第41話 魔法発動

「人質をとるまでもなかったか!」


 ロザリーを力まかせに引きずり、ファビオがぼくに近づく。彼はぼくの頭を踏みつけ、楽しげに笑った。


「やめて!」


 アリサが涙声で懇願する。

 しかし、ファビオはぼくの頭を踏みつけたままだ。


「やめるわけがない。まずは彼から死んでもらうのですから」


 意地悪くアリサに答えたファビオは、強くロザリーをつきとばした。

 ロザリーはよろめき、悲鳴をあげて地面に転がる。

 ロザリーにつきつけていたナイフを、ファビオは両手でにぎりなおす。彼はナイフをぼくの頭上にかかげた。


「死ね!」


 ぼくをにらみつけ、ファビオはいきおいよくナイフをふりおろす。


 ――逃げなくては!


 わかっているが、体の自由がきかない。


 ――ここまでか!


 観念したぼくは、かたく目をとじた。


「やめて!」


 まっ暗な世界に、アリサの叫び声がひびく。同時に、どんとにぶい衝突音がした。覚悟した痛みもおとずれない。

 驚いて目をあけると、アリサがファビオを押し、倒れる場面が目に飛びこむ。

 直後。きらりと光る小さな物体が宙を舞うのを、ぼくは見た。

 どさっと音がして、アリサとファビオが地面に倒れこむ。


「アリサ!」


 地面に突っ伏したまま、ぼくはアリサの名を叫ぶ。

 アリサは「あたた。カイ、だいじょうぶ?」と言い、ゆっくりと立ちあがった。


 ――よかった。アリサは無事だ。


 ぼくは胸をなでおろす。

 ふらふらとぼくに走りより、座りこんだアリサがぼくの頭を自分の膝のうえにのせる。

 ぼくは横目でファビオを見るが、彼は倒れたままうごかない。


「無茶してはだめだ!」


 なんとも格好のつかないありさまで、ぼくはアリサに諫言かんげんした。

 泣きだしそうな表情のアリサがぼくをのぞきこみ「だって」と口にしたが、言葉のさきはつづかない。


「カイ、だいじょうぶですの?」


「カイさま!」


 ロザリーとエスミーも、ぼくに駆けよる。


「思った以上に傷がふかかったみたいだ。血を流しすぎたかも」


 自分の血がべっとりとついた手のひらを霞む目で見て、ぼくは言った。


 ――なんだか寒い。


「もう話さないで! すぐに止血しなければ!」


 青ざめたロザリーが慌てて言う。


「止血と言われても医療器具はないですし、こんな状態のカイさまをうごかすわけにはいかないのです!」


 エスミーが意見した。


「でも人を呼んでくるのでは、時間がかかりすぎますわ! 血がこんなに流れているのです」


 涙目でロザリーが主張し、うつむく。肩が小きざみにふるえていて、泣いているのだとわかった。

 ぼくを見つめるアリサの目にも、恐怖の色がうかんでいる。


 少しのあいだの沈黙。

 しかし、すぐにロザリーが「そうだわ」と涙声で口にすると、うつむかせていた顔をあげた。


「芽吹きの祝福よ!」


 涙で濡れた顔をアリサにむけ、ロザリーは叫んだ。彼女はアリサにすがりつく。


「おねがいです。芽吹きの祝福で、カイを癒して!」


「め、芽吹きの祝福で?」


 困惑顔のアリサが疑問の声をあげた。

 ロザリーは「ええ」とうなずき、言う。


「芽吹きの祝福は生命力をあやつる魔法。以前、最上位の治癒魔法でもあると耳にしたのです!」


 そう言うロザリーは必死の形相だ。


「でも、わたしはあの魔法が苦手で……」


 表情を曇らせ、アリサは言葉をにごした。


 アリサとロザリーの会話を聞きながら、ぼくはアリサの芽吹きの祝福の練習を思いだす。

 あの時練習につかった植物の種は、しおしおとしなびた外見になっていた。


 ――ああは、なりたくないな。


 冗談は考えつくが、もはや声にだす気力もない。


「それでも試してみていただきたいのです! このままではカイが死んでしまいますわ!」


 しぶるアリサに、ロザリーは食いさがる。彼女の目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。


「死」


 アリサがつぶやいて、表情をなくす。


「おねがい。義弟おとうとを死なせないで!」


 ロザリーは言いながら、うつむいて両手で顔をおおった。


「わかりました。やってみます」


 数秒後だ。覚悟を決めたのだろう。しっかりした声で、アリサがロザリーにうなずく。


 そして、アリサの言葉を聞いた直後。ぼくは意識を手ばなした。


 ◆


 取り込んで、倍増ばいぞうして、かえす 


 カイ、カイ。


 取り込んで、倍増ばいぞうして、かえす 


 カイ、起きて。


 まっ暗闇ななか。耳鳴りにまじり、ぼくの頭のなかに声がながれこんでくる。

 その声を聞くうち、ぼくの体はだんだんとあたたかくなってきた。

 ほどなくして、ぼくは自分がまぶたをとじていると気づく。


「カイ! カイ、起きて!」


 頭のなかでひびいたのと同じ声がぼくを呼ぶ。

 ぼくは声の主が知りたくて、重いまぶたをあけた。


「ア、リサ」


 ぼくは、ぼくの顔をのぞきこむ人物の名を呼ぶ。

 すると、アリサはぽたぽたと涙をこぼし「よかった! 目が覚めたのね」と言って、安堵の表情をみせた。


 ぼくの頬にアリサの涙が落ちる。


 ――あたたかい。涙に温度があるなんて、今まで考えもしなかった。


 そう思った瞬間。ぼくは胸の傷のせいで意識を失ったと思いだした。


 ぼくはアリサに支えられながら、ゆっくりと体を起こす。そして、自分の胸もとに視線を落とした。

 服はやぶれて血だらけだ。しかし、胸から腹にかけてあった傷は跡かたもなく消えている。


「これが芽吹きの祝福の力」


 ぼくは傷があった場所に手でふれ、つぶやく。そして、アリサが芽吹きの祝福を成功させたのだとわかった。


「よかった!」


 ロザリーがぼくに抱きつく。


「カイさま、心配したのです!」


 エスミーも目に涙をため、安堵した様子でぼくを見おろしていた。


「カイ。目覚めたか!」


 突然、耳なれた男性の声がして、ぼくは声のほうをむく。

 視線のさきにいたのは、義父とうさんだった。

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