第3話 『遭遇』

 時間を掛けて丁寧に巡回をしたレイ達だったが、結局、件の化け物の手がかりは一切得られなかった。


「今回も、駄目でしたね」

「ああ。腹立たしいことにな……」

 自分たちの詰所が視界に入ってきて、レイは悔しさに拳を手近の壁に叩きつける。


「まぁ、とりあえず詰所に戻って交代しましょう。ジェノ、貴方もそれでいいですよね?」

「ああ。分かった」

 キールの言葉に、ジェノはようやく口を開く。

 無口にもほどがあるだろうと、レイは呆れる。


 結局、何の収穫もないまま、レイ達は詰所に戻り、交代の人間に簡単な報告を済ませた。


 そして仮眠をとるキールと別れて、レイはしぶしぶジェノと共に再び詰所を離れて外に出る。

 ジェノと連れ立って歩くなど嫌で仕方がないのだが、仕方がない。今日はレイ達が「当番」なのだから。


「…………」

 ランプを片手に、会話もなく目的の場所まで足を進める。向かっているのは今日も夕食を食べた料理店<パニヨン>。そこの料理人のバルネアが、厚意でレイたち自警団のために毎晩夜食を作ってくれている。


 だが、女性であるバルネアに夜道を歩かせるわけにはいかない。そうなると当然、誰かが店まで夜食を取りにいかなければならなくなり、それを当番制にしているのだ。


「早いとこ、今回の事件の犯人を捕まえないとな」

 心の内で呟くと、自然とレイの拳に力が入る。


 夕食、そして夜食にとバルネアさんの美味い料理を食べられるのは嬉しいが、それが彼女の負担になっていることは分かっている。だから、絶品な料理を食べても心から満足できない。バルネアさんのことが心配になってしまう。


「……待て」

 不意にジェノが口を開き、停止を促す。「なんだ」と口にしようとして、レイは異変に気が付いた。


 血の臭いがする。これはわきの裏道からだ。


 今歩いている大道には要所に街灯の明かりがともされているが、そこから一本でも道を離れると、明かりは月明りだけになってしまう。だから目ではよく見えない。だが、臭いがする。気配がする。呼吸音がする。そこに何かいる。人間ではない巨大な何かが。


「ジェノ、俺の明かりを持っていろ。そして、薄布をかけて後についてこい」


 レイはジェノにランプを押し付け、静かに腰の剣を抜いた。横目で確認すると、ジェノもランプを片手に剣を抜く。


 音をたてないように、相手に気づかれないよう慎重に、けれどどんな事態にも対処できるように身構えながらそいつに近づく。そしてもう少しで相手に斬りかかれるところまで足を進めたところで、レイは薄布越しのランプのわずかな明かりを頼りに、そいつの姿を確認した。


 巨大な猿と最初の目撃者である子供は説明していたが、なるほど的を射た説明だと思う。しゃがみながら何かをクチャクチャと食べているその後ろ姿は、確かに大きな猿のようだ。けれどその大きさは、自分の想像を超えていた。


 しゃがんでいるだけでレイの腰よりも高い。そして幅もある。立ち上がればおそらく二メートルは超えるだろう。だが、レイはその巨大な猿が手を伸ばす物体を一瞥し、


「照らせ!」


 そうジェノに指示を出すのと同時に巨大猿に斬りかかった。


 布が取り払われたランプの明かりが、闇を照らす。


 突然明かりに晒されて、巨大な猿はビクッと体を硬直させて素早くこちらを振り返ったが、遅い。レイの剣は振り返った巨大猿の体を切り裂いた――はずだった。


 ガツッと、まるで石を斬り付けたかのような音がして、レイの渾身の一撃は、振り返りざまに巨大猿が振り回した腕に当たって止められてしまった。そしてその腕に押されて、後方にふっ飛ばされる。


