第36話 アリサのだした答え
カノーバ邸をおとずれたのは二度目。応接室の場所はわかった。ぼくは執事の案内を丁重に断る。
執事は「のちほど、お茶をお持ちします」と頭をさげ、屋敷の奥へとすがたを消した。
ぼくとロザリーは応接室をめざし、足早に進む。ほどなくして、ぼくらは応接室のまえで足をとめた。
「ここへ来てくださったのは、婚姻の件に答えるため。そう思って、さしつかえないですか?」
扉ごしに、ファビオの声がする。
入室の機会をさぐり、ぼくは室内に聞き耳をたてた。
「ええ」
問いかけに応じる女性の声もする。答えたのはアリサだろう。
――よかった! まだ話しはじめたばかりだ!
今が好機だと感じ、ぼくはドアノブに手をかける。
直後。アリサの言葉のつづきが聞こえてきた。
「じつは今回の件、お断りさせていただきたいのです」
きっぱりと口にするアリサの声に、ぼくは思わずドアノブにかけた手をとめる。
「ア、アリサさま?」
エスミーだろう。少女の慌てた声がする。アリサがどんな話をするか、彼女は知らなかったらしい。エスミーの声には、当惑の色がまじっている。
「断る? あなたにとって、いい提案だと思うのですが」
応じるファビオの声色にも動揺がにじんでいる。
「ええ。すばらしい条件でした。前世のわたしなら、飛びついたと思います」
アリサが淡々と返事する。
「ぜ、前世?」
話に理解しがたい部分があったようで、ファビオは素っ頓狂な声色でたずねかえした。
アリサは至極まじめな調子で「ええ」と応じると、話のつづきを語る。
「当時、わたしは過疎のすすむ地方のまちに住んでいました。そこでは、すてきな男性には、ことごとく恋人がいて、わたしの出る幕なんてなかったのです」
重々しくアリサが説明した。
ファビオは「はあ」と、困惑しきりの声であいづちする。
アリサの話は、なおもつづいた。
「地方に住む女性の結婚相手さがしは、とても難しいんです。女の子は親が手ばなしたがりませんから。でも、同世代の男性は都会で就職する人が多くて」
悔しがって言うと、アリサは「あなたみたいな好条件の男性から求婚されるなんて、前世のわたしでは考えられない幸運です!」と言いきった。
「そ、それなら」
アリサの『幸運』との発言をたよりにしたのだろう。彼女の話が理解できないながらも、ファビオが反論を試みたようだ。しかし、ファビオは話しつづけられなかった。
「それでも、お断りしたいのです」
ファビオに先を言わせずもう一度、アリサは自分の要望を口にする。
つかの間の沈黙があり、咳ばらいをしてファビオが話しだす。
「幸運とまで言ってくださるのに、わたしの求婚を断る理由をお聞かせ願えますか?」
ようやく質問の機会をえたファビオは、先刻より一段低い声でアリサに要望した。
アリサは「ええ、もちろん」と口にすると、発言の理由を話しだす。
「わたしはまだ、わたしをあきらめたくないからです」
明瞭な声でアリサが言った。
「あきらめる?」
アリサは「はい」と肯定し、つづける。
「あなたと結婚すれば、わたしはきっと
アリサの結婚への好意的な言葉に、ファビオは「そうです」明るいく返事した。彼は言う。
「わたしとなら、あなたは気ままに暮らせます」
「でも。それって、わたしはわたしの可能性から逃げていませんか?」
ファビオの反論を、アリサがまたさえぎった。そして、彼女はさらに言う。
「もう少し練習すれば、目覚めの祝福がつかえるかもしれない。目覚めの祝福がつかえなくても、魔法以外で王族らしい役割をはたせるかもしれない」
そこで言葉をきり、アリサは少し間をおくと、あらためて話を再開した。彼女の言葉は、さらに明瞭になる。
「わたしは、まだ十四歳です。あきらめるには、はやすぎる気がするんです。挑戦しもせずに結婚なんて、わたしはいつかきっと後悔する。そんな気がします」
自分自身にも言いきかせているらしい。アリサはそう言って、話をおえた。
「アリサさま。ご立派なのです」
エスミーの涙ぐんだ声がする。
ファビオの返事は聞こえない。
すると「それに」と言って、アリサが沈黙をやぶる。しかし、先ほどまでの声より、戸惑いがにじんでいた。
「わたし、気になっている人がいるのです。その人に思いを告げないまま結婚なんて、考えられません」
恥じらっているのだろう。か細い声でアリサが告げる。
アリサの言葉に、聞き耳をたてていたぼくは衝撃をうける。
――アリサに想い人がいたなんて!
「ロザリー」
応接室のそとで壁にもたれかかり、ぼくはロザリーを呼ぶ。
いっしょに様子をうかがっていたロザリーが、きょとんとして「なんですの?」と、僕ぼくに返事した。
「ぼくは馬鹿だ」
壁に背をあずけたまま、ぼくは天井をあおぎ見る。
「知ってますわ。今ごろ気づきましたの?」
あきれた顔のロザリーがためらいなく、ぼくの発言を肯定する。
そんなロザリーを横目で見て、ぼくは乾いた笑いをこぼした。
『自分でよく考えたうえで、あなたが幸せになれると思うなら』
ぼくはふと、正妃さまの言葉を思いだす。
あのときは、この言葉を気もしなかった。しかし今のぼくには、これがとても大切な言葉に思えた。
アリサも、正妃さまの言葉をしっかりと受けとめたにちがいない。
だからこそアリサは今、ここにいるのだ。
「ぼくは、ぼくの考える幸せを押しつけるばかりで、アリサの考える幸せを知ろうとしなかった」
自嘲ぎみに笑い、ぼくは思いのたけを吐露する。それから、ひとつため息をつくと「それに」と言い、話をつづける。
「アリサに想い人がいるなんて、考えもしなかった」
言ったそばから、ぼくの胸はじくじくと痛む。痛みをひた隠してぼくは「ぼくは、ほんとうに馬鹿だ」と、つぶやいた。
すると、ぼくの話を聞いていたロザリーは、目をまるくする。そして、つぎの瞬間には残念な者を見る表情になり、あきれた調子で言った。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます