、ずっと! 



 夜に森に入ることの危険性は、子供でも知っている。けれど、ジェノには無理をしてでも森に入らなければいけない訳があった。


 その訳とは、至極単純で、自分の大切な帽子を取り戻すためだった。



 街に遊びに来ていたジェノに、同年代のいじめっ子が悪戯をして、彼の大切な帽子を奪って逃げたのだ。


 ジェノは時間がかかったが、何とかいじめっ子を見つけ出し、帽子を返すように懇願したのだが、そのいじめっ子は悪びれた様子もなく、


「へっ、あの帽子は、森のいつもの遊び場の木に掛けてきたぜ。だけど、もうすぐ日が沈む。臆病なお前には、今から取りに行くことなんてできねぇだろう」


 そう言い、更にジェノの頭を思い切りゲンコツで叩いて、再び逃げていってしまった。


 頭を襲う痛みに、ジェノは涙を瞳いっぱいに溜めたが、帽子のことが何より気がかりで、彼は無謀にも愛猫のロウと一緒に、こうして森に入ってしまったのだ。


 あの帽子は、ペントが、ジェノの母親代わりの女性が毛糸を編んで一生懸命作ってくれた大切なもの。それをなくしたなんて知ったら、ペントが悲しんでしまう。


 その一心で、ジェノはロウと一緒に森を駆け進む。


 何とかまだ日が沈み切る前にいつもの広場にたどり着くことができた。そして、目的の帽子も発見した。幸い、穴なども空いていなかった。


「よかった」

 ジェノは安堵し、帽子を被る。


「ロウ、後は帰るだけだから」

 ジェノはロウに話しかけて、すぐさま来た道を引き返す。


 もう、日が沈みきるまで時間がない。真っ暗になったら帰れなくなってしまう。

 ジェノは懸命に走る。


 息が切れるのも構わずに走ったことが功を奏し、ジェノは日が沈み切る前に森の入口まで戻ってくることができた。


 街の出入り口の松明も見える。

 こっそりと城壁の小さな穴を通り抜けて街の外に出たことを怒られるだろうけれど、衛兵さんに事情を話せば、街に入れてくれるはずだ。


「……よかった。もう大丈夫だよ、ロウ」

 その事に安堵し、ジェノは少しだけ立ち止まって息を整える。そして、それから歩き出そうとした。だが、その瞬間。ジェノは何かを背中に感じた。


 慌ててジェノが振り返ると、そこには真っ赤に光る四つの光が浮かんでいた。

 だんだん、その光は近づいてくる。そして、それらが森の木々の影を抜けると、その正体が明らかになった。


 それは目、だった。醜悪としか言いようのない、子供の背丈ほどの二足歩行の化け物の目。


 幼いジェノには、その化け物が何なのかは分からない。だが、目の前の二匹の化け物は、手に錆びた短剣を持っていて、こちらに近づいてくる。明らかな殺気を放って。


「あっ、ああっ……」


 緑の肌に大きく避けた口。歯はボロボロで、口からは引っ切り無しに唾液を垂らしている。

 その化け物の姿を目の当たりにして、ジェノは腰を抜かしてその場に座り込んでしまう。


 もう少し、あともう少しだけ走ることができれば、衛兵が気づいてくれるかもしれないのに。しかし、ジェノはもう恐怖で立ち上がることもできなかった。


「ああっ、兄さん。助けて……」

 ジェノは後ずさりさえできずに、目を閉じて祈る。


 動かなくなったジェノに、緑の肌の化け物達の錆びた刃物が迫る。

 そして、苦悶の声が上がった。


 だが、それはジェノの悲鳴ではない。

 悲鳴を上げたのは、醜悪な化け物の一匹だった。


 ジェノが怖さを堪えながら目を見開くと、自分の目の前に白い猫が立っていた。化け物たちからジェノを守るように、懸命に威嚇の構えをとり、うめき声を上げて。


 さらに先を見ると、ロウが引っ掻いたのだろう。化け物の一匹が片目を押さえている。


「ロウ! 駄目だよ、危ないよ!」

 ジェノは懸命に叫んだが、ロウはジェノの方を振り向くことなく、化け物二匹に向かって駆け出していく。そして、片目を抑える化け物の顔を爪でひっかく。


 その攻撃に、化け物は怯んだ。

 だが、ロウの攻撃はここまでだった。


「ロウ!」

 無傷のもう一匹の化け物が錆びた剣を横に振ると、ロウは真っ白な毛を自分の体から溢れでた鮮血で染めて、力なく地面に倒れ落ちたのだ。


「やっ、止めて! ロウ、ロウ!」

 ジェノは懸命に叫んだが、化け物たちがそれを聞くはずもなく、すでに力を失っていたロウの小さな体を短剣で滅多刺しにしていく。


 そして、ロウはピクリとも動かなくなった。それを確認し、化け物二匹は、ジェノに視線を移す。


「あっ、あああっ。くっ、来るな、来るなぁぁぁぁっ!」

 ジェノの悲鳴が響く。


 そして、彼はあまりの恐怖に意識を失った。




 



