第18話 2-9.レクイエム・終焉の旋律

 ジンはキッチンでトレーを受け取り、先に食事をしていたコハルとユキノに合流した。


 今日のメインは魚の干物。この生活始めとなる缶詰以外の魚料理であった。

 思わず、唾液が口の中に溢れる。それは皆同じようで、誰もが久しぶりの魚料理に舌鼓を打っていた。


「おいしい」

 ジンも一口食べて感動した。一週間弱しか経っていないはずなのに、食べたのがはるか昔のようだ。


 雑談を交えながら食事を進めていると、突然アノンの紹介とともに子供達の演劇が始まった。年は小学校低学年ぐらいで演目は誰もが知っている世界的に有名な童話であった。


 美味しい料理と微笑ましい演劇。キッチンは笑顔溢れる和やかな雰囲気に包まれていた。


 そんな時、

「たっ、助けてくれーーー」

 一人の男性がキッチンエリアの中央に叫びながら転がり込んできた。


 焚き火の炎に顔が照らされて表情があらわになる。その人物の顔は血の気が引き、恐怖で顔が歪んでいた。


 その鬼気迫る表情に一瞬でその場の和やかな雰囲気は凍り付いた。ざわざわと不安が広がる。


「ど、どうしたんだね。きみぃー」

 その男性の近くにいた小太りの中年が勇気を出して話しかけた。


「お、俺はこの生活が嫌になって抜けだしたんだ。ダチと。だが、連れ戻しに来やがったんだよ。あ、悪魔が」

 感情の高ぶりが抑えられないのか、若い男性は小太りの中年と視線が合っておらず、早口でこのキッチン全体に響くように叫んだ。


 ざわざわと不安が一層広がる。“脱走”、“悪魔”という単語に誰もがスルーして食事に戻ることはできずにいた。


「悪魔ってね、きみぃ。そんなのいるはずないだろう」

 小太りの中年がハハハと上品に笑い、場の空気を和ませようとした。いや、彼自身が信じたく無かっただけかもしれない。


 だが、

「それだけじゃない。俺は見たんだ。俺の女が骸骨に襲われて石になっちまうところをよー。みんな気付いてんだろ。ここには“怪物”がいるって」

 男の叫びが群集のざわつきを黙らせた。一瞬の静寂。聞こえるのは薪が爆ぜる音のみ。


「私も夜に何度も大きな地響きがしてると思って外に出たら、大きな影が動いているのを見たわ!」

 誰かが甲高い声で叫んだ。


「そもそも、本当に骸骨なんているのか?トリックじゃねーのか?」

 また別の誰かが叫んだ。


「じゃあ、あの赤いコートの連中が黒幕か?」

「そうよ、上から説明しますぅとか言っといて結局何もわからなかったじゃない」

「そうだ。そうだ」

 ざわざわと人々の不満が爆発した。


 多くの人々にとってはこれが初めての避難生活であり、いままではテレビの向こうの出来事として、形だけの同情をしていただけのことが自分の身に降りかかったのである。


 それに加えて、ここにいない人のことを悲しむこともできず、外からの情報は一切なく、物理的にも外に出られないこの状況に不満は大なり小なりあったのだ。


 そんな危うい状況で、今日までだましだましやってきたのが、ほんの些細なことで心の均衡が崩壊した。


 まさにユウカの心配が的中したのである。

 人は弱かったのだ。


 不満が不満を呼び、群集はそのはけ口を求めていた。自分が傷つくことなく誰かを傷つけたいという集団心理が個人の気を大きくした。


「これから、赤いコート狩りじゃー」

 誰かが叫んだ。本当に相手が怪物ならば勝ち目などあるはずないのに、誰も冷静では無かった。


 確かにユウカはここにある人々の命を間接的に救い、才能を輝かせる役割を与えた。


 だが、人々の前提はそうではない。

 根本がずれていた。我を忘れている人々にとって命があることは当たり前なのだ。


 群集は暴徒と化そうとしていた。


「「ど、どうしよう?」」

 泣き顔でコハルとユキノがこっちを向く。そんなことこっちが聞きたい。


「......カ、カプリコーンの催眠なら。なんとかできるかも?」

 ジンが思考を巡らせる。確証は無かったがこれしか思いつかなかった。


「カプリコーンを探して、この状況を伝える。いいね?」

「カプリコーンね、了解!」

「わかったわ」

 三人は別の方向にカプリコーンを探しに行こうとした。


 その時、

「《レクイエム・終焉の旋律》」


 __音


 音が聞こえた。どこか泣いているような悲しさをはらんだ音。


 その瞬間にジンの意識が遠ざかった。



 ◇◇◇



 ジンはいつものように“弦楽器の音“で目覚めた。低い天井。慣れてしまった寝袋の感触。

 だが、昨日一日の記憶を辿るが思い出せなかった。


(それほど疲れていたのか?とりあえず、着替えるか)


