第20話 あなたと共に歩む道
満点の星空の中、瑠璃子と渉は瑠璃子の家に向かう。結ばれた二人は誰よりも幸福であった。
「ねぇ、渉さん。もう一度さっきの言葉言ってください」
「もう言いませんよ。ああいうのは一回だから思い出に残るのです。例え、俺が先に死んでも思い出は一生貴女の中に残りますから」
瑠璃子は頬を膨らませる。しかし、それは現実だと渉は思った。自分は三十路、瑠璃子はたった十七才の少女なのだ。どう考えても自分の方が先に逝くであろう。
「もう、渉さんったら。またそんなお年寄りみたいなこと仰って。ダメですよ。もっともっと長生きして頂きますから」
「エエ……すみません……」
「それに、私は渉さんが死んでしまったら後を追いますから」
「それは俺にとって不幸なことです。貴女が健やかに幸福に過ごして頂くのが、俺の何よりの今の願いです」
「私も貴方と幸福に過ごすのが今の願いです」
二人の間に静寂が訪れる。からからと自転車の車輪が廻る音だけが聞こえる。街灯の灯りに蛾が群がっている。もうそんな時期か、と渉は思った。無言のまま、やがて山手にある結城邸に着く。門の前には結城氏がぽつりと立っていた。
「先程、清正くんが来たよ。瑠璃子、どうしてだい」
「お父様、私は渉さんが大好きなのです。お父様は仰いました。私が渉さんを好きになったら結婚を認めるって」
「あぁ、言ったよ。しかし、石田くんの気持ちはどうなんだい」
「先程、結婚を申込みました。それくらい、瑠璃子さんのことをお慕い申し上げております」
「そうか……」
結城氏は少しだけ驚いたような様子を見せた。渉はそっと瑠璃子の肩を抱く。
「私共の結婚をお認めください。結城さん」
「……漸く、結城さんと呼ぶようになったね。しかしこれからはお義父さんと呼びなさい」
「ありがとうございます。お義父さん」
「とりあえず、家に入りなさい。秀臣も心配しているから。結婚の話はそれからだ」
結城氏はそっと二人を家に招き入れる。結城邸は煌々と明かりが灯っていた。瑠璃子は甘えたようにそっと渉の腕に自らの腕を絡ませる。渉は少し緊張したように、それに応えた。二人は食堂に通された。女中がコーヒーと金平糖を持って来た。廊下から軽い走る音が聞こえた。瑠璃子の弟、秀臣だ。
「先生、姉様」
「……秀臣くん、こんばんは」
渉は慣れないようにその名を呼ぶ。秀臣は青い瞳を丸くしている。
「先生が……僕のことを名前で呼んでくれた……。姉様、何があったのですか」
瑠璃子は小さく微笑みを溢し、秀臣の頭をそっと撫でる。
「とても悦ばしいことよ。ね、渉さん」
「ああ。秀臣……くん、実はお姉さんと結婚することになりました」
「本当?本当に先生が兄様になるの。よかったぁ」
秀臣はその場で小躍りをし始める。まるで天使がステップを踏んでいるようだ。それを和やかに瑠璃子と渉は見つめていると、結城氏が空咳をした。
「あー……石田くん…いや、渉くん。結婚を認めたいのだが……条件がいくつかあってね……いいかな」
「構いません」
「正式な結婚に向けてだが……費用は全部私が出そう。その条件だが……一つ、君には本か論文を一本出してもらいたい。もう一つ、結婚した暁には君はあの長屋ではなく、私が建てたこの家に瑠璃子と一緒に住むこと。そして最後の条件だが、お世話になった方々にきちんと挨拶に行くことだ」
「かしこまりました。お義父さん」
「今日は夜遅い。渉くん、泊まっていきなさい」
「お父様、私、渉さんと一緒に寝たいです」
「ダメだ。瑠璃子は瑠璃子の部屋で寝なさい。瑠璃子、渉くんを客室まで案内しなさい」
そう言うと結城氏はブランデーをそっと空の器に注ぎ始める。瑠璃子は父に一礼をして、渉の手を引き、歩き始めた。白い廊下を二人は手を繋ぎながらゆっくりと歩く。瑠璃子は鼻唄を唄っている。余程上機嫌なのだろう。
「渉さん、ここが客室です」
「ありがとう、瑠璃子さん」
そう言うと瑠璃子はそっと目を閉じる。白い生糸のような肌に朱が差している。渉が戸惑っていると、瑠璃子は恥ずかし気に囁く。
「あの……はしたないことなのですが……おやすみの……口付けをしていただけないでしょうか……」
渉はこの少女の愛らしさに今すぐ瑠璃子を抱きしめたくなった。しかし、ここは結城邸だ。渉は理性でそれを抑える。
「少し……緊張していて……その…ここでは恥ずかしいので部屋に入ってからでもよろしいでしょうか」
「あ、私ったら……申し訳ございません」
客室に二人はそっと入る。客室はベッドと机があり、花がいけてあるだけの部屋であった。
「瑠璃子さん…その……恥ずかしいので……目を閉じていただいてもよろしいですか」
「はい」
瑠璃子は空よりも深い青い瞳を閉じた。渉は瑠璃子の顔を愛おしげになぞる。美しい肌、そしてなによりも自分を慕ってくれている少女。これからはこの少女と共に生涯を歩んでいくのだ。渉はそっと触れるだけの接吻をする。柔らかい瑠璃子の唇の感触が、ほんの少しだけ渉に伝わる。そして、強く瑠璃子を抱きしめる。
「痛いです。渉さん」
「瑠璃子さん、俺は本当に貴女が愛おしい。恋とはこんなに激しく身を焼くものなのですね」
「ええ、私ずっとこんな風に渉さんとしたかったのですよ。漸く分かっていただけましたか」
瑠璃子は渉の頭を優しく撫でる。瑠璃子と渉の視線が絡み合う。二人は頬を赤く染め、微笑みあう。渉は瑠璃子の額に唇を落とし、彼女を離した。瑠璃子は微笑みを絶やさない。
「今夜はここにずっといたいです」
「なりませんよ。サァ、お部屋に戻って下さい」
「おやすみなさい、渉さん」
「ええ、おやすみなさい」
こうして結城邸での夜は更けていった。
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