 迫ってくる。赤い目が。

 真っ赤な血に濡れた短剣が。

 今にも、この体を突き刺そうと。


「来ないで! 来ないでよ! 兄さん、兄さん、助けて!」

 ジェノは懸命に兄に助けを求める。だが、その声は届かない。


 緑色の肌の化け物が、醜悪な顔に笑みを浮かべて近づいてくる。

 そして、ジェノの前にやって来たそいつらは、ジェノの顔に向かって短剣を突き刺す。




「うっ、うああああああああっ!」

 ジェノは悲鳴を上げて、目を見開いた。

 涙で顔をベチャベチャにして、ジェノは目を覚ましたのだ。


「あっ、あれ? なっ、何で、僕……」

 ジェノは、いつもと同じ自分の部屋のベッドで目を覚ました事に驚く。

 さっきまで、自分は街の外にいたはずなのに。


「ジェノ坊っちゃん! 良かった。目を覚まされたんですね!」

「うわっ!」


 状況を理解できずに居ると、恰幅のいい女性に抱きしめられた。

 この声とぬくもりと匂いを間違えるはずがない。ペントだ。


「良かった。気を失っているだけとは言われたが、心配したぞ、ジェノ」

 そして、いつも聞いている優しい穏やかな声が聞こえた。兄さんの声だ。


「ペント。兄さん。僕は、僕は、いったい……」

 ジェノの言葉に、椅子に座っていたジェノの兄は、立ち上がってジェノの元まで歩いてきた。


「お前が無事で良かった。もしも、私が駆けつけるのが、あと少し遅かったら……」

 ジェノは兄にも抱きしめられ、ようやく自分は助かったのだと理解できた。


「兄さんが、助けてくれたの?」

「ああ。いつまで待っても帰ってこないのを心配して、お前の友達に行方を尋ねたんだ。そうしたら、まさか森の入り口でゴブリンに襲われているなんて……」

「ごぶりん……」

 兄の言うその単語が、あの緑色の化け物のことだと理解したジェノは、奴らにめった刺しにされた友達のことを思い出す。


「兄さん。ロウは? ロウは、何処に居るの?」

 いつもなら、側に寝ていて、ジェノが目を覚ますと真っ先に向かってくる友達の姿が見えない。


「……すまない。私がゴブリンを倒した時には、もう……」

 兄はそう言うと、テーブルの上から白い包みを持ってきて、それをジェノの前で開いた。

 すると、事切れて目を閉じたままの友達の姿が、ジェノの瞳に映る。


 ロウは、ジェノが物心ついた頃にからずっと一緒の大切な友達だった。

 かけがえのない家族だった。


 だが、もうロウは目を覚まさない。

 動けないジェノを守るために、その小さな爪を武器に懸命に戦い、そして命を落としたのだ。


 『死』と言うものが分かっていなかった幼いジェノは、もう命のぬくもりを失ったロウの亡骸をみて、初めてそれを理解したのだった。







「あれから、もう十年か……」

 ジェノは幼い頃の自分を思い出し、そう呟く。


 大切な友人との突然の別れ。

 それは、とても悲しくて辛いものだった。


 けれど、ジェノの苦悩の日々は、その後にこそ始まったのだ。


 ずっと、赤い目の化け物に追われる悪夢を見続けた。そして、その度に目の前で大切な友人が殺され続けていく。


 強くなろうと、剣を学んだ。

 けれど、懸命に努力をして腕を磨こうと、夢の中での自分は無力な子供のままで、化け物にはまるで歯が立たなかった。


 そして、現実で剣の腕を上げる度に後悔するのだ。どうして、あの時に自分は今の力を持っていなかったのだと。


 そんな事は無理なのは分かっている。けれど、時を戻せるのであれば、あの時間に行ってロウを救いたくて堪らなかった。



 そんな願いが、今回のコウの依頼をジェノに受けさせた。


 十二歳の時に、ジェノは兄と一緒に隣町まで行く途中で、ゴブリン五匹に襲われたが、剣術をある程度取得していた彼は、それを兄と一緒に倒した。


 初めて、剣技を使って生き物を殺した。

 その日の夜は体が震えて眠れなかったのを覚えている。

 けれど、それを境に、ゴブリンに追われる夢を見ることはなくなった。


「コウは、ゆっくりと心を癒していくべきだったのかもしれない。だが、もしもあの時の俺と同じ苦しみを味わうのだとしたらと思うと、俺は……」

 こんなことは言い訳にもならない。それは分かっている。だが、抑えられなかった。


「本当に、俺は利己的だ。身勝手だ。自分の過去をあの子供に見て、それを傲慢にも救おうとするなんて……。こんな事をしても、過去は変えられないのに……」


 ジェノは、大きく嘆息し、ベッドに体を預けることにした。


 しばらく、ジェノはそのまま天井を見上げていたが、だんだんそれが歪んでいくのを感じた。

 ただ横になっただけなのに、満腹感と一緒に疲労が込み上げてきたようだ。


 ジェノは、睡魔と戦いながら、何とか掛け布団の間に自分の体を入れる。

 そこで不意に、メルエーナの先程の言葉を思い出した。


『お疲れさまでした、ジェノさん』


 というシンプルな労いの言葉を。


「ああ、そうか。俺は疲れているんだな……」

 ジェノは自分の疲労をようやく自覚することができた。


「そう言えば、イルリアとの約束があったな……。バルネアさんとメルエーナに、何か……」


 そこまで考えたところで、眠りに落ちる。

 過去を思い出して自嘲していたジェノだが、その表情は安らかなものだった。

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