第31話 探し人
あの大きな地震から、一週間が経った。瑠璃子の父も無事、瑠璃子たちのところへ帰ってきた。今は親子でバラックの中で暮らしている。ふみと正清の夫婦も無事横浜に帰ってきた。ふみと正清の両親も無事であった。ただ、唯一生存が確認されていないのが渉だ。瑠璃子の心にはぽっかりと穴が空いたようであった。瑠璃子は塞ぎ込み、家事をする以外は布団の中にいた。表情も日々暗くなり、秀臣と父はひどく心配をしていた。
そんなある日のことである。結城家の人々が住うバラックに、正清とふみが訪ねてきた。玄関対応に出てきた瑠璃子の顔を見ると途端に正清もふみも瑠璃子のことを抱きしめようとする。瑠璃子は鬱屈とした表情でその行為を受け止める。その表情はまるで死人のようであった。
「瑠璃子、どうしたんだい。酷く顔色が悪いじゃないか」
「ふみさん……渉さんが……帰ってこないのです……。私探しに行きたいのですが……身体が動かないのです」
ふみと正清は顔を見合わせる。正清が力強く頷く。
「瑠璃子さん、私が石田さんを探して参ります。ふみ、瑠璃子さんをお願いしますね」
「嫌、嫌です。正清さんにまで、もし万が一のことがあったら……」
正清は優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。私は、男ですから。それに貴女の憂いを晴らすのが私の今の役目ですから。さて、ふみ行ってまいります」
ふみの手の甲に優しく接吻をする。正清はバラックを後にした。
正清は渉に対して苛ついていた。恐らく瑠璃子を泣かせつかせたのであろうと推測したからだ。彼は瑠璃子のことを諦めたが、瑠璃子を不幸にする男を許すことが出来なかった。それがどんなに瑠璃子が恋慕っている男でもだ。正清はめくれた道路を淡々と歩く。小西株式会社の倉庫跡に向かう。途中横浜正金銀行を通ると、火事で逃げ遅れたであろう亡骸が未だ転がっていた。無造作に転がる骸の中に渉がいない事を祈りながらただひたすらに歩く。小西株式会社の倉庫跡に着く。そこでは幾人かの男が瓦礫の後片付けをしている。正清は男たちに声をかける。
「すいません。瓦礫の山の中に中肉中背の死体とか転がっていませんでしたか」
「インヤ……そんな死体みてネェなぁ……他に何かあるかい……」
「眼鏡をかけている感じですかねぇ。セルロイドなので溶けているかもしれませんが」
「見てねぇなぁ。港の方向に逃げたんかも知れねぇぞ。最もあっちも地獄絵図だがなぁ」
「ありがとうございます。それでは」
正清は港の方向に歩き出す。港はものの五分程で着く。港の海は油で汚染されており、未だ土左衛門が多く浮いている。正清は口元を手で覆う。その死体の一つ一つを凝視するが、渉らしき特徴を持つ骸は見つからない。と、すれば一番広い陸軍が持つ敷地の中であろうと正清は考えた。あそこに行けば間違いないと踵を返した。しかし、正清の考えはあっさりと覆された。例の敷地は焼けたオレンジ色の死体だらけであった。流石の正清も、その場でうずくまる。瑠璃子はこんなところを渉を探して歩いていたのだろうか、そんな恐ろしいことを考えると呑気に新婚旅行に行っていた自分が腹立たしく思えてきた。正清は地面に拳を打ち付ける。瑠璃子の苦労といじらしさを思えば思うほど、正清の瞳に涙が溢れてくる。しかし、探さねば。恋敵が生きていると瑠璃子が信じているのだ。それを自分が信じないではどうもならないと正清は思う。彼は再び立ち上がる。目指すは、渉の家の方向だ。
めくれた地面、瓦礫の山、バラック……。様々な震災の痕を越え、正清はただひたすらに歩く。汗がぽたぽたと垂れる。正清は歪んだ電信柱に手をつき、一休憩をする。もう少しで渉が住んでいた貧乏長屋の跡地に着くはずである。子供は元気なもので、こんな状況でも遊んでいる。長屋の残骸の前で一人の婆さんが掃除をしている。正清はその人に声をかけてみることとした。
「こんにちは。お婆さん。人を探しているのですが今お時間よろしいですか」
「あれまぁ。二枚目だこと。どんな人かぇ」
「中肉中背で黒髪に少し白髪が混ざっている……そうですね。眼鏡をかけています。丸い眼鏡です」
「もしかして、石田渉のことかぇ」
「そう、その人です。お婆さん何かご存知ですか」
「インヤ……あの大地震があったときはあの学者先生もこの貧乏長屋にはおらんかったでの……」
正清は拳を瓦礫に打ち付けた。
「あの、大馬鹿やろうめ。本当どこに行ったんだ……瑠璃子さんが心配しているんだ……俺がかっさらっちまうぞ」
正清は奥歯を噛みしめる。そのとき、不意に後ろから声がした。
「石田さんなら、僕どこに行ったか知ってるよ」
そこには身の丈六尺を超える大男が柔かな笑顔で立っていた。正清は訝し気にその大男を見る。
「なんですか。貴方は」
「その、貴方が探している石田さんの友人です。藤堂蔵人と申します。ついてきてください。あの人の元に案内しますから」
「よろしくお願いします」
こうして奇妙な二人組は歩き始めた。向かった先は赤十字の旗がはためく病院であった。藤堂はその病院の中に入っていく。後ろに正清が続く。とある病室の前で立ち止まるとゆっくりと藤堂は部屋の中に入る。
そこには身体中包帯だらけで眠っている石田渉がいた。
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