第2話 『自警団の誇り』
しかたがない。
そう、しかたがない。レイは頭ではそのことを分かっている。
人手不足の自分たち自警団の人間だけでは、街をくまなく警護することなどできない。そのため、少しでも犠牲者を出さないためにも、冒険者なんて連中の手も借りなければいけないことも理解している。
だから、ひと目で自警団の関係者と分かるようにと、自分達と同じ格好をさせるのも仕方のないことなのだろう。
だが、それでも納得はできない。便宜上の理由だけで、無関係の人間が自分達の誇りであるこの制服に袖を通すことには、怒りを禁じ得ない。
何故なら、それは冒涜だからだ。
自分達現役の自警団員だけではなく、職に殉じて平和の礎となった先人たちをも穢す行いに他ならないのだ。
「くそっ……」
金色の髪の鋭い目つきが印象的な少年――レイは、自警団の詰所の古ぼけた椅子に座り、不機嫌極まりない雰囲気を漂わせていた。
「レイさん、見回りの準備ができましたよ」
だが、そんな手負いの獣のようなレイに、物怖じせずに声をかけてくる者がいる。
後輩のキールだ。
レイはその声に、静かに立ち上がる。
「おう、分かった。……あの野郎、ようやく来やがったのか」
「いや、レイさんが早すぎるだけで、まだ時間前なんですけどね」
自分が不機嫌なことを分かっていながら、そんな嫌味を言ってくるキール。だが、レイはそのことに怒りを覚えることなく、逆に頭に上っていた血が引いていくのを感じていた。
「うるせぇよ。ほらっ、さっさと行くぞ」
「ええ。今日こそ片付けないと」
キールの言葉に、レイは「ああ」と小さく応え、ランプを手にして「見回りに行ってきます」とぶっきらぼうに詰所の仲間達に告げる。
「ああ。気をつけて行ってくるんだよ」
副団長達の言葉を背に受けて、レイは自警団の詰所の出入り口の扉を開ける。
するとすぐに、一際目を引く少年の姿が目に入ってきた。
港街ということもあり、他国との交流が盛んなこのナイムの街には、様々な人種の人間が暮らしている。だが、その中でも珍しい、黒髪と茶色の瞳が印象的な若者だ。
名は、ジェノ。歳はレイと同じ十七歳。顔立ちが非常に整っているのだが、愛想というものがまるでない。
もっとも、愛想がないのは、レイ自身にも言えることだが。
「ちっ、行くぞ。遅れずについてこい」
レイはジェノを一瞥し、それだけ言って彼の横を通り過ぎる。すると、「ああ」と短い返事だけを返して、ジェノはレイとキールの後ろを歩く。
「くそっ。相変わらず何を考えているのか分からねぇ奴だな、お前は」
レイは憚ることなく悪態をついたが、ジェノは何の反応も示さず、仏頂面のままだ。
こんな奴が、自分達と同じ様にこの白い制服を身につけている。それだけでも、腹立たしくて仕方がないというのに。レイの不快感はいや増していく。
「レイさん。一時とはいえ、仲間なんですから、そんなふうに言わなくても……」
レイの言葉に反応を返してきたのは、ジェノではなく、先頭を歩くキールだった。
「いいからお前は前を向いていろ。それに、俺はコイツを仲間だなんて思ったことはねぇよ。今までも、これからもな」
「はいはい。分かりましたよ。でも、団長達に叱られるときには、こっちにもとばっちりが来るんですから、程々にしてくださいよ」
キールも、何も反応を返さないジェノを快く思っていないのだろう。それ以上文句は言ってこない。
だが、キールが言葉をかけてくれたおかげで、レイは少し落ち着きを取り戻すことができた。
キールとは物心がついた頃からの付き合いだ。気心がしれている。今の言葉も、注意するより頭を冷やした方がいいと気遣ってくれたのだろう。
彼は人懐っこい顔立ちが特徴で、歳はレイの一つ下の十六歳。剣の腕前もそこそこで、頭はそれ以上に回り、抜け目がない。
形式上、先程は注意をしたが、今も自分の言葉に応対はしていても、その眼は注意深く周りに向けられている。
頼りになる相棒だ。そして、数少ない後輩の一人でもある。
「もう少し、うちにも団員がいればな……」
ジェノに愚痴が聞こえるのが癪で、レイはその言葉を飲み込んだ。だが、本当に、この人手不足はどうにかしなければならない。
