第32話 再会

 正清の知らせを受けた瑠璃子は翔ぶが如く病院まで駆けて行く。愛おしい渉が病院にいるというのだ。瑠璃子はいてもたってもいられなかった。瑠璃子は病室の扉を勢いよく開けると、そこには藤堂と眠っている渉がいた。藤堂は瑠璃子に黙って会釈をする。瑠璃子はかつかつと包帯だらけの渉が眠るベッドに近づく。

「石田さん、一週間程目を覚ましていないんです。火傷を負っているみたいで、そっちはそんなに重篤ではないらしいのですが」

「ありがとうございます。藤堂さま。ところで、何故貴方が渉さんを……」

「ある男に頼まれまして。石田さんは僕の大事な友達ですし、ちょうど横浜にいたものですから。探したらこの病院にいることが分かったです」

 瑠璃子は渉の頭を撫でる。渉は反応を示すことなく、眠ったままだ。藤堂はふらりと立ち上がる。

「さて、僕ももう行かないと。大事な友達が待っているので。瑠璃子さん、後はお願いしますね。石田さんが目を覚ましたらくれぐれもよろしくお伝えください」

 藤堂は軽やかな微笑みを浮かべ、部屋から出て行った。残されたのは眠り込んでいる渉と瑠璃子だけだ。渉に瑠璃子は語りかける。

「ねぇ、渉さん。私も、秀臣もお父様も皆無事ですよ。ふみさんも正清さんも無事です。貴方のお友達も無事だったのに、どうして……貴方だけが……」

 瑠璃子は渉の胸に顔を埋めて泣き出した。

「貴方だけがどうして……なんで……大怪我をしているのですか……早くその目を開けて下さい。早く声を聞かせて下さい。名前を呼んで、私を安心させて下さい……」

 少女の慟哭だけが部屋の中に響き渡る。その時だった。渉の手が微かに震えた。瑠璃子がそれに気づき、渉の手を取った。ゆっくり、ゆっくりと渉の目が開いていく。

「……る……りこ……さ……ん」

「渉さん……渉さん私の声が聞こえてますか」

「え……え水、おみ……ず……」

 瑠璃子は吸い飲みで渉に水を飲ませる。

「ああ……美味しい」

 そういうと渉は再び瞳を閉ざす。瑠璃子の心には安堵と動揺が同居していた。ひとまず、医師のところに向かうことにした。

 病院の中は怪我人や忙しく歩き回る看護婦たちでいっぱいであった。瑠璃子は偶々歩いていた白衣の男に声をかける。

「もし……渉さん……じゃなくてあそこの病室の包帯だらけで眠っていた男の人、目が覚めましたよ」

「本当ですか。お嬢さん、ありがとう。彼、担ぎ込まれてきてずっと覚さなかったから脳死かもしれないと疑っていたところなんだ。身元も分からないし、お嬢さんはあの方と知り合いかい」

「婚約者です」

「なら、いい。我々の手があくまでちょっと彼を見ていてくれ」

 そう言うと男は忙しそうに去って行った。瑠璃子は渉の病室に戻る。渉は起きていて何かを探していた。瑠璃子は眼鏡を見つけて、渉に渡す。目的のものはそれだったらしい。渉はレンズを掛け布団で拭きながら、瑠璃子に笑顔を見せる。その笑顔は痛々しいほど清々しかった。

「イヤ……瑠璃子さん……ご心配をおかけしました」

「あの日、貴方は一体どこにいたのですか。次の日から探し回りましたが、どこにもいらっしゃらなかったので心配しましたよ。もうどこにも行かないで下さいね」

「エエ……イヤァ……あの時間には図書館に行こうとして移動をしていました……何とか火を撒いたのですが、貴重な資料が会社の倉庫にありましたから、それを探しに行こうとして怪我を……しばらくは普通に動けてたのですが、すぐに意識を失いまして……」

 瑠璃子の顔がとたんに凍りつく。

「まさか、資料のために怪我をしたと言うのですか」

「資料の喪失は何に替えても避けなければなりませんから。原稿は俺の部屋にあるはず……原稿は無事かな……」

 瑠璃子は思わず渉を平手打ちする。軽い衝撃が渉の頬に走る。渉は叩かれたところを押さえた。

「痛いじゃないですか、瑠璃子さん」

「渉さん、命あっての物種だと言うのに貴方はまたそんなことを……」

「あの……ハィ……ごめんなさい」

 渉は頭に手をいれてクシャクシャとかき回す。瑠璃子は頬を膨らませている。扉がするりと開く。看護婦が食事と包帯を持ってきた。

「はい、包帯を取り替える時間ですよ。目が覚めたと伺いましたので、おかゆも持ってきましたよ」

「ありがとうございます」

 渉に巻かれた包帯がするすると解けていく。すると痛々しい火傷の痕や傷口が見えてきた。瑠璃子は思わず目を背ける。

「婚約者と言えど、婚前の女性に裸を見せるなんて申し訳ないです」

「あら、婚約者さんなんですか。綺麗な方ですね」

 呑気に渉は看護婦と話をしている。消毒液が染みるようで、渉は顔を顰めていた。包帯が巻き終わると、次は食事の時間だ。おかゆを置いて「ごゆっくり」と看護婦は去って行った。渉はおかゆをちょっとずつ食べる。

「今日は瑠璃子さん、あーんしてくれないのですか」

「今日は怒っているので、致しません」

「ハハ……これは敵わないな……本当にごめんなさい」

「そこまで謝るなら、あーんしてあげます」

 瑠璃子は渉からおかゆをひったくり、恥ずかし気にスプーンを渉の前に差し出す。渉は嬉しそうにそれを食べる。

「ところで、皆さんご無事ですか」

「ええ。大丈夫ですよ。また今度、皆で会いに来ますから」

「俺の長屋はどうです」

「当たり前のように崩壊してましたよ。私の家ももうダメで……家族でバラックに暮らしてますよ」

「そうですよね……愚問でした。さて、病院を出た後、どうしましょうかねぇ」

「その先のことは、とりあえず置いといて今は貴方が生き残ったことを祝いたいです」

「ありがとう、瑠璃子さん」

 渉は瑠璃子の手をさすった。茜さす夕暮れ時の病院。幸せな一時がこの病室にはあった。

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