第37話 奪還

「え?」


 自分のどこが『惜しい』のかがわからず、ぼくは疑問の声をあげる。


「駄目だ」


 ぼくがロザリーに真意をたずねようとしたときだった。思いつめたファビオの声がした。彼はつづける。


「そんなの認めない」


「ファビオさま?」


 様子をうかがっているらしい。エスミーがファビオに呼びかけた。


 直後。かつかつと靴音がする。音の具合からみて、靴音はファビオだろう。


「できれば、あなたの意思で結婚を決めてほしかった」


 靴音といっしょに、ファビオの声がした。しばらくすると靴音がとだえた。同時に「そうすれば」と声がして、ファビオが話をつづける。


「あいつの悔しがる顔を、あざけってやれたのに!」


 ファビオが吐き捨てる。


「あいつ?」


 アリサが聞きかえした。

 アリサの疑問には答えず、ファビオは「でも、それは無理らしい」と残念がる。


「なにを言って、痛い!」


 アリサはまた質問をしかけたが、直後に小さく悲鳴をあげた。


「アリサさまを、はなすのです!」


 ファビオを牽制けんせいするエスミーのきびしい声がする。


「うるさい!」


「きゃあ!」


 ファビオが怒鳴ると同時に、エスミーの悲鳴が聞こえ、どすんと人が倒れたらしい音がした。


「エスミーッ!」


 アリサの悲鳴じみた声がする。


 ――たいへんだ!


 ぼくは応接室のなかが危険な状態だと察し、いきおいよく応接室の扉をあける。


「アリサッ! エスミーッ!」


 室内に飛びこみながら、ぼくはふたりの名前を呼んだ。


「ちょっと、カイ!」


 ぼくの突然の行動に驚きつつも、ロザリーがぼくのあとを追ってくる。


 室内に入ってすぐ、ぼくは倒れるエスミーのすがたを視界にとらえた。

 ロザリーが「たいへん!」と叫ぶと、とっさにエスミーに駆けよる。


「あなた、だいじょうぶ?」


 エスミーを抱きおこしながら、ロザリーが声をかけた。

 エスミーが「はい、なのです」と苦痛に表情をゆがめながらも返事をし、体をおこす。

 辛そうではあるが、エスミーは話ができる状態だとわかり、ぼくは胸をなでおろした。


「カイ! なぜ、お前が?」


 怒鳴り声がして、ぼくは声のほうをむく。

 そこには、アリサの左手首をつかんだファビオのすがたがあった。

 直後。ロザリーが「キャッ!」と短い悲鳴をあげる。


「あれは?」


 いつの間にかロザリーもファビオのほうをむいていて、青ざめた顔で疑問を口にした。

 ロザリーの視線をおう。すると、彼女の視線は応接室の隅に鎮座する黒い塊に注がれていた。


「ま、魔犬?」


 ロザリーがふるえる声でつぶいた。


 ロザリーの言うとおり。黒い塊は、この屋敷の番犬である魔犬だ。ロザリーがカノーバ邸をおとずれるのは初めて。魔犬を見て驚くのは無理もない。


「だいじょうぶなのです。暗示作用のある魔法石で、あの魔犬の凶暴性は抑えこんであるそうなのです」


 エスミーがロザリーをなだめる。


「そ、そうですの」


 緊張をゆるめ、ロザリーは安堵のため息をもらした。


「ファビオ、アリサ王女をはなせッ! 高位貴族といえども、王族に不敬だ!」


 ロザリーとエスミーの会話には目もくれず、ぼくはファビオをにらんで言いはなつ。


「カイッ!」


 アリサがぼくの名を呼び、こちらに近づこうとした。しかし、腕をファビオにつかまれていて、彼女はうごけない。


「アリサさま。大人しくしてください」


 ぼくの警告には答えず、アリサの左手をファビオは自分のほうへ引きよせる。

 途端。ファビオの右手のなかで、なにかがキラリと光る。

 ファビオはその光る物を、アリサの左手に近づけていく。

 ぼくを見ていたアリサも、ファビオの行動に気づいた。


「いや! なんなの?」


 ファビオの行動を不安に思ったらしい。自由のきく手で、彼女は彼の右手をはらう。

 直後。ファビオの右手にあった光る物が宙を舞った。


「くそッ!」


 ファビオが短く悪態をつく。その拍子にアリサをつかむ手がゆるんだらしい。アリサの腕がファビオの束縛から、するりと抜けた。

 抜けでたアリサが倒れそうになりながら、こちらに駆けてくる。


「カイッ!」


「アリサッ!」


 ファビオから逃れ、アリサがぼくに抱きついた。


「アリサ、だいじょうぶかい? けがはない?」


 言いながら、ぼくは見える範囲だけでもと、アリサの体を確認する。


「うん」


 ぼくの胸に顔をうめ、アリサが応じた。よほど強くファビオにつかまれていたのだろう。彼女の左の手首は赤い。

 アリサの手首にそっと手をそえ、ぼくはやさしく「痛かったね」と声をかけた。

 すると、アリサはぴくりと肩をゆらす。ぼくの上着を両手でぎゅっとにぎり、彼女は話しだした。


「カイ。わたし、まだ結婚したくない」


 アリサは主張し、ぼくにさらに強く抱きつく。


「わかってる。ぼくがアリサの気もちを聞かなかったからだ。ほんとうに、ごめん」


 ぼくは心からアリサに謝罪した。そして、アリサを抱きしめかえす。

 すると、ぼくの行動に驚いたのだろうか。上着をつかむアリサの手がゆるむ。

 そんなアリサの耳もとで、ぼくは「アリサの思うままにすれば、いいよ」と告げる。


「カイ」


 ふるえる声で、アリサがぼくの名を呼ぶ。そして彼女は、ゆるめた両手をぼくの背中にまわした。


「そうか、やはりカイをえらぶのか」


 淡々としたファビオの声がする。


 ――ぼくを、えらぶ?


「なにを言って」


 ファビオの言葉の意味がわからず、ぼくは彼に話しかけようとした。


「うるさい!」


 ぼくの言葉をさえぎって、ファビオが感情を爆発させた。


「わたしはいつも、えらばれない! 父上にも! アリサさまにすら!」


 苦悶くもんの表情をうかべ、ファビオは悲鳴じみた声で言いつのる。

 怒鳴るファビオに負けじと、ぼくは彼をにらみかえし「きみがアリサにいかるのは筋ちがいだろう!」と、アリサを抱きしめたまま叫ぶ。そして、いきおいにまかせて言葉をつづけた。

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