第30話 ロザリーの勘ちがい

 ◆


 数日後。

 だんだんと、ぼくらは日常をとりもどしつつあった。

 ぼくとアリサは、普段どおりに接しあえている。


 ファビオとの結婚を、アリサは前向きに考えているようだ。

 一カ月後の日付で昨日、ファビオからまた茶会への招待状がとどいた。

 おそらくだが、ファビオはその茶会の席でアリサの返事を聞きたいのだろう。

 アリサもファビオの意図をさっしているらしい。彼女は「お母さまにそろそろ打ち明けないとね」と言い、正妃さまにファビオとの件を話す機会をうかがっているようだ。


 しかし、エスミーだけはずっと不機嫌だ。彼女はアリサの結婚に反対らしく、いっしょに反対しないぼくにも不満があるらしい。彼女はたびたび「どうして、アリサさまをとめてくれないのです?」などと言って、ぼくにアリサの説得をうながす。


 エスミーの気もちも、わからなくはない。アリサがカノーバ家に輿入れすれば、彼女もアリサ専属のメイドとしてカノーバ家に行かねばならないだろうから。

 仕事場環境の変化を避けたい気持ちもわかる。


 ――ぼくだって、アリサに結婚なんてしてほしくない。


 心のなかでは、ぼくもエスミーと同じ気もちだった。とはいえ、ぼくにはエスミーの期待にこたえるすべがない。よって、エスミーの文句を聞くたび、ぼくは精神的な疲れを感じずにはいられなかった。


 そんな日々がつづき、心身ともにぼくは疲れきっていた。ついには、ひとりになりたくなる。よって、ぼくは仕事がおわると人気のない場所をさがし、自然と王城の庭園に足をむけた。


 夕暮れの庭園を気のむくまま散策する。すると先日、アリサやロザリーと話をした噴水の前にたどり着いた。ぼくは噴水をふと見あげ、気づく。


 ――この噴水。アリサに初めてあった日に、舞踏会をぬけだして見た噴水だ。


 恋しい人と、この噴水を見た日にであった。そして、その人がぼくではない男と結婚すると、この噴水の前できめた。そう気づき、ぼくはやりきれない気分になる。


「カイ。こんなところで、なにをしておるのじゃ?」


 ぼくの背後で声がする。

 ふりかえらなくとも、話しぶりでわかる。イリエンシスさまだ。


「すこし、いろいろありまして」


 ふりむくのすら億劫おっくうで、ぼくは噴水を眺めたまま応じた。


「すこしなのか、いろいろなのか。どちらなんじゃ?」


 面白がっているらしい。イリエンシス様は明るい声で指摘する。

 質問に答えようと少し悩み、ぼくは「どちらかと言えば、いろいろですかね」となげやりに答えた。

 すると、イリエンシスさまはくすくすと笑い「おかしな奴じゃの。まあ、いいわ」と言い、つづけて誘いを口にする。


「暇なら、礼拝堂で茶でもつきあわぬか?」


 ぼくはようやく噴水から目をはなし、イリエンシスさまにむきなおった。


「それって、ぼくにお茶をいれさせたいだけですよね?」


 ぼくがたずねると、イリエンシスさまは満面の笑みをぼくにむける。



 ――ひとりで、物思いにふけりたかったかった。


 ぼくは願望を胸に秘め、黙々と花茶をいれる準備をする。

 結局。イリエンシスさまのさそいを断りきれず、ぼくは礼拝堂の休憩室にやって来たのだ。


「それで。どうして、うかぬ顔をしておる?」


 席につき、ぼくの作業をのんびりと眺めながらイリエンシスさまが質問する。

 花茶の準備を進めつつ、ファビオがアリサに求婚した話をイリエンシスさまに語った。


 話しながら、ぼくは不思議な気分になる。

 忘れてしまいたいできごとのはずなのに、するすると言葉にできたのだ。まるで、自分ではないだれかが語っているようだ。


 ――イリエンシスさまのが人ではなく、神だからだろうか?


 考えがまとまらぬうちに、ぼくは話をおえた。

 ぼくの話をきいたイリエンシスさまは「なるほどの」と言い、席をたった。


「おぬしも苦労するの。もっと自分の気もちに正直であれば、楽に生きれるだろうに」


 言いながら、イリエンシスさまはぼくに近づく。そして、ぼくの頭をなでほじめた。


「子どもじゃないんです。やめてください」


 不平を言いはしたが、ぼくはイリエンシスさまの手を払いのけたりはしなかった。

 なぜなら花茶の支度で両手がふさがっていて、払いのけたくてもできなかったのだ。


「照れるな。よいではないか」


 イリエンシスさまは、抵抗できないぼくの頭をなでつづける。


 ちょうど、そのときだ。

 休憩室の扉がガチャリと音をたて、ひらいた。


 ぼくとイリエンシスさまは、休憩室の扉に目をむける。ぼくらは、ふたりして「え?」と声をあげる。


「あ、あなたたち。いったい、なにをしているんですの?」


 休憩室にはいってきたのは、ロザリーだった。


「どうして、ここへ?」


 イリエンシスさまの手を頭に乗せたまま、ぼくはロザリーにたずねる。


「礼拝堂の扉がひらいていて、だれかいるのかと思いましたの。カイが扉をあけたままにしていたんですの? きちんと閉めなければいけませんわよ!」


 じとりとぼくをにらんで、ロザリーは叱咤しったした。


 ――なるほど。それで扉がひらくまで、ロザリーに気づけなかったのか。


 ぼくがひとりで納得していると、ロザリーがさげすみの目をぼくとイリエンシスさまにむける。


「アリサさまをあきらめたばかりなのに。もう、ほかの女に手をだすなんて。こんな、みさかいのない子だとは思いませんでしたわ!」


 ロザリーの口調から侮蔑ぶべつの念を感じ、ぼくはあわてた。

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