第3話

 翌日。前日の花子さんとのやりとりに、少しばかり頬を綻ばせ、心躍りながら屋根裏倶楽部の活動場所に向かった。

本日の活動場所は、武道場の屋根の上だと聞いていたので、寄り道することなく真っ直ぐに向かったのだが、屋根の上に袋田くんの姿はなかった。

袋田くんが事前に予告していた活動に来ないことなんて、今まで一度も無かったので、面食らったが、急勾配の瓦屋の上に、一枚の書き置きと、それが風に飛ばされまいと、小さな設楽焼きのたぬきが置かれていた。


『本日の活動は、倶楽部長、袋田の所用により中止とさせていただきます。昨日の君のロマンスと青春についてのお話は、また後日、お聞かせ願いたく思います。』


 明らかに僕が来ることを想定していた書き置きと、当たり前の様にプライバシーを侵害して来る彼の小ずる賢さは、感嘆する他に無かった。

いつものルーチンを失い、急に手持ち無沙汰になった僕は、次にどこに行こうかと思案する。

花子さんは、僕の知る限り連続で登校してきた事はないので、今日は会えない。有栖川先生はどうだろうか。

仕方なしに武道場から飛び降りると、理科室へと向かった。


「おう、また来たのか。」

今日も理科室には鍵が掛かっていたので、いつもの手法で解錠し、中へと入る。

有栖川先生は、今日も、一昨日と同じ位置で、しかし本日はきちんと椅子に腰掛け、何やら書き物をしている。

「先生、何書いてるんですか?」

先生の背後から、手の内を覗き込みながら声をかける。

「新しい遺書だよ。」

「また自殺しようとしてます?」

「それが俺の生きる意味だからな。それに、またってなんだよ。今まで自殺が成功したことなんて一度もねえぞ。」

「意味わかんないです。」

そんなやりとりをしながらも、先生は遺書を書き続けた。一文書いては、何やら納得が行かないのか、うーんと首をひねり、それをぽいぽいとゴミ箱に捨てている。

丸められた遺書はとうにゴミ箱から溢れ、鋭角の山のようだ。

会話はとうに途切れていたが、夢中で何かの作業をしている人を眺めているのも嫌いでは無かったので、その様を、有栖川先生の気に障らない程度に、ちろちろと眺めていた。

ふと、その傍らに積み上げられた、おそらくボツとなったであろう遺書に目をやる。

特に意図はないのだけれど、その山の一つを手に取り、有栖川先生の邪魔をしない様に、優しくそろそろと開き、目を通す。


『私は、恋い慕う者と、恋い慕うものが恋したこの学び舎を失うことに、どうしても耐えることが出来ない。其れ故、この学舎と共に、この命を散らすことも辞さない。私の最愛の人と共に、ここに没することも厭わない。』


 まず目を引いたのは、「恋い慕う者」という一文である。当然の事ながら、僕は有栖川先生に思い人がいるなんていう話は聞いたことがないし、この自殺フェチにもそんな一面があったのかと、是非とも詳しく話を聞いてみたい所だ。しかしながら、次の一文。『この学び舎を失う』というところで、僕の頬を冷や汗が伝うのを感じた。

 学び舎を失う。これは、有栖川先生の主観として、失うという事なのか、それとも、物理的になんらかの事由でこの学校が無くなるということを意味するのか。心臓が脈打つのを感じた。


 もし後者であったとしたら、今後僕はどうなってしまうのか。少なくとも、僕自身は学校外の場所に行った事など無かった。一度校庭から外へ出ようとしたが、まるで見えない壁があるかの様に、阻まれてしまったのだ。我武者羅に体当たりを繰り返している僕を、袋田くんは鼻を鳴らして嗤っていた。

人のボツにした遺書を漁るのなんて、趣味が悪いとは思ったが、その積み上げられた希死念慮の中から、もう一枚を手に取る。

やはり、そこに書かれている内容は同じだった。

句読点の位置が少し違うのと、文章が途中で若干右方に逸れている。

そのまま続けざまに何枚もの遺書を確認していった。英語で書かれている物、横書きで書かれている物、新聞紙の文字を切り抜いて組み上げられた物。どれもこれも、まるでこの学校が無くなる事を憂いる様な文章が連ねられている。

