第18話 ダンデロン潜入(黒羽)
ノール暦327年、7月第4週。
私は、マトゥラスの繁華街の真ん中にある、ダンデロン商会本店の中をさまよっていた。
マーユ・ドナテラが水人アイララによって救出され、私が私としての自我を取り戻した日の翌日である。
今朝、アイララから「赤の円環」という言葉が出たあと、マーユはさらに詳しい情報を聞きたがって詰め寄った。
だがアイララは、自分にも曖昧な情報しかないのだと言い、「それより今はリーカやジュールを救出するため、彼らの情報を急いで集めるのが先決」と説得した。
これにはマーユも納得せざるをえなかった。
マーユとアイララは、エドラン工房などでリーカの足跡をたどることで手がかりを探す。
そして私が、誰にも見られないという利点を活かし、単身でダンデロン商会に潜入することになった。
アイララは私の家族であり仲間であるそうだが、それにしてもお互いを認識しあった翌日から、遠慮のないこき使い方であった。
ダンデロン商会の本店を一言でいうなら、無数の廊下が縦横無尽に走る迷宮である。
何十回も増築と改築を繰り返したのであろうその建物は、もはや1個の建造物とは思えないほど巨大で複雑であった。
店舗部分から入り、事務所の天井あたりをさまよい、従業員控室で耳をすます。
数時間で、基本情報は押さえた。
6年半前、マーユを手に入れるために高等裁判所の裁判官を買収したことは、やはりダンデロンに大きな傷を残していた。それまで強権を振るってきたワイダ・ヘイルという会頭が責任を取って辞任。彼は収監されいまも裁判中だという。
次の会頭となったのがルビンティン・トーという女性である。彼女は穏健派であり、現大公コレリアルの妻でやはり穏健派として知られるルティスという女性の親友であった。ベッグ・シナードもルビンティンの派閥に属しているが、かつてワイダの命令にしたがいドナテラ農園に行ったことで、立場はやや微妙だそうだ。
強引さを嫌い大公家ともつかず離れずを貫くルビンティンの方針は、ダンデロン商会の敵を減らしたが、売上の低下にもつながっていた。それをついて巻き返しをはかっているのが、ワイダの息子ロレンツ・ヘイルの派閥である。ロレンツは大公コレリアルの弟ジラーに接近し、業績をあげようと躍起になっている。
先代大公ディロウの100年にも及ぶ治世のあと、5年前に後を継いだばかりのコレリアルの政権はまだ基盤が不安定であった。コレリアルはすでに100歳を越えているが、可もなく不可もない人物、というのが昔からの世評である。それだけに彼に影響を及ぼす側近の地位をめぐって、大公家の中でも権力争いが熾烈であった。妻ルティスはほとんど表に出てこないが、その息子のガーサントは積極的に行政に関わっている。いっぽう実弟のジラーは野心あふれる有能な人物として知られており、実質的な宰相の地位にいた。
ルビンティンやシナードが公妃と公子の支援を受けるトー派閥と、ロレンツが宰相の支援を受けるヘイル派閥の対立、というのが現在のダンデロンの構図である。
リーカ誘拐にダンデロンが関わっているとしたら(おそらく間違いないが)、それはトー派閥ではなくヘイル派閥のしわざである可能性が高い。そう判断した私は、ロレンツ・ヘイルとその一味を探しはじめた。
が、これが濃霧の中をさすらうような仕事であった。
なにしろ、ロレンツは表立った商会の仕事をしていないのである。彼はなんと「顧問」であった。具体的な仕事をしていないので、誰も彼がどこにいるかを人に訊ねない。ロレンツが何かをやっているらしい、という話は聞けても、商会の事務所で働く者は誰も彼に用事がないので居場所がわからないのだった。
夕方になるまで無為に商会の天井を移動し続けたあと、僥倖が訪れた。奥の廊下を急ぎ足で歩く1人の男に見覚えがあったのだ。
マトゥラス商業学校の教師、パウリ・ロガンだった。
ロガンは難しい顔で廊下を歩きつづけ、商会の最奥の、一見そこにあるとわからないような扉を開く。その奥に、豪奢な扉が隠れていた。
扉の中で待っていたのは数人の男たちで、中央にはソファに座り柔らかい笑みを浮かべる、ぽっちゃりした中年男がいた。おそらく彼がロレンツ・ヘイルなのだろう。評判とはまるで違う、温厚で人あたりのいい雰囲気の男であった。
