第34話 来襲

 昼飯を食べた渉は眠っていた。突然、額に鋭い衝撃を受ける。慌てて目を覚ますとそこにはふみと瑠璃子が笑っていた。

「なんですか、瑠璃子さん、ふみさん。痛いじゃないですか」

「おや、誰も何にもしていないよ。渉くん。ただ乙女二人がせっかく来たのに眠っているとは無粋だなあと思っただけさ」

 ふみの目は笑っていない。渉の背筋が一瞬だけ凍る。

「それはそうとして、今日は渉さんにあるものをお持ちしました」

 瑠璃子は風呂敷を解く。中から、紙とペン、黒ずんだ書きかけの原稿用紙、さらには煤ぼけて針の止まった銀時計が出てきた。

「渉さんのおうちの跡から出てきたものです。この時計は渉さんが貰ったものですか」

「ええ、瑠璃子さんからいただいたものは肌身離さず持ち歩いておりますから」

 渉はポケットに入っていた銀時計を出す。

「よかったね、瑠璃子。時計が無事で」

「ふみさんったら。渉さんが無事で本当によかったです」

 瑠璃子は頬を赤らめた。ふみは面白くなさそうに鼻を鳴らす。やはり目が笑っていない。渉はおずおずと声をかける。

「あの、ふみさん。何かご不満な点でも」

「そうだね。瑠璃子には聞かせられない不満はたくさんあるね。どれ、瑠璃子。ちょっとだけ席を外してもらえないかい」

「え……。ふみさん……。渉さんに酷いことは」

「しないよ。大丈夫さ」

「わかりました。ふみさん。渉さん、少し席を外しますね」

 瑠璃子は渉に向かって微笑み、扉の外へと消えていった。残されたのはふみと渉だ。

「あの……ふみさん、俺の商売道具を持ち出してくれてありがとうございました」

「別に。昨日正清が君の家の瓦礫の山を探してたら偶々焼け残っていたみたいだよ。そんなことよりもだ」

 ふみは右手を渉の顔に近づける。親指で人差し指を絞り、勢いをつけて渉の額に当てる。二度目の衝撃が渉の額に走った。

「それよりもなんだい、その体たらく。瑠璃子ったら渉くんが見つかるまで布団から起き上がることも出来なかったんだよ。君が見つかってからいつもの明るい瑠璃子に戻ったけど。その辺、ちゃんと瑠璃子に謝ったんだよね」

「ええ……ちゃんと謝りました……」

「ならいいけど。でも瑠璃子の話をちゃんとは聞いてないだろ」

「たしかに……今まで何をしていたか、とかどうやって避難したかとかは全く伺っていません」

「この学問馬鹿め。恥を知れ、恥を」

 ふみは何度も何度も渉の額に衝撃を与え続ける。渉はふみの目に涙が浮かんでいることに気がついた。そのことを指摘せず、ふみの行為をただ無言で受け続ける。

「この、大馬鹿野郎。皆がどれだけ心配したか分かってるのか。瑠璃子も正清も僕も皆心配してたんだ。それなのに本人は自分よりも仕事を優先しやがって。仕事よりも真っ先に瑠璃子探しに行けってんだ」

「すいません、ふみさん。心配してくれてありがとうございます」

 ふみの頭をそっと撫でる。ふみの長い黒髪は生糸のような光沢と手触りをしていた。

「僕は心配してないわ」

「今言ってたじゃないですか。心配したって」

 ふみの顔が真っ赤になる。

「別に、正清と二人で旅行中に泣いたりとかしてないわ。横浜の壊滅状況と瑠璃子の具合に君が死んでいるんじゃないかとか全然思っていないし」

「ふみさん、ありがとうございます」

 ふみの目元から涙が溢れ出し、大声を上げて泣き始めた。渉は黙って髪を撫で続ける。

「瑠璃子を幸せにしないと……許さないって言ったわよね……一瞬でも不幸にした貴方を……僕は許さないから……」

「はい。これから気をつけます」

 そのとき、扉がピシャリと開いた。瑠璃子だ。

「ふみさんの泣き声が聞こえて参りましたが、一体何があったんです……って渉さん人妻にそんなことするなんて端ないです」

「あ……瑠璃子さん。これは違うんです。誤解です」

「誤解も何も、ふみさんとそんな関係だったのですか。私という婚約者がありながら」

「瑠璃子、違うよ。彼は僕が泣きだしちゃったから……慰めてくれただけよ」

「もう……そうなのですか。渉さん、ふみさんを泣かせたんですね。私が許しませんよ」

 瑠璃子の事情聴取は夕飯まで続いた。

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