第2話
翌日の屋根裏倶楽部は、理科室とは逆側の校舎の、屋上の、貯水タンクの上で開催された。
素直に屋上の平らな場所で行えば良いのでは無いかと思ったが、どうも袋田くんは高い場所にこだわるらしい。
バランスの悪い貯水タンクの上に、あまつさえ小ぶりのガーデンテーブルと椅子2脚を並べて居るのだから、非常に窮屈でたまらなかった。
時折タンクの中から響く水滴の音が、その鉄扉の薄さを匂わせるので、いつ扉が抜けて下に落ちてしまうのかと気が気では無い。
そんな場所でも平然と、優雅な手つきで茶器を扱う袋田くんに、昨日の出来事を報告した。
あくまで「またやった」としか言わず、事の詳細を告げなかった彼に一抹の憤りを感じもしたが、それに関しては、詳しく確認しなかった僕にも落ち度はあるので、触れることはなかった。
「結局、昨日も失敗したんだってさ。」
しかし、そんなことは想定通り知っていたさ相変わらず物を知らないね君はと言わんばかりに、袋田くんは優雅にカップをソーサーに戻すと
「そうかい。」
と返答する。
そこでようやく、気づいた。
袋田くんは、僕を情報収拾に使ったんじゃ無いかと。
彼は非常に物知りなのだけど、不思議と彼が自分の足を使って地を歩いているのを見たことがない。
いつでも、ふてぶてしく椅子の上に腰掛けている。
しかしながら、校内のありとあらゆる事象を、粗末なことまで把握しているのだから、なんらかの情報網を持っているのだろう。
その情報を収集されるための、謂わば彼の脚として、僕は使われたのではなかろうか。
今に思えば、彼の情報を制限し、やけに不安を煽る様な物言いも、その為だったのだと思う。
「おいおい、そんな悪代官でも見るような目で僕を見ないでくれよ。」
袋田くんは、ふふん、と鼻を鳴らす。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕は包金銀なんて持っていないからね。」
何もかもお見通しの袋田くんに、些か腹を立てながら紅茶を啜る。
「そうムッとしないでよ。僕は君に感謝しているんだから。なにせ、屋根裏倶楽部の唯一の活動部員だからね。」
そうなのだ、ここの所、僕は毎夜、袋田くんの元を訪れている。僕が来ている限りでは、僕と袋田くん以外に部員はいないみたいだけど、あえて「活動部員」なんて言い方をするのだから、メンバー自体は他にもいるのだろう。
「けど、いい加減、少し食傷気味だね。」
「しょくしょう?」
「お腹いっぱいってことさ。」
「へえ」
袋田くんは本当に物知りだ。
しかし、僕とのやりとりを、お腹の調子で例えるなんて、その恰幅に見合った食いしん坊だ。
そう考えて、少しニヤリと笑うと、袋田くんはさも満足げに、うんうんと頭を上下させた。
「さて、今日の活動はもうそろそろ終わろうか。」
袋田くんはそう切り出した。
「え、まだ夜更けすぐだよ。」
昨日に続き、少し早目なお開きに、面食らう。
「僕は忙しいのさ。」
僕が面食らったことすらも面白がるように、彼は得意げだ。
「そうだ、今日は花子さんが来ているのを見かけたよ。」
「それを早く言ってくれ。」
これからどう時間を潰そうかと考えていた僕に、またも袋田くんは見透かした様に言った。
「だって、そのことを教えたら君は一目散に活動をサボって、花子さんのところに行くだろう。」
「当たり前だ。何故花子さんを差し置いて、君みたいな男と優雅に茶なんて飲まなきゃいけないのだ。」
「それ見ろ。」
僕は、カップに残っていたダージリンを一気に飲み干すと、貯水タンクの上から飛び降りて、その場を後にする。
「全く君は薄情なやつだな。」
後方からそんな声が聞こえたが、僕は全く意に返さなかった。
