第15話 逃亡劇-正午ー
鉄道に乗り、横浜を脱した渉と瑠璃子は腕を組み歩いていた。渉と瑠璃子はあと二日間、どこかで身を隠す必要があった。二日間かけて小西氏が瑠璃子の父を説得する、と約束してくれたのだ。小西氏と渉は二日後に品川のとある老舗の海苔屋にて落ち合うという約束をしていた。おそらく瑠璃子の父は東京にまで捜索の手をのばすだろう。しかし、小西氏と約束した二日後までなんとしても逃げ仰せなければいけなかった。
「渉さん、私、浅草寺は初めて見ました」
二人は木を隠すなら森の中と言わんばかりに人の多い仲見世通りを歩いていた。仲見世通りは赤煉瓦で造られており、どことなく横浜と似た雰囲気を醸し出していた。しかし、二人の目的は浅草寺ではない。浅草寺の付近にあるとあるビルを探すついでに寄ってみただけである。二人はとある探偵事務所を探していた。
「渉さん、凌雲閣にも行ってみたいです」
「そうですね。時間潰しには最適ですが、ちょっと待っていただいてもよろしいですか」
渉は瑠璃子の一切合切の面倒を見なければいけなかった。今日の宿も決まっていなければ何を食べるのかも定まっていない。渉は瑠璃子を連れ出したはいいが、少しだけ困っていた。
やがて仲見世通りを通り過ぎ、二人は神谷バーの付近に出る。渉は大きな通りに面した煉瓦積みの緑色の屋根のビルを探していた。瑠璃子は物珍しそうに左右あたりを見回している。
「私、横浜を出たの、初めてです。渉さん」
「こんなときでもなければ、ハイカラな食べ物とか凌雲閣とか色々と観光したかったですね」
瑠璃子の白い肌がそっと渉の右半身に吸い付く。
「また、来ましょう。私、貴方とずっとずっと一緒ですから。お父様が私を勘当するのであれば、私も一緒に働きますし、このままもういっそのこと逃げ続けて……」
渉は瑠璃子の方を真っ直ぐ見つめた。蒸し暑い空気の中、渉は汗を拭う。たしかにそれもいいかもしれないと思った。しかし、瑠璃子の父にとってそれは幸福ではないことはすっかりわかりきっていたことだ。
「瑠璃子さん、小西さんはきっと旦那様を説得してくれます。待ちましょう」
瑠璃子は俯き、首を小さく縦に振った。
十五分、二人は黙々と歩き続けた。すると、甘味屋の前に目的のビルが現れた。赤茶けたビルには「藤堂ビルヂング」と大きく書かれている。二人はビルの階段を登る。そこにはガラス戸があり、ガラスには「藤堂探偵事務所」と金文字で書かれていた。渉は軽くノックをして、事務所に入る。小さな鈴の音が鳴った。中に入るとそこは本にまみれた部屋であった。ソファの上で男が一人、本を顔にかぶせで寝ていた。
「蔵人くん、蔵人くん」
渉は男を強めに揺さぶる。男の顔の上に乗っていた本がばさりと落ちる。
「うん、大谷。あと一時間寝かしておくれ……僕は昨日遅くまで起きてたから眠いんだ……」
「違う、大谷じゃない。俺だ石田だ」
そう言われて男は目を開けてむくりと上半身を起こす。
「ええ……石田さん……」
藤堂は心なしか残念そうな顔をしている。
「石田さん……そちらの女性は……もしかして」
「婚約者の結城瑠璃子さんだ。お前に頼みがあってきた」
藤堂は深い溜息をつき、頭を掻く。
「石田さん……待ってください……。実は結城瑠璃子さんのお父様から僕に依頼がありまして……結城瑠璃子さんを探すことになっているのです……」
「そんな、お父様……」
瑠璃子は手で口を覆う。渉はこの男まで「敵」にするのかと思った。藤堂は立ち上がり、机に向かう。机には赤い三角錐がありそれには「探偵」と書かれていた。藤堂は机から一枚の紙を取り出す。
「昨日、電話でご依頼がありました。白い肌に青い瞳の少女と、一緒にいる男を保護してほしいって。名前を聞いてびっくりしましたよ。まさか、石田さんだったとは……」
「それで、蔵人くん。俺たちを保護するのかい」
「イエ、今はしません。勤務時間外ですから。それに、これから結城さん……貴女のお家の方が来て色々と打ち合わせをするのです」
藤堂は一枚の地図を出す。宮城を中心に描かれた東京市の地図だ。藤堂は腕時計をちらりと確認し、東京市の地図を指で指しながら説明を始める。
「今が正午。僕、貴方たちを全力で探したフリをします。その結果浅草から上野に行く方向に歩いていく二人を見たという目撃証言を得た、ということにします。だから、石田さんたちはなるべく反対側。できれば品川とかそっちの方面にお逃げください。東海道方面の鉄道にお乗りいただいて神奈川県内を逃げてもよし、品川で適当に宿を見つけてもよし、サァサァなるべく早くお逃げください」
「ありがとう、蔵人くん」
そう言って瑠璃子の腕をとり、渉はつかつかと玄関に向かう。瑠璃子は小さく会釈をする。こうして二人は当初の目的を前倒しして品川方面に向かうことにしたのである。
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