第27話 アドレムの要請

 ◆


 王城にもどるとすぐ、アリサは「すこし、ひとりになりたいの。今日はもうあがって」と、暗い口調でぼくに告げた。そして、ぼくに背をむけて自室にむかう。そんなアリサのあとをエスミーが追った。


 思いがけず今日の勤めをおえ、ぼくは普段よりもはやく家路につく。アリサから距離をおかれたようで辛かった。しかしこの対応は、ぼくにとって、ありがたくもあった。


 ――アリサは結婚を承諾するだろうか? 彼女が結婚をえらぶなら、ぼくは彼女にどんな態度をとるべきだろうか?


 アリサにどんな態度で接するべきかわからず、ぼくには考える時間が必要だったのだ。


 レーン家の正面玄関の扉をあけ、ぼくはエントランスホールに足を踏みいれる。

 すると、階段をのぼる義父さんのすがたが目に飛びこんだ。彼はティーセットをのせた銀製の盆を手にしている。

 使用人にまかせればいいのに、なぜか義父さんはよく、こういう行動をとるのだ。


「カイ。はやかったね」


 義父さんは階段をのぼる足をとめ、ぼくにやさしい笑顔をむける。

 いつもなら、ぼくもほほ笑みかえす場面だ。しかし、今日はそんな気分にはなれず「ええ。まあ」と、ぼくは曖昧に応じるしかできなかった。


「ちょうど良かった。話がしたいのだが、時間をくれるかい?」


 ぼくの様子には気づかなかったらしい。普段どおりの口調で言い、義父さんはいっしょにくるよう、ぼくをうながした。


「はい」


 決まった予定があるわけでもない。ぼくは義父さんのあとにつづき、階段をのぼった。


 二階にある義父さんの部屋にはいると、備えつけのソファーに座るよう言われた。

 銀製の盆を書斎机におくと、義父さんは手ずからカップに茶をそそぎ、ぼくの前に給仕する。そして、自分のぶんの茶も用意すると、むかいのソファーに腰をおろした。


「今日は、カノーバ邸に行ったのだろう?」


「どうして、それを?」


 義父さんの言葉に、ぼくは目をまるくする。

 すると義父さんは、ふっと笑って言う。


「ファビオから、アリサさまをお茶にお誘いすると聞いていたんだよ」


 知っていた理由を教えてくれた義父さんは、反対にぼくにたずねる。


「よければ、どんな話をしたのかを教えてくれないか?」


 義父さんの言葉に、ぼくは戸惑う。


 なにせカノーバ邸での話といえば、ファビオからアリサへの突然の求婚につきる。

 アリサの個人的な話を義父さんにするべきでないと、ぼくは感じた。

 ぼくが悩んでいると、義父さんの口から思いがけない言葉が飛びだす。


「だいじょうぶ。わたしはファビオから聞いているんだ。彼がアリサさまに求婚したんだろう?」


「知っていたんですか」


 ぼくは驚き、たずねかえす。

 義父さんは「ああ」と、うなずく。そして、ぼくを目をほそめて見ると「その様子だと、ファビオはアリサさまに求婚できたようだね」と言い、茶をひと口飲んだ。


「はい」


 ぼくはティーカップに視線を落とし、いつになく低い声で返事する。


「求婚にたいして、アリサ様はどう答えたんだい?」


「決めかねていて、返事はまだです」


 隠す必要もないと感じ、ぼくは問われるまま答えた。

 義父さんは「そうか」と淡々と応じると、言葉をつづける。


「カイ。たのみがあるのだが、きいてくれるかい?」


「なんでしょう?」


 ティーカップをもてあそびながら義父さんにたずねる。


「ファビオの求婚を受けいれるよう、アリサさまを説得してほしいんだ」


「!」


 義父さんの思いがけないねがいを耳にしたぼくは、いきおいよく顔をあげる。

 すると義父さんは眉をよせ、悲痛な面持ちでぼくを見ていた。


「お前の気もちには私も気づいていた。だから今、とても戸惑っているのも理解している。だが、その気もちをアリサさまに伝える気はないのだろう?」


「!」


 応じるべき言葉が