昨日理科室に忍び込んだのと同様に、屋上の鍵を解錠すると、一目散に校舎に向かった。
もう一棟、理科室がある校舎の屋上では、薄茶色のTシャツが、ひらひらと夜空を泳いでいた。
花子さんは、その名の通り、女子トイレにいる、わけではなく
いつもの通り、一階の教室の、一番後ろの席で、机に肩肘をついて、暇そうに校庭を眺めていた。
「花子さん。こんばんは。」
花子さんは、その体勢を変えることなく、視線だけ一度僕の方に移し、また校庭の方に戻した。
「おっすー。久しぶりじゃん。」
「うん、久しぶり。」
花子さんは、登校するたびに髪の毛が違う人のようになる。
今日は、桜色に染められた、ゆるいパーマの髪を、登頂でまとめて、しかしその先は噴水見たいに広げた髪型になっている。
「髪型、変えたんだね。桜の噴水みたいで素敵だ。」
女性の容姿に変化が見られた時には、必ず口に出して伝える事、頃は袋田くんに教わった。
しかし、ニキビなどのマイナス面と考えられる場合は、その限りでもないと言われたが、花子さんの真っ白な頬は、ニキビどころかシミ一つなかった。化粧がなされているのか、ほんのりと赤みがかった頬がなんとも扇情的だ。
「噴水って、それ褒めてんの。」
花子さんは、ころころと笑った。
普段は無表情で、不愛想に見えるけど、笑顔になると、途端と可愛らしくなる。
「花子さんの笑顔って素敵だよ。ずっと笑っていればいいのに。」
「なにそれ、袋田に何か仕込まれたなー?でも、桜の噴水ってなんか幻想的でいいね。」
「ああ、じゃあそうだ。幻想的な髪型。」
花子さんは「ふふふ」と小さく笑って
「けどさ、そういうわけにもいかないでしょ。花子さんって、本来こわーくなきゃいけないんだからさ。」
花子さんというのは、どうも昼の学校の生徒たちにとっては、伝承みたいなものらしい。
二階の隅の、女子トイレを、何回だか忘れたけれど、コンコンとノックすると、花子さんが現れて、生徒を便器の中に、ずるずると引き摺り込むらしい。
「なんだか、やだね。悪趣味だ。」
花子さんは、僕に向けていた視線を机に落として、うつむきながら答える。
「そうは言ってもさ。仕方ないじゃん。やりたくてやってる訳じゃないし。」
「花子さんのことがじゃないよ。花子さんのこと、なにも知らない癖に、やんのやんの言う、昼の生徒たちのことがだよ。」
花子さんは、顔を上げて、大きな瞳をより一層大きくさせて、僕の方を見やる。
化粧をしているからなのか、やけに長い睫毛が、大きく上方に反り返っている。
二、三度、目をパチクリさせて、花子さんはまた、くしゃっと笑う。
「ありがと。」
一瞬の沈黙が流れたので、何か変なことを言ったのかとも思ったが、それは杞憂だ。花子さんが笑ってくれたから。
「それにさ、トイレに引きずりこむなんて出来っこないさ。僕だって、トイレぐらい行ったことある。どう考えても、人が入れるスペースなんてなかった。」
「ふふ、案外分からないかもよ。体の骨をバキバキに折って、小さく折りたためば、入るのかも。」
花子さんが、少し意地悪そうに笑う。
「僕には、骨なんてあるのかないのか分からないから、全然怖くないね。」
そう返すと、花子さんは心底楽しそうに破顔した。釣られて僕も、あははと笑う。
一通り、二人で笑った後に、花子さんはまた机に視線を落として、少し悲しそうな顔をした。
時々こういったことがある。花子さんは、楽しそうに笑った後、悲しそうな顔をするのだ。
「どうしたの?」
「んーん、一瞬昔のこと思い出しちゃった。」
「昔って、どのくらい昔?」
「君が生まれる前のことかもしれないね。」
