第12話 仲直り、そして。
見合い、その言葉に皆一様に顔を見合わせる。石田渉は婚約者の筈だ。それなのに何故、今更見合いなどするのか。その場にいた者は一斉に渉の顔を見る。渉は自分は何も知らぬと言わんばかりに頭を振った。宇喜多が重々しく口を開く。
「どうやら、結城氏は石田さまより相応しいと考えた人物を見つけたご様子」
「宇喜多、その人物を詳しく調べなさい」
「お嬢様のためなら喜んで。八丈島まで泳いで行く所存」
「八丈島?」
「気にしないで、宇喜多のいつもの口癖だから。そんなことよりどういうことなのかしら」
ふみは軽く首を傾げ、唇に指を当てる。ふみの父は長い髭を撫で、何かを考えているようであった。渉はただひたすらに困惑をしており、ふみの母はわなわなと震えている。
「一体何故なんでしょうか……」
「奥様、これはどうも結城氏が独自に決めた動きのご様子。瑠璃子様のご意志では無いと愚考しますぞ」
「何故ですか」
ふみの母は静かに言う。女を商売の道具のように扱うなどと、この場で一番怒っているのは彼女であった。
「最近台頭してきた太陽合資会社のことを旦那様はご存知ですな。あそこの若頭領、加藤正清殿が瑠璃子様にお見合いを申し込んでおられたとのお噂。その方が今回のお見合い相手と愚察」
「とるもとりあえず、渉くん。瑠璃子の家に行った方がいいのではないかしら。大丈夫、僕も一緒に行くから」
いまの渉にとっては何よりも心強い言葉であった。渉は黙って頷く。真相を知る覚悟は出来たようだ。
「お車の手配は既にできております。この翁、精一杯調べさせていただく所存」
渉はふみと共に花緑青の車に乗る。車は勢いよく発進した。車はすいすいと街をすさまじい勢いで走っていく。中では渉が天井や前の座席に身体をぶつけ、ふみは涼しい顔で手すりにつかまっていた。じゃじゃ馬のように発進した車は大きな門扉がある邸宅の前で急停止した。紛れもなく、結城邸だ。ふみと渉は車を降り、門扉を開ける。生暖かい空気の中、梅の果実がなっている庭園に出た。ふみは迷わず邸宅の玄関でなく、庭園の方を進んで行く。渉は不思議に思いながらそれについていく。やがて二階にバルコニーのあるところについた。
「ここが、瑠璃子の部屋よ。まだ電灯はついてるから起きているわね」
「よくご存知ですね」
「あら、貴方婚約者の部屋に入ったことはないのかしら」
「残念ながら……」
「いまは無駄口叩いている暇は無いわ。少し待ちなさい」
ふみはそこら辺にあった石ころを拾い上げ、バルコニーに向かって投げた。石が窓にぶつかったようで、少し重い音が鳴る。ちょっとの間があってから扉が開く音が聞こえた。そこには、瑠璃子がいた。バルコニーから下を眺め、渉とふみの姿を見つけると顔を輝かせた。
「渉さん、お姉さま、何故ここに。少しお待ちください」
小さな声が聞こえて瑠璃子は一体姿を消す。やがて瑠璃子が頬を朱色に染めて庭を走ってきた。
「渉さん、今日はごめんなさい」
瑠璃子は渉の手を握る。渉は瑠璃子より幾分か大きな手で瑠璃子の手をそっと握った。
「瑠璃子さん、俺こそすみません。瑠璃子さんのこと……」
「私のこと、大事に思っていただけてたのは知ってました。でも、貴方が私の家に引目を感じて一歩引いていたのは常々感じていました」
「俺……情けないですが、これから貴方と真正面から向き合いたいと思います。もう自分を蔑んだりしません。瑠璃子さんの傍にいることが俺の何よりの幸せです」
ふみは見ている方が恥ずかしいと言わんばかりにそっぽ向く。ただ、唇は「お幸せに」と動いていた。
「それで、瑠璃子。お見合いって本当なのかしら」
そこにふみがいたことを思い出したように、瑠璃子は渉の手を離す。羞恥のあまり、顔と耳はリンゴよろしく紅に染まっている。瑠璃子の声が低く小さくなる。
「本当です。相手は太陽合資会社の加藤さん、という方です」
「やっぱり。宇喜多の情報は間違っていなかったわね。瑠璃子、そのお見合いどうしてそうなったの」
「実は…お父様に『渉さんなんてもう知らない』と言ってしまったのです。そしたら、お父様がお見合いをすると言い出して……」
「なるほどね。これは瑠璃子のお父様にしてやられたわね。あの狸親父、ずっと瑠璃子にお見合いさせる機会を狙っていたんだわ。それでお見合いは何日後なの」
「三日後です、お姉さま」
ふみはぐるぐるとその場を一周し、瑠璃子と渉を真っ直ぐ見つめた。
「とりあえず、僕のうちに来るのよ。大丈夫、瑠璃子のお父様には後ほど連絡するから」
「でも、着物が……」
渉は今まで気づかなかったが、瑠璃子は青い長襦袢姿だった。女性のそんな姿を見るのは初めてで、渉は勢いよく息を吸う。瑠璃子はその視線を感じてか、非常に恥しげであった。
「着物ならうちに腐るほどあるから心配なくてよ」
ふみは瑠璃子の手をとり、歩き始める。渉は一拍置いてそれに続く。一方、その姿を瑠璃子の部屋のバルコニーからじっと見つめる人物がいたのである……。
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