第38話 無効化された魔法石

「知っているぞ! 結婚後にアリサが邪魔になったら、彼女を幽閉するつもりなのだろう?」


 ぼくは強い口調で指摘した。

 ファビオは顔色をなくす。


「なぜ、それを?」


 動揺しているらしい。ファビオは短く疑問を口にするだけで精いっぱいのようだ。


「ゆ、幽閉?」


 目をまるくしたアリサは、ぼくを見あげる。

 見聞きしたできごとを、ぼくはアリサに伝えた。


「ほんとうだ。王城の礼拝堂でファビオが話すのを聞いたんだ。ぼくだけじゃない、ロザリーも聞いた」


 ぼくの言葉に反応し、エスミーの隣にひざまずくロザリーが「ええ、カイの言うとおりよ。ファビオはアリサさまを出世の道具としか見ていませんわ」と、アリサに告げる。それから、ばつが悪い様子で「結婚すべきだなんて言って、ごめんなさい」と、彼女は謝罪した。直後、ロザリーはファビオをにらむ。


「ファビオ。あなたは、アリサさまにふさはしくない!」


 ロザリーは厳しい口調でファビオを糾弾した。

 ファビオは「くっ!」と声をもらすと、応接室の隅にちらりと目をやる。そして、再度ぼくらをにらむと、ぼくらを警戒しながらゆっくりと移動した。


 応接室の隅で大人しく眠る魔犬に、ファビオはそっと近づく。彼は魔犬の首もとに手をやると、なにごとかつぶやいた。

 途端。魔犬の体がぴくりとうごく。


「ファビオ。あなた、なにをしていますの?」


 ロザリーがファビオの行動を不審がり、魔犬の首もとに目をこらす。それと同時に、彼女は表情をこわばらせた。


「たいへん! 魔犬の魔法石が」


 ロザリーが身をすくませる。

 ロザリーの声で、ぼくも魔犬の首もとを見て驚く。そこには、目を疑う光景があった。


 ――透明だ! 魔法石が、ただの水晶にもどっている!


 魔犬の首輪の魔石は先ほどまで、紫がかった青色に光っていた。しかし、今はその色が消えてしまっている。


「魔法石の魔力を霧散させてしまうなんて! ファビオ、自分がなにをしたか、わかっているんですの?」


 魔犬を刺激しないためだろう。声を抑えつつ、ロザリーがファビオを糾弾する。

 しかし、ファビオは不敵に笑うのみだった。彼のそばには家人用の出入り口があって、ファビオはそこから外に出ていってしまう。


「なにがおきているの?」


 状況を把握しかね、アリサがぼくの腕のなかで疑問を口にした。


「しずかに! ファビオが魔犬の魔法石を無効化したのですわ!」


 小声だが鋭い口調で、ロザリーが状況を説明する。


「無効化?」


 青ざめたエスミーがたずねかえした。

 エスミーに視線をむけると、ロザリーは「ええ」とうなずき、説明をつづける。


「もうあの魔法石は機能していないのです。つまり、魔犬は凶暴性をとりもどしてしまった。ここにいるのは危険だわ! 魔犬が眠っているうちに逃げますわよ!」


 言いながら、ロザリーは急いで立ちあがる。彼女は不安顔のエスミーにも立ちあがるよう、うながした。

 ぼくとアリサもロザリーの言葉にうなずき、移動すべく体をはなす。


 魔犬に注意をはらいながら、ぼくらは開けっぱなしの来客用の扉へと、しずかに近づいた。

 ぼくはまず、エスミーと彼女を介助するロザリーを応接室のそとにだす。つぎにアリサを応接室のそとにみちびこうと、ぼくは彼女の背をそっと押した。


 そのときだ。


「ファビオさま。あとからいらしたお客人に、お茶をおもちしました」


 言って、ファビオが出ていった家人用の出入り口から執事が入ってきた。


「だめだ! しずかに!」


 小声で警告し、ぼくは身ぶり手ぶりで必死に執事に訴える。しかし、執事はぼくを怪訝な表情で見るばかりだ。


 恐れたぼくは、ちらと魔犬に目をやった。

 すると魔犬の目がうっすらと開くのが見えた。執事の声で目が覚めたようだ。


「どうかされたのですか? ファビオさまは?」


 事態の深刻さに気づいていない執事は、不思議がって質問する。

 困惑する執事のそばで、魔犬がゆっくりと身をおこし「ぐるるる」と低いうなり声をあげはじめた。

 その唸り声でようやく、執事は違和感を覚えた。彼は「え?」と声をあげ、魔犬を見る。

 歯を剥きだしにしてうなる魔犬と、執事の目があった。

 茫然自失となった執事は、ガチャンと大きな音をさせて茶器を落とす。

 その音が魔犬を刺激した。魔犬は唸るのをやめ、目を大きく見ひらくと前足をふりあげる。


「ひいッ!」


 命の危険を感じ、執事が悲鳴をあげた。

 ぼくは思わず「クソッ」と悪態をつくと、執事を助けようと駆けだそうとする。


 そのときだ。

 今にも足をふりおろそうとする魔犬の目をめがけ、豪奢な椅子が飛んだ。魔犬に椅子がぶつかり、ガツンと大きな音がした。

 驚いて、ぼくは椅子が飛んできた方向に目をやる。

 すると、そこにはアリサがいた。


「今のうちに逃げてッ!」


 アリサが叫ぶ。


 魔犬は、怒りのこもった目でアリサをにらみつけた。そして、あげていた前足をおろすと、ぼくたちに近づいてくる。

 青い顔の執事は魔犬の足もとで四つん這いになり、はいってきたばかりの出入り口から逃げだした。


 魔犬の目のまえには、ぼくとアリサのふたりだけだ。しかし、ぼくには目もくれず、魔犬はアリサだけをにらみつけている。


 魔犬とアリサがにらみあう。

 アリサに飛びかかる瞬間をねらっているのだろう。魔犬は「ぐるるる」とうなり声をあげ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


「アリサ! ぜったいに、そいつから目をそらすな! そらした瞬間に、やつは飛びかかってくるはずだ。ぼくがタイミングを見計らって、きみを抱えて逃げる!」


 ぼくは魔犬を警戒しながら、声をおさえてアリサに指示をだす。


「わ、わかったわ」


 緊張した声で、アリサがぼくに返事した。

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