けもみみ王国の転生詐欺師

わたし、夢咲紗綾(ゆめさき さや)は、とても深く悩んでいた。


数文字しか書かれていないほぼ白紙状態の原稿用紙。わたしはその脇にあるペン立てに、万年筆を立てると、座敷わらしのように畳に正座したまま、両手で自分の顔を覆い隠す。


「かけ、ない......、しょおせつ、ずびっ、しょおぉぉおせつがぁ!ぅっぐ、が、がげないよおぉおおおおおおおおおおお!」


残り数少ない原稿用紙が、涙に濡れてしまった。本当に、もう泣いてる場合じゃないくらい小説が書けていないのだ。やばい。やばすぎる。


締め切りまであと7日しかないのに、書けたのは10文字くらいなのだ。10万文字ではない。文字通りの桁違いである。


もちろん、がんばってこなかったわけではない。いろいろ工夫もしてみた。


今朝だってトーストにぶどうジャムを付け、ブラックコーヒーをお気に入りのマグカップへと注ぎ込み、職業作家の雰囲気でも醸し出してみれば、なにかの拍子に自然と筆が動きだしてくれるのではないかと淡い期待をしていた。


そりゃあもう、ゲーム内のイベントでレアアイテムのドロップ率が10倍になっているときくらいには、期待してたと思う。


しかし、浅はかだった。今になって思うと、それはそうだ。もし、仮にその理屈が通じるとするのなら、プロ野球選手にだってプロ野球選手の行動を一日真似したらなれてしまうのだ。


少し気分を上げようと、Tmitterを開いてみれば編集者にGPSを埋め込まれた作家さんたちが、次々と監禁される事件しかタイムラインには流れていなかった。


うむ。やはり、慣れるしかないのだろう。


わたしには、とにかく筆を原稿用紙へ叩きつけることしかできないのだ。なにか、なにか、書かなければ!わたしは、とにかくなんでもいいから筆を動かすことにした。


そうして出来上がった原稿用紙には、こう書かれていた。


「雨降って、腰固まる」


原稿用紙を見下ろすわたしの顔は、はたから見ればきっとモノクロに写っていただろう。うん。たしかに書けた。えらいぞ、自分!で、これは一体なんだ!?


なんだよ「雨降って、腰固まる」って、雨の日限定のぎっくり腰じゃね―か!


無意識のわたしは一体なにを考えていたんだろう......。ふたたび、涙から雫たちが零れ落ちそうになるけれど、ぐっと堪える。


もう少しだけ、と筆を強く握りしてめて前向きに捉えることにした。


「しかたない。乗りかかった船だ。これで長編をかいていくとしようじゃないか!」


「その意気ですよ! 紗綾様! 主人公たちを全員ケモミミにすれば、万事解決するはずなのです!」


「あ、それいいわね! 採用!」


わたしは、仏壇の方からの聞こえてきた聞き覚えのない、少し幼気なささやき声に賛同して、もう少しだけ書き進めてみることにした。


「雨が降ったらケモミミが生えてくる世界、か」


なにそれ、おもしろそう。わたしは素直に内心をわくわくさせていた。


「ケモミミが生えてるときだけは、みんな素直になれるなんて設定をしたら、きっととても素敵なお話になるわ!」


「でしょう? ケモミミはいつも世界を救うのです!」


わたしは、面白い題材を見つけることができたので、彼女とハイタッチをしようと隣を向いて、両手のひらを彼女に見せていた。


そこで、気づいた。恐ろしいことに気づいてしまった。この子......、だれだろう?


「え、えっと、ちょ、ちょっとまってね? え、ど、どちらさま、でしょうか?」


え、ここ自分の家だよね?わたしは、一瞬停止した思考を再起動すると、一目散に彼女から距離を置いた。


「はい! ここは紗綾様のご邸宅なのですよ!」


背丈が小学生ほどしかないその少女は、胸を張って力説してきた。


ニッコリと天使のような屈託のない笑みは、不審者にしてはすごくまぶしい。新手のストーキング・ヤンデレ幼女というものなのかしら?


「だとすれば、それだけで小説一本かけそうなきもするからよろしい!」などと思いつつ。わたしは目をつむって深呼吸をしてみることにした。


スーー、ハーー。


よしっ。まずは、聞けることから聞くことにしよう。元ミステリー作家であるわたしに解けない謎なんてないのだ!


「じゃ、じゃあ、なんで貴方はわたしの家に? というか、えっと、どうやって入ってきたのかしら?」


「さっき、次元の穴からデウス様をお迎えに来ました! あっ、こちらではまだ紗綾様でしたねっ!」


えへへ、と照れくさそうにしている少女の容姿を改めて見ると、頭の上でピコピコと狐のような耳が踊っている。


なるほど。どうやら悪質な不審者というわけではなさそうだ。悟ったわたしは、緊張の糸を一本ほどいてみせた。


きっと、小学校からの下校中に迷い込んだのね。そうに違いないわ。名推理!


すると、その少女は両手のひらをこちらへ向けたまま怪訝そうな顔をして聞いてきた。


「紗綾様、ハイ・タッチ、しないのですか?」


「えーっと、ちょっとまってね。お姉さんね、まだわからないことがいくつかあるのだけれど。もう少し詳しくその話聞かせてくれないかしら?」


彼女は、どうやらわたしが記憶を失っているということを思い出したらしく、丁寧に事情を説明をしてくれた。


「なるほど。つまり、わたしはデウス・エクス・マーキナーという神様の後任に選ばれてしまったと」


「そして、紗綾様を連れてくるように申し使ったのです!」と彼女はニマニマしながら付け加える。


なるほど。


いや、わからん!わかるけど、わからん!


にわかには信じがたい話だけれど、天界にいくということはもしかして死ぬということなのだろうか?


わたしは前髪につけていた髪留めを外して、自室の壁に背中を預けた。そこで、ふと気づいてしまった。この世界に、きっともう未練はないのかもしれない。


いままで書きたいものをたくさん書いてきたけれど、全然まったく売れなかった。売れなかったことは悔しい、けれどそれだけじゃない。


たとえ売れたとしても、わたしが作りたかったのは売れる作品でも、評価される作品でもなかった。


幼い頃、秘密基地や修行といった建前を元に、私たちは世界のことを知っていく。それは大人になってからだって一緒だ。


きっと、おばあちゃんになっても、世界という鏡を通して、私たちは自分たちのことを知るために生きていく。そうやって、新しく得た経験や知識を共有して、何がしたかったのだろうか?


あぁ、ひょっとすると、自分がなにをしたいのかを知りたいだけなのかもしれない。


だとすれば、天界にも興味があるというものだ。


「いいわ、わたしを天界に連れて行って」


そういって正面を向いたわたしの目に写っていたのは、目から一切の光を消した、バールをもって佇む彼女だった。


「ひっ、い、痛いのは、ちょっ――」


ガツン。


「ちょろいっ、これで10人目ね。ふふっ」


意識が朦朧とする中、わたしが最後に見たのはテレビで流れている使えない作家を次々と抹殺する連続殺人犯に関するニュースだった。

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なんかよくわかんないのできた件 らぴ @rapitaso

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