 ジンは少しの違和感を覚えながら、いつものように“作業服”に着替えて、キッチンに向かった。


 いつものように食事をとってから、キッチンから南の畑に行き、鍬を手に畑を耕す。いつもと変わらない行動パターンであった。


「あ、おはようございます」

「おう、ケンザキくん。おはよう」

 “同じ役割”の人々に挨拶し、せっせと畑仕事に精を出す。収穫はもう少し先になりそうだった。



 ◇◇◇



 昼時になり、キッチンで昼食をとった。


「ねぇ、ジンくん。似合うかしら?」

 一人で食べているとユキノに声をかけられた。

 いつもと服が違い、白地に赤い刺繡を取り入れたかなりオシャレなものであった。


「......」


 __既視感


 ジンの頭にある光景がフラッシュバックした。花が咲き誇る場所でティーカップを傾けている黒髪の女性。ジンには誰かわからなかった。


「おーい、ジン。なに固まってんの?せっかくユキノが織ったんだから何か言ってあげて」

 コハルがフリーズしているジンを覗き込んだ。


「あっ、ああ、似合っている。きれいだ」

「そ、ありがと」

 ユキノはジンの感想に満足した様子だった。


 ジンはその服に違和感を覚えながら感想を言った。ユキノに似合っていないということではなく、全く別の違和感。


「流石、新作か?」

「ええ、これでも双璧の織姫って呼ばれる程の腕前なのだけれども」

「ああ、そうだ。......そうだったな」

 ジンが二人の役割を肯定した時、その違和感は消えていた。そうだ、彼女達はずっと服を作り続けていたんだった。


 その後、畑仕事に戻り、日が沈むまで仕事をした。そして、夕食をとり、蒸し風呂で汗を流してからテントに戻った。


 今日も一日中弦楽器の音が響いていた。



 ◇◇◇



 テントにて


(今日は変な一日だったな)


 ジンは妄想にふけっていた。夕食と蒸し風呂の時また違和感を感じたのだった。


 違和感の正体がつかめない。ずっと深い霧の中にいる感覚。


 違和感の極め付きは丁寧にたたまれた黒いロングコートだった。自分の持ち物のこんなものがあった記憶がない。


(んー、何かを忘れている?そんなことあるか?......水でも飲んで寝直すか)


 そう思って暗闇の中目を開けた瞬間、ジンは口を塞がれ、異常に強い力でテントの外に引きずり出された。


 だが、それだけではなかった。誰かに抱えられてそのままの体制で“上“へと上がったのである。


(えーーー)


 叫べない代わりにこころの中で絶叫した。

 そう、“飛んでいる”のである。しかも、謎の生物に抱えられて。


 その生物には羽のようなものが生えていた。が、暗くてはっきりとはわからない。夢であって欲しかった。


 約5分後、

 ジンは抱えられたまま中央塔に裏口から入り、薄暗い廊下を抜けて一つの大きな部屋に入った。


 その部屋はなぜか明るかった。

 ようやく、地面に降ろされたジン。生きた心地がしなかった。


「あなたは?」

 震える声でジンが尋ねた。まだ心臓が高鳴っている。


 目の前の男性。

 赤い外套を身にまとっている。

 茶髪の長い髪。

 見た目は30歳ぐらい。


 そこだけならばまだ普通であるのだが、真っ黒な羽が生えていた。


 それだけで人ではないことぐらいわかる。


「ふむ、やはりこうなりましたか......仕方ないですね」

 無表情の彼はあごに手をあて、考える仕草をとった。


 そして、胸ポケットから何かを取り出し、急接近してジンの首に突き刺した。


 __何かが流れ込んでくる


 意識が覚醒する。


「......っ。何するんですか......“アノンさん“」

 ジンがアノンの手首を掴んで、睨み付けた。

 この時ジンは初めて目の前の男性がアノンでここが修練所だと“気付いた”。


 ジンは少しずつ様々なことを思い出した。

 マナのこと。ユウカという女性のこと。自分の能力のこと。


「私は......一体?」

 それでも所々記憶が曖昧で頭が痛かった。


「時間がいない、手短に説明します。カプリコーンの《レクイエム》が発動しました」

 メモリを胸ポケットに仕舞い、ジンが元に戻ったと確認したアノンが切り出した。


「どういうことですか?」

「彼女は制限を外して能力を使った。その内容は“演奏による記憶の改変と思考の誘導”。ですが、演奏が終わってない今なら止められる」

 ジンには話が読めなかった。


「どうしてカプリコーンがそんなことを?」

「私からはなんとも言えません」

「それで私にどうしろと言うのですか?」

「......“救って下さい”」

 アノンは無表情のまま膝をつき、頭を下げた。


「......どうして私なんですか?戦闘能力ならあなたの方が高いはずなのに」

 アノンを見下ろしてジンが事実を投げつけた。


「私達マスターに創られた者達はそれぞれを傷つけることはできません。仮にできたとしても私ならば殺してしまう」

 アノンは頭を下げたままジンに言った。


 ジンにはわからないことが多すぎた。混乱と疑問が頭の中で渦巻いていた。だが、目の前のアノンの気持ちは伝わった。


 アノンはカプリコーンの催眠に掛かられている人々をたった一人で救ってくれということだろう。


 しかも、カプリコーンの演奏が終わるまでという時間制限付きで。


「......わかりました」

 様々な感情を飲み込んでジンは了承した。


「では、これを」

 アノンが剣と手袋と着替えを差し出した。その中にはいつもの黒いコートもあった。


「マナを通すことのできる手袋と真剣です。役に立つでしょう」

「......ありがとうございます」

「一つだけアドバイスを......言葉とは呪いです。お気負つけて」

 アノンは頭を深々と下げた。


 ジンは着替えを済ませて修練所を後にし、アノンが言ったことを思い出しながら階段を駆け上った。


(アノンは“救ってくれ”と言った。そして、戦えば自分なら殺すこともできると。だとしたら、“俺”がやるべきことは......『カプリコーンを殺さずに演奏を止めて全員を救うこと!』)



 ◇◇◇


 花園にて


「まさか、アノンが私に噓をつくとは。これも成長かな?......期待しているよ。ジン」

 ユウカがポツリとつぶやいた。





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改稿前 私の憂鬱と一つ願い 剣崎 神(ケンザキ ジン) @ZINkenzaki

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