第八章 決別
第40話 一難さって、また一難
「その傷、どうしたの?」
悲鳴じみた声をあげ、アリサは口もとを押さえる。
アリサの視線をおい、ぼくは自分の胸もとを見た。
胸から腹にかけて一直線に衣服がやぶれ、赤く染まっている。
魔犬から逃れるだけで精一杯、興奮してもいた。そのせいだろう。痛みはあまり感じないが、ぼくはなかなかの大けがをおっているらしい。
傷を確認する最中。やぶれた衣服のしたから、首からさげたペンダントトップがちらりとのぞく。
見ると、ペンダントトップの魔法石が不規則に明滅していた。
青色の光が強くなったり、薄くなったり、そうかと思えば黄色っぽくなったり。不自然に光の色をかえている。ただ、見ている間に緑色の光を見る機会はなかった。
――打撃耐性の魔法を、つかいきったか。
睡魔の魔法には成功したが、魔犬の攻撃を避けきれなかったらしい。
よって、避けきれなかった攻撃を打撃耐性の魔法で防御した。しかし、魔犬の攻撃のほうが打撃耐性の魔法に
状況を冷静に分析したぼくは、胸もとに視線を落としたままで「これかい?」と、明るくアリサに応じてみせた。そして、彼女に苦笑いをしてみせる。
「詠唱に気を取られすぎたみたいだ。不甲斐ない」
頭をかいて言い、ぼくは笑った。
しかし、アリサは笑顔をかえさない。彼女は眉をひそめ「わたしを守りながら戦ったから」と言うと、目に涙をうかべる。
――やっぱり、そう思っちゃうよね。
アリサに心配かけないよう、つとめて明るくふるまってみせた。しかし、なんの効果もなかったらしい。
あふれた涙がアリサの頬にひとすじつたう。
流れる涙を気にもせず、アリサはぼくに厳しい視線をむけて話しだす。
「いくら側近でも、命をかけてはだめ!」
怒気のこもった声でアリサが主張する。
「それは、ちがうよ。ぼくは正妃さまからアリサの護衛もたのまれているんだ。これも仕事のうちさ」
アリサの罪悪感をやわらげたくて、ぼくはおだやかに意見する。
いつもなら喧嘩になっている場面だ。しかし、今のぼくは普段以上に喧嘩をのぞんでいない。
喧嘩より、アリサに言うべき話があるのだ。ぼくはアリサの頬に右手をそえ「それより」と言って、つづける。
「応接室でも言ったけど、ほんとうにごめん」
ぼくは謝罪の言葉を口にした。
「カイ?」
唐突なぼくの謝罪に、アリサは目をまるくする。
「きみの幸せのためには、ファビオとの婚姻が一番だと思ったんだ。だけど、まちがいだった」
しっかりした口調で、ぼくは言葉をつむぐ。話すうち、ぼくのなかに謝罪した以上の罪悪感が押しよせ、気もちが高ぶった。
「きみがこんな目に
ぼくは自分の考えを吐きだす。同時に、アリサの頬に手をそえたまま、うつむく。
困惑顔のアリサが「そんな」と言いよどんで、彼女の頬のぼくの手に彼女自身の手をかさねた。
「アーリーサーさーまーッ!」
ぼくとアリサが黙りこんでいると、だれかがアリサを呼ぶ声が聞こえてきた。
驚いて、ぼくとアリサはお互いにはなれあう。そして、声のするほうを見た。
すると手をふり駆けてくるエスミーと、そのあとをだいぶ遅れてつづくロザリーのすがたが目に入った。
ファビオに押され、倒れたのを見たときは心配した。しかし、エスミーは元気そうだ。
ロザリーのほうは遠目にも息をきらして、へとへとなのがわかる。ロザリーはあまり、運動が得意なほうではないのだ。
「エスミー!」
アリサがエスミーに駆けよる。
エスミーのほうでもアリサに近づき「ご無事みたいで、よかったのです!」とよろこび、アリサにすがりついた。
「うん。カイが睡魔の魔法で魔犬を眠らせてくれたの」
アリサが答える。
するとエスミーは「睡魔の魔法? あんな低級魔法で?」と疑問の声をあげ、目をまるくした。それから、あきれ顔をぼくにむける。
「あんな成功するか五分五分の魔法で助かったなんて、運がよかったのです」
ぼくの魔犬の倒し方に、エスミーは文句をつけた。しかし、ぼくの胸の傷を目にして「カイさま、その傷!」と叫び、顔を青ざめさせた。
「た、たいへんなのです! 大怪我なのです!」
エスミーが動揺する。
「あ、あはは」
ぼくは笑って誤魔化そうとしたが、エスミーは「笑っている場合では、ないのです!」と、ぼくをたしなめる。
そのときだった。
「きゃあ!」
突然、短い悲鳴が聞こえた。
ぼくらは会話を中断し、声のしたほうへ目をむける。
目をむけたさきには、ロザリーにナイフをつきつけるファビオのすがたがあった。彼は、彼女の腕をうしろ手にとっている。
「全員、うごくなよ! うごけば、この女の喉をかっきる!」
ファビオがもつナイフの刃先が、ロザリーの喉もとでぬらりと光る。
「ッ!」
ロザリーが苦しげに眉をよせる。
「まさか魔犬を眠らせてしまうとは。運のいい男だ」
忌々しげに言って、ファビオはぼくをにらみつけた。
「やめてくれ、ファビオ! これ以上、罪をかさねるな!」
ぼくはアリサとエスミーをうしろにさがらせ、ファビオとむきあう。
「罪をかさねるな、だと? ばかが、王族に手をあげたんだ。ただですむわけがない! こうなれば、お前ら全員の口を封じるまでだ!」
ファビオが興奮した様子で叫ぶ。
――ロザリーを助けなければ!
ぼくは睡魔の魔法をもう一度つかおうと考えた。しかし、すぐに却下する。睡魔の魔法には詠唱が必要だ。ぼくが詠唱をはじめれば、ファビオはすぐ気づくだろう。
――詠唱の必要のない精霊魔法をつかうしかないか。
考えをめぐらせたぼくは、心のなかで精霊を呼ぶ。
しかし、つぎの瞬間。ぼくの視界はぐらりとゆらぎ、ぼくは前のめりに倒れこんだ。
アリサとエスミーの悲鳴が聞こえる。
「ははッ! 魔犬は倒したが、さすがのお前ももう限界らしいな!」
倒れたぼくを、ファビオがあざけった。
今さらながら、ぼくは自分が血を流しすぎたのだと気がついた。
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