「ああ、わざわざおいで頂いてすみませんな、先生」
ロレンツらしき男はそう言いながら、まあどうぞ、と向かいのソファをパウリに勧める。
「いえ。それより何かあったのでしょうか?」パウリは座れというのを断り、立ったまま問いかけた。
「マーユ・ドナテラが監禁場所から逃げてしまいましてね。いや、お恥ずかしい話です」
「えっ……どうやって? 監禁されたら逃げられない場所と聞きましたが」
「何者かの手引きがあったようですが、詳細は調査中です」
「なるほど……」
パウリは熱の入らない相づちを打つ。ロレンツの後ろにいた側近が、イライラした調子で口を出した。
「急いで再捕獲しなくてはならん。父親に連絡されると、なかなか厄介なことになるのだ。君も捜索に協力したまえ」
「いや、そう言われましても。私には勤めもあるので」
「彼女が立ち寄りそうな場所に心当たりはありませんかな」ロレンツが微笑みながら問いかける。
「……もう学校には戻らないのではないでしょうか。あとは中央図書館、エドラン工房、魔術研究所。そのくらいです。前にお伝えした通りですよ」
「そうですか……。では、気づいたことがあったらお知らせください。そうそう、マーユの友人の……サリーレ嬢でしたか、彼女に連絡がいくかもしれませんな。探っていただけますかな」
「……わかりました」パウリは頭を下げると、部屋を出ていった。私はロレンツたちのもとへ残る。
先ほどパウリが挙げた場所には、今日マーユたちが訪れている可能性がある。大丈夫なのだろうか、と心配になるが、とにかくいまはロレンツたちを探らねばならない。
「あいつ、協力するのを嫌がってましたね。意外に使えない男だ」側近が冷たい声で言った。
「まあまあ、学校の教師にしては情報を探るのも上手いですし、よくやってくれましたよ。……いっそドナテラの捜索は、<毒使い>に任せてしまいましょうか」
「えっ、しかしそれは……」
「ジラー閣下の話では、あと数日でわかるそうですよ。あの岩人も、だいぶしゃべるようになっているそうです。ウォードの洗脳技術はたいしたものですねえ」
ロレンツは、いま大事なことを言った。リーカはここにはいない。おそらく宰相ジラーのもとにいるのだ。
そしてもうひとつ。北にある大国ウォードの技術とやらで、リーカは思考をいじられているようだ。
「つまり数日経てば、ことは全て終わるということですか。それまでのことにすぎないなら、奴にまかせておけばいい、と」
「ええ。ドナテラが自由に動けないようにしてくれればいいのですよ。<円環>を手に入れたら、もう後はどうにでもなるそうです」
「ロレンツ様。<赤の円環>とは、そこまでのものなのでしょうか。大公家の最大の秘密、ということらしいですが……」
「さてね。私たち商人としては、顧客のジラー閣下とその後ろにいる方がそれを望んでいる、それで十分ですよ」
……私は、思わずくるりと宙返りした。
まさかロレンツとその一味が、<赤の円環>が何なのか知らないまま動いていたとは……。
……白い羽。乱舞する白い羽。甲高い、悲鳴のような絶叫。
奇怪な光景がまたも記憶のなかから姿を現し、確かめる間もなく消えていく。
<赤の円環>。
みながそれを求めながら、どこにあるのかもわからない。どんなものかも、よくわからない。ただ、それをめぐって思惑が交差し、多くの者が運命を狂わせる。
陽炎のような謎の存在。結局、それは何なのか、何のためにあるのか。
いまの私の記憶のなかに、その手がかりは何もなかった。
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※4部も残り少ないのですが、ここで書き溜めが終わってしまいました。続きの執筆にはちょっと苦労しているので、次の更新まで少し時間をいただきたく。よろしくお願いします。
ロンリー・ローリン・スケルトンボーイ 大穴山熊七郎 @chousuke
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