ついに、其の言葉の意味を真に確かめたくなり、有栖川先生に視線を向ける。

僕は遺書を読むことに夢中になっていて気づかなかったが、先程まで遺書を書いていた有栖川先生は、いつの間にやらその手を止めて、僕のことをじっと見つめている。そして

「ごめんな。」

と、ポツリと呟く。

僕が欲しいのは謝罪の言葉ではない。この遺書に書かれている言葉の、明確な意味だった。

けれど、その時の有栖川先生の、悲しむような、哀れむような、同情するような、優しい顔を前に、僕は紡ぐ言葉が見つからなかった。

呆然と立ち尽くした僕に、有栖川先生は

「今日は、もう帰ったほうがいい。」

と、そう言った。

僕は、頭の中で渦巻く疑問と、有栖川先生の優しい目に耐えられなくて、早足で教室を出た。

「今度、また来ますから。」

「ああ、すまないな。」

人の遺書を勝手に読み漁り、その内容を詮索しようとした僕に、怒る訳でも無く謝罪した。

それが余計に不安を煽る。先生は帰れなんて言ったけど、どこに帰ればいいのか分からない。


 四階まである校舎の階段を、勢いに任せて登り切った。

結構な速さで登りきったからなのか、向かい風で僕の火照った頭部は冷やされて、そこで立ち止まった時にはいくらか冷静さを取り戻していた。

僕がここまできた理由は、何も自棄になって飛び降りようとした訳ではない。

僕が知る限りで、袋田くんと張るくらいに、もしかすると、それ以上に、この学校に精通している人物に会うためだった。しかしながら、彼と会うと毎回鼻が曲がってしまうので、ここ最近は距離を置いていたのだ。

屋上に出る扉の前には、六畳ほどの小さなスペースを介する。そのスペースの入り口にあたる部分の両側に、門のように机が積み上げられている。そのてっぺんとてっぺんに大きな暖簾の様な布を渡らせて、簡単な仕切りが作られている。

「寿さん、いるかい?」

その暖簾を前にして、寿老人に問いかけると、しばらくした後、中から「ぶー」と放屁する音が聞こえた。

「ありがとう、入るよ。」

僕は、片手で暖簾を引き上げると、それを潜る様にして中に入る。

あいも変わらず、煩雑な 場所である。基本的に校舎内は、広々としていて、ものが少ないが、ここだけは別だ。

どこから拾って来たのか、古めかしい、ダイヤル式のテレビや、露出が多い女性のポスターや、がらくたや、がらくたが、所狭しと詰め込まれている。

本来、踊り場よりは多少広く作られているそのスペースも、物で溢れてしまい、踊り場以上に窮屈に感じられる。

その真ん中に、まるで、離れ小島の様に、すっきりとしたスペースがあり、小さなちゃぶ台が設置されている。

寿老人は、ズルズルとカップラーメンを食べていた。

「こんばんは、お食事中にごめんね。」

彼は、カップラーメンをすする口を止めずに、再び大きく放屁をした。

僕は、彼が尻以外の場所から言葉を発するのを聞いたことがない。

けれど、その放屁の音は、大にも小にもなるし、高低も変化する。放屁の音ひとつで、彼とのコミュニケーションは概ねこと足りるのである。


 先の放屁の音は、僕の来訪を歓迎するものだと捉え、辺りに散らばるガラクタたちを踏むことがない様、細心の注意を払いながら、彼の対面に座した。

寿老人は、体格が良く。全身の毛がもしゃもしゃで、まるで大きな猿の妖怪の様だ。

かろうじて、彼を人間たらしめるものは、その体毛の中に合間見える白い毛たちだ。

もし猿にも白髪が生えるのであれば、彼を人間たらしめる根拠は覆されるのだけど、猿ならキーキーと話すこともできるので、進化と言えるのかもしれない

「ねえ、寿さん。この学校が無くなるとしたら、どうする?」

寿老人は何も言葉を発しない。

これに関しては、僕の失態だった。寿老人と対話するときには、放屁だけで判断がしやすい、クローズドクエスチョンが基本なのだった。

「ああ、聞き方を誤った。ごめんね。僕もちょっとさ、動揺してて。」

すると、寿さんは、寂しげに「すぅ」とすかしっ屁をする。

それは彼なりの慰めの言葉なのだろうと、好意的に解釈した。

「この学校がなくなってしまったら、寂しいよね?もし、同意してくれるなら、屁をこいてくれないかな。」

寿老人は、カップラーメンを啜るのをやめ、数秒思案したのちに、ぶーっと、肯定の放屁をした。

「ね。やっぱり、寂しいんだよね。それにさ、これから先僕はもちろん、寿さんもどうなることやら。」

寿老人は何も返答することなく、カップラーメンを啜っている。

「もしかしたらさ、無くなっちゃうかもしれないんだ。僕が先走ってるだけかもしれないんだけど。」

そうして、僕はことの顛末を寿老人に報告した。

彼が、麺も汁も無くなったカップを、かぽん、ちゃぶ台の上に置くと、先ほどまでは咀嚼音が響いていたこの場所に、静寂が訪れた。

寿老人も、困惑しているのだろうか。僕の知る限り、彼は基本的に、飯を食べるか、屁をするか、何かしらの音を立てている。

すると、彼は僕に背中を向け、そこに広がっているガラクタをガタガタとあさり始める。

どうやら僕に何かを見せようとしているのか。

やがて彼は、その山の中から一つのカップ麺を取り出すと、傍にあったヤカンから湯を注いだ。

どうやら、お腹が減っていただけの様だった。しかし、彼が漁っていたガラクタの山の中に、一つの古ぼけた写真が見えた。

撮影されてから時間が経って、随分と色褪せた写真と、その写真の中で笑う、袋田くんと、僕の姿を。


 次の日も、屋根裏倶楽部の活動は中止であった。

先日の遺書の件も然りであるが、あの日寿老人の部屋で見かけた写真も、僕にとっては大きな気がかりであった。

僕にとっての問題は、学校の今後の存亡だけではない。

毎日のうのうと、袋田くんと茶を飲み、有栖川先生と話し、花子さんに恋慕し、寿老人の屁を嗅ぐだけの生活を満喫して目を逸らして来たが、そもそも僕には、僕自身の正体がよくわからないという大きな問題を抱えている。昨日寿老人の写真を見て、そんな僕の正体を知るヒントを得たとともに、自分がのうのうと今の生活を満喫していたことに、些か自責の念を感じる。

すると如何だろうか、次に僕の心は、疑心暗鬼に支配され始める。

少なくとも、僕の写り込んでいる写真を所持していた寿老人は、僕の正体について何か思うところがあった筈だ。言葉を発することのない寿老人であったとしても、何らかの手段で、例えば写真を僕に見せて指で示すとか、伝える手段くらいはあった筈なのだ。しかし、それをしなかったということは、あえて僕にひた隠していたと感じてしまう。

そう考えると、何もかも疑わしかった。茶を飲みながら茶を濁す袋田くんもだが、遠回しに僕は僕のままで良いと伝える花子さんも。実は其の優しさは裏返しで、僕に余計な詮索をさせないための詭弁であったのではないかと感じてしまう。

しかしながら、次には、人を疑うことを良しとしない僕の中の良心が、そんな筈はないと意義を唱え始める。

頭の中で天使と悪魔が互いを罵り合うように、二つの思考がぶつかり合っている。

生まれてこのかた(数週間程度ではあるが)このような葛藤を感じたのは初めてだった。

対処の仕方がわからない。こんなときに相談するべき相手もわからない。

少なくとも、この学校にいる袋田くん、有栖川先生、花子さん、寿老人は、今まさに僕の疑心暗鬼の渦中にいる人間たちなのだ。

それでも、どうにかこの葛藤を納めたかった。


 そんな葛藤を抱えながら、武道場の屋根の上から校舎を眺める。袋田くんの書き置きは昨日のままだ。普段ならなんてことはない眺めなのだけど、今日の僕にとって、そこは未知の、恐ろしい場所のように思えた。

人は、未知の出来事に恐怖心を覚える。僕にとって、学校がなくなるという話も、僕が写り込んだ写真も、全く未知のものではあったが、そもそもが、慣れ親しんだつもりでいるこの学校自体が、僕にとっては未知のものなのだ。

「何も知らないんだよね。」

自分の中の、うごうごと渦巻く思いを、ガス抜きするように独り呟く。

きっと、こうしてここで夜が明けるのを待っていても、天使と悪魔の罵り合いは続くのだろう。このままでは、いつしか罵り合いはステゴロにでも発展しかねない。

僕は、頭の中にいる天使と悪魔が、少しでも事を穏便に解決することができるために、その未知を、既知に変えるために、行動する事を決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不夜校 百瀬 @momomose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