自警団員の誰もが、そのことは痛いほど分かっている。だが、平和が長く続いた弊害で、仕事内容が過酷な上に給金も決して良いとは言えない、この街の自警団に率先して入ろうとするものは少ない。
王侯貴族連中はもとより、この街に住む市民の多くも、毎日を平和に暮らせることが当たり前で当然なことだと思っている。
それを守るために、自分達のような存在が日夜努力していることを知らずに。
「まったく、報われない仕事だぜ」
レイは何度思ったかわからない言葉を飲み込み、見回りを続ける。
夜間の外出禁止令が出ているため、まだ宵の口だと言うのに、街を歩く人間の姿はほとんどない。そして、大通りの街灯が灯る頃には、それさえも消えていた。
稀に人を見かけることもあるが、レイ達が外出は控えるようにと注意すると、大抵の人間は言うことに従う。表面上では。
「はぁ。まったく、本当におとなしく家に帰ってくれればいいんですけどね。この間みたいなことにならないことを祈りますよ」
キールが心底嫌そうな顔でこぼした愚痴に、「ああ、そうだな」と、レイは同意する。
先週のことだ。
夜間の外出禁止を破り、泥酔しながら歩いている男女数人に、早く家に帰るように注意したのだが、彼らはこちらを馬鹿にした態度で言うことを聞こうとはしなかった。
立場がなければぶん殴ってやりたかったが、レイ達は怒りを抑えて何度も注意をし、見回りに戻った。
だが、それから十分もしないうちに、助けを求める悲鳴が聞こえたのだ。
慌てて駆けつけたレイ達が見たのは、パニックになって泣き叫ぶ女達と、「友達がいなくなった。きっと化け物に襲われたんだ!」と自分達にすがりついてくる男。
キールがなんとか宥めて、何があったのかを尋ねると、先程まで一緒に連れ立っていた友人が闇に消えたというのだ。
その知らせに、レイ達は呼笛を吹いて仲間を呼んだが、調べてみると件の化け物は全く関係なかった。
酒が回り眠くなった男が、途中で力尽きて、少し離れた道の真ん中で眠りこけていただけだったのだ。
はた迷惑この上ない事件だった。
そんなことを思い出しながら、レイは巡回を続けていたのだが、とある角を曲がったところで、不意に何人もの人影を見つける。
その人影は、みんな女だった。
若い者もいれば、歳を重ねた女もいる。だが、彼女たちに共通しているのは、まだ肌寒い中だと言うのに、露出の多い服装をしていること。
「どうします、レイさん?」
「……ひとまず奥まで行く。そして、戻ってくるだけでいい」
レイの苦々しい言葉に、キールは「ええ。そうですね」と返事をするが、その声は心持ち重い。
この区画は歓楽街。普段であれば夜は飲み屋に人が溢れ、賑わっているはずの場所だ。
そして、そういったところには、彼女たちのような一晩の恋を売る娼婦たちもいるのだが、件の化け物騒ぎのせいで、ここを歩く男の姿は殆どない。
「ねぇ、そこのお兄さん」
「安くしておくよ。それに、サービスも……」
努めて明るい声で話しかけてくる女達を無視して、レイ達は巡回を続ける。その代わり、彼女たちの商売を止めはしない。
それがよくない行為だということは分かっている。だが、それ以上に、彼女たちにも生活があるのだと知っているから。
娼婦などという商売は、社会通念上、決して褒められたものではないだろう。だが、だからといってそれを行う人間全てを侮蔑するほど、レイ達は物を知らないわけではない。
この肌寒い中、誰が好き好んで、こんな薄着で死傷者が出ている街中に立っているというのだ。糊口をしのぐためにやむを得ずに行っているのだ。
幸いなのだろう。レイは彼女達ほど生活に困窮したことはない。だが、寄る辺ない気持ちは理解できるつもりだ。
「……くそっ……」
レイの口から、思わず声が漏れる。
それは、やるせない気持ちの現れだった。
顔は見えないが、キールも自分と同じような顔をしているのは想像に難くない。
しかし、ふと背中に視線をやると、自分達とは対照的に、この状況に眉一つ動かさない男の仏頂面が目に入ってきた。
「やっぱり、俺はこいつが大嫌いだ」
レイは拳をきつく握りしめて、早くこのいけ好かない奴との巡回が終わることを願うのだった。
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