「僕は自分が生まれたのがいつなのかも知らないから、それじゃあ分からないよ。」
正直な気持ちだった。花子さんが故意の上でそんな言い方をしたのだったら、少し意地悪だと思う。
けれど、花子さんはまた笑った。くしゃりと。
「君って本当に不思議だよね。幽霊?人間?それとも、妖怪?」
「うーん、それも分からないかな。袋田くんに聞いてみたことが有るけど、彼も知らないって言ってた。隠してるのかもしれないけどさ。」
「けどさ、嫌な感じはしないよ。私は。」
そう言って、僕の目を真っ直ぐに見据えた花子さんに、どきっとした。
けれど、同時にその目を見ているのはいけない事の様に感じた。気恥ずかしさもあったけど、それとは別の理由で。
「ありがとう。」
「うん。」
ねえ。と
「花子さんは、僕が何者なんだと思う?」
全く同じ様なことを、先ほど聞かれたばかりなのに、その吸い込まれそうな瞳についつい僕の本音が漏れた。
それを一蹴するでもなく、花子さんは少し考え込むと
「それ、すんごく難しい問いなんだよね。」
一瞬、彼女を困らせてしまったのではないかと、自責の念に駆られた。
しかし、彼女はそのまま続けた。
「その人が何者か、それって、主観のものなのか、客観視されたものなのか、あるいは、客観視される事によって意識された主観なのか、また変わってくるじゃない。多分だけど、一概に答えを出すことは出来ないよ。それは、君に限らずね。」
僕には、花子さんが言っていることがわかる様な分からない様な気持ちで、夢を見ている様な声で、曖昧に相槌を打つ。
「多分だけど、答えはひとつじゃないんだよ。見る人によって、その人が何者なのかは変わる。例えば、ニュースで一家を殺害した凶悪犯が報道されたとして、その報道を見た人たちは、その人を悪人だと認識するよね。」
けどさ、
「実は、その殺された一家は、殺人犯の両親を殺した敵で、自分の身を守るために、正当防衛として、家族を殺したのかもしれないよ。けど、だったとしても、そんなことは分かってもらえないよ。」
「けど、そう主張すればいつかは。」
「周りが殺人犯を、実は義勇士だったと思いたければ、いや、思うことで都合が良いんだったら、分かってもらえるかもね。けど、もしかしたら分かってもらえず、一生を牢屋で過ごすか、極刑になるかもしれない。」
「曖昧だね。」
「そう。曖昧なんだよ。」
結局の所、僕の曖昧な問いかけには、曖昧な答えが返ってきた訳だ。
「ただ、君の場合はさらに曖昧で、どこから来たのか、自分の名前さえも定かじゃない。つまり、主観的な自我がない。あ、悪い意味じゃないよ?普通人間の自我ってさ、記憶と経験に基づいて形成される訳なんだから。凄いと思う。」
さらっと、花子さんが僕を『人間』と言ってくれたのが嬉しかった。
「だから、君が何者か、主観で分からない以上、完全に客観で形成される様なものなの。私が、君が何者なのか、客観的に決めてあげる。君は、優しい人。優しい者。」
正直な所、花子さんが何を言っているのか、よく分からなかった。そう入り組んだ回答が欲しかったわけでも無いし。だけど、少なくとも、僕を慮った故の、曖昧な言葉だったのだろうと思う。花子さんから出た言葉「人間」「優しい者」と、全て話し終えた後に見せた、いつもと違う少しシニカルな笑みに、僕は心を奪われた。つまり僕が何者なのかといえば「花子さんに恋慕する男性」という者なのだろう。
結局の所、惚れ直しただけで先に進んでいる訳でも無いのだけれど、自然と頬が綻ぶし、明日の屋根裏倶楽部で袋田くんに自慢するのが楽しみになっただけだった。
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