「くそっ!」


 体勢を崩すことなく着地したのはいいが、巨大猿の腕のあまりの硬さに、剣を握っていた両腕が痺れてしまった。何とか落とさずに済んだが、剣を構えるのがやっとで、すぐに追撃をすることができない。


「なんだ、こいつは……」

 ランプで照らされたそいつの姿を視認し、レイは恐怖を覚えた。


 確かに目の前にいるのは、体が薄茶色い体毛でおおわれている巨大な猿のようだったが、その顔が猿とは大きく異なり、いくつもの目を持つ醜悪な蜘蛛のような顔をしていた。そして、醜いその顔は赤く染まっている。それは、今まで食べていたものの血の色。人間の血の色だ。


 その化け物は、レイたちを睨みつけると奇声を上げてこちらに向かって突進してくる。


「明かりを頼む!」

 後方にいたジェノがその言葉と同時に飛び出し、レイと化け物の間に割り込んでそいつを迎え撃つ。


「剣で防ごうとするな! 半端じゃない硬さと腕力だ!」

 レイは知りえた情報を伝えて、ジェノが地面に置いたランプを確保し、しびれる手をなんとか動かして、化け物を照らす。


 ジェノは突進してきた化け物の体に向かって剣の一撃を放つ。だが、化け物はそうはさせまいと、レイの時と同様に腕でそれを薙ぎ払おうとする。


 ジェノの剣と化け物の腕がぶつかるように見えたが、ジェノは素早くその攻撃を止めて、自身を狙う長い腕を掻い潜って躱して、敵の後方に抜けた。いや、それだけではない。彼は、すれ違いざまに化け物の足に浅くだが一撃を加えていた。


 怒りによるものか痛みによるものかはわからないが、化け物が奇声を上げる。


「ちっ、また強くなっていやがる」

 いけ好かない男が腕を上げていることに苛立ちを覚えるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 レイは化け物の注意がジェノに移っていることを確認すると、感覚の戻ってきた手を動かし、剣を地面に突き刺して、首にかけていた呼笛を鳴らす。まだ詰所からそう離れていない。すぐに応援が駆けつけるはずだ。だが……。


「ジェノ、ほかの連中が来る前に片づけるぞ」

 ランプを地面に置き、レイは両手で剣を構える。


 腕のしびれももう殆どない。ジェノに協力を頼むのは癪だが、戦力には十分なり得る。これ以上犠牲者が出る前にこいつを斃すと心に誓う。


 幸い、ジェノが攻撃をかわして化け物の後方に移動したことで、挟み撃ちの体制になっている。状況は有利だ。


 化け物はきょろきょろとレイとジェノに視線を移し続けたが、やがてジェノに狙いを定め、前傾姿勢を取った。当然、レイに無防備な背中を晒すことになる。


「くたばれ、化け物!」


 その隙を逃すつもりはなかった。レイは全力で化け物の背に剣の一撃を放とうとする。たとえ石のように固かろうと、両断する気持ちで。しかし、


「罠だ! 攻撃をやめろ、レイ!」


 今まで聞いたことがないジェノの大声に、彼は不穏なものを感じて斬りかかろうとしていた体にブレーキをかける。


 次の瞬間、レイの目の前を何かが通り過ぎて行った。そして、路地を区画する石の壁が、轟音とともに崩れ落ちた。


 ……腕だった。


 それは間違いなく化け物の腕だった。だが、その腕は、化け物の左右の腕ではない。背中から突然生えてきた、三本目の腕だった。


「…………」

 あまりのことに言葉が出ない。レイはわずかの間だが呆然としてしまった。そして、その瞬間を狙っていたかのように、化け物が身を翻してレイに向かって突進してくる。


「レイ!」

 ジェノの言葉に我に返る。


 迫る化け物の両腕を、レイは地面に体を転がして、それを寸でのところで通り抜けて躱すことができた。だが、化け物の攻撃はまだ終わっていない。こいつには背中にも腕があるのだ。


 体勢が整わず、無防備なレイの顔めがけて、化け物の背中の腕が迫ってくる。


「……ちくしょう……」

 レイは死を覚悟した。


 しかし、その腕が彼の頭を薙ぎ払うことはなかった。

 化け物の腕は切り落とされたのだ。ジェノの一撃によって。


「惚けるな! 死ぬぞ!」

 ジェノの言葉に、レイは慌てて体制を立て直して立ち上がり、剣を構える。


 だが、背中の腕を切り落とされて絶叫する化け物は、顔だけ振り返ってレイたちを一瞥すると、地面においてあったランプを破壊し、そのまま大道に向かって走り出す。


「逃がすかよ、化け物! ジェノ、残ったランプを持ってついてこい!」

 レイとジェノは急ぎ化け物の後を追って大道に出たが、その時には化け物は、凄まじい跳躍を見せて、民家の屋根に飛び乗っていた。


「待ちやがれ!」

 慌ててそれを追おうとしたが、化け物は住宅街の家の屋根を飛び移って逃げていく。


 全力で追いかけたが、道を歩くことしかできず、そして一つのランプと大道の明かり以外に明かりのない状況では、すぐに追跡は不可能なものになってしまった。


「……完全に捲かれたな。これ以上は追っても無駄だ」

 背後から聞こえた淡々とした声に、レイはゆっくりと足を止めて振り返る。


 自分の全速力に合わせて走り続けていたはずなのだが、ジェノは息を乱していない。こいつは真面目にあの化け物を追っていたのだろうかと疑いたくなるほどだ。


「そんなこと、お前に言われなくても分かっている!」


 街灯の薄明かりに浮かぶ、相変わらず無表情なこの男に怒りを覚える。

 こんなのは八つ当たりだと分かっている。だが、抑えきれない。それに、こいつには問い詰めなければいけないことがある。


「何故、お前はそんなに涼しい顔をしていられるんだ! 逃がしてしまったんだぞ、あの化け物を! そのせいで、また無関係な人間が襲われるんだぞ!」


 レイの怒声にも、ジェノは眉一つ動かさずに、

「そうだな。だが、不明だった今回の事件の犯人の姿を確認できた。この情報を急いで上に報告して、包囲網を敷くことが、今は重要だろう」

 そう言ってレイに背を向けて、走ってきた道を戻り始める。


 ジェノの言っていることは正論だ。失敗を悔やんだところで何も得るものはない。だが、レイは苛立ちを抑えられない。


「こいつには、自責の念と言うものが微塵もないのか?」


 失敗した、だから次にそれを生かせばいい。そんな生易しい仕事をレイ達はしているわけではない。だから、悔やみもすれば怒りもする。


 無論、ジェノは自警団の人間ではない。だが、無辜な人間が襲われて殺され続けているこの現状に、何一つ感情を抱かないのであれば、そんな奴を人間だとは思わない。


「待てよ、ジェノ。一つだけ質問に答えろ。さっきの戦いで、どうしてあの化け物が俺に背中を向けたときに、その行動が罠だと分かったんだ?」

 レイの問いに、ジェノは足を止めた。


 今晩、レイはジェノに命を救われた。悔しいがそれは事実だ。そのことに感謝をしていないわけではない。だが、そんな事実があっても、彼はジェノに気を許せない。


 業腹だが、今のところはジェノの剣の腕が自分よりも上なのだとレイは理解している。だが、先ほどの戦いでは、あまりにもジェノの動きは良すぎた。まるで、初めから相手の攻撃手段を理解していたかのような巧みさだった。


「……さあな。とりあえず、今は他の人間と合流するのが先だ」

 ジェノは振り向きもせずに、それだけ言ってまた歩き始める。


「くそっ。やっぱりお前は気に食わねぇ!」

 自分の未熟さに歯噛みし、レイはそう吐き捨てた。


 だが、ジェノが振り返ることはなかった。

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