二つの道

第17話 加藤正清

 瑠璃子はいつもより綺麗な着物を着させられていた。瑠璃子の瞳と合う、艶やかな色使いの着物だ。いつもの見合いの時よりも少し色使いが派手で、父の本気が伝わってきた。いつもなら、見合いのときは黙りこくり、冷たい陶磁器のような顔をしている。しかし、今回は父の手に渉と渉の友人の身がかかっているため、それは出来ない。

 瑠璃子は茶を一口啜る。赤い口紅が湯呑みに着く。それを見た仲人の婦人は瑠璃子の化粧を直そうと口紅を出す。瑠璃子は冷たく「構いません」とだけ告げる。瑠璃子はこの仲人の婦人が嫌いだ。それは見合いの印象とこの婦人が結びついているからかもしれない。しかし、見合いのたびに狼狽えたり説教をしてくるこの婦人を好きにはなれなかった。

 やがて時間が経ち、襖が開く。背の高い男前の青年が現れた。

「ヤヤ……貴女が瑠璃子さんですね。お初にお目にかかります。私は加藤正清と申します」

 瑠璃子は精一杯の笑顔をつくる。

「お初にお目にかかりますわ。私、結城瑠璃子と申します」

「昔……そう5年程前に貴女を一目見て私、岡惚れをしてしまったのです。ですから今日の席を設けていただき、本当にありがとうございます」

「ええ……どうも」

 瑠璃子は黙る。男性と話せる話題が無いのだ。正清は笑みをたたえてハンカチを握っている。

「貴女はお美しい。瑠璃子さんの名前と同じ瑠璃色の瞳、陶磁器のような白い肌。初めてお目にかかったときから全く変わりません」

「お褒めいただきありがとうございます」

「マァ、瑠璃子さん。こんな男前の方に褒められるなんて……」

「男前だなんて……そんな……」

 正清は照れたようにハンカチで顔を拭く。わざとらしい仕草だと瑠璃子は思った。確かに、この男は目鼻が整っていると思った。活動弁士のような良い声に、瞳が大きく、鼻筋が通っている。それは世間の女性は放っておかないだろう。

「ところで、瑠璃子さん。私宝石を集めるのが趣味でして……瑠璃子さんも宝石蒐集がご趣味だと父君から伺っております。どんな宝石がお好きなのですか」

「……翡翠です」

「翡翠ですか……どういったところが」

「それは、特別なものだからです」

「特別とは」

「渉さんにいただいたからです」

「ワタルサン?お友達ですか」

「婚約者です」

 正清は驚くことなく笑みを浮かべている。その様子に瑠璃子は眉をひそめる。

「そのお顔も、美しい。まるで西洋人形のようです。いや、失礼しました。婚約者の存在は知っておりましたが、苗字しか知らなかったのです」

「それで貴方は何故私に婚約者がいることを知っていてお見合いを申し込んだのですか」

「言ったでしょう。一目惚れだって。それに私、貴女をそのワタルサンから奪える自信がありますので」

「お断りします。私、渉さん以外の男性は嫌です」

 また、仲人の婦人が狼狽え始めた。すると、正清は手を叩き、笑い出した。

「ハハ……これはますます私好みの方だ……良い、よろしいです」

 正清は瑠璃子の手をとり、その手に口づけをする。瑠璃子の顔は朱に染まり、すぐにそれを跳ね除ける。

「絶対に奪える自信が無ければ、こんな無謀なお見合いを申し込みませんよ」

「そう……そうですか……ではどうやって奪うのですか。私の心はもうとっくのとうに渉さんのものです」

「私と一度だけで良いですから、デェトを致しましょう」

「嫌です。渉さん以外とお出かけするなんて絶対に嫌」

「そう……ならばそのワタルサンとワタルサンのお友達がどうなっても知りませんよ」

 これは明らかな脅迫だ。応じるしかないのかと思い首を縦に振ろうとしたそのとき、廊下を走る音が聞こえた。

「なんでしょう。とってもいいところだったのに」

 正清は明らかに悔しがっている。足音はどこかの部屋を探しているようだ。怒鳴り声と共にあちこち襖を開く音が聞こえる。やがて瑠璃子たちの部屋の襖もピシャリと開かれた。そこにいたのは、頬が腫れ、服もボロボロの渉の姿であった。その姿を見て瑠璃子は思わず立ち上がる。

「渉さん……」

「今、蔵人くんが旦那様を止めてくれています。瑠璃子さん、こんなお見合いを止めさせに来ました」

 正清は初めて驚いたような顔をする。

「君が……石田さんだね……。イヤ、婚約者の顔も拝めるとは。もうすぐ元になるがね。お初にお目にかかります。私、加藤正清と申します」

「エエ……初めまして……石田渉と申します。貴方様とは違う貧乏学者です」

「それが、瑠璃子さんを苦しめてるご理由ではありませんか」

「一体どういうことですか」

「貴方にお金がないからです。もし、仮に私が先に出会っていれば瑠璃子さんの心は私のものにすぐになった筈です。しかし、貴方がいて、先に出会ってしまった。貧乏な貴方に心惹かれてしまった」

「逆に貧乏だから、瑠璃子さんと出会えました。俺は貧乏でよかったと思います」

 廊下をどたどたと走る音が聞こえてきた。結城氏だ。

「……これは……加藤くん……失礼したね……この男は……」

「構いませんよ。瑠璃子さん、ひとつお願いがあります」

 そういうと瑠璃子の手をとり、深く傅く。「私と一度だけで良いのでデェトしていただけませんか。それで渉さんと私とどちらにするかお決めになればいい。渉さんを選ぶのであれば、私は身を引きます」

 その場はシン、と静かになる。

「よろしくお願いします。瑠璃子さん。どうか」

 瑠璃子の発言に皆が注目する。

「分かりました。貴方がそれでご納得されるのであれば」

 正清は微笑む。

「ありがとうございます。ではデェトは三日後。瑠璃子さんのお宅まで車を回します。それでいいですね」

 賢い男の笑みを見せられ、渉の背筋は一瞬ぞくりとする。しかし、瑠璃子の気丈な顔を見るとどことなく安心感を覚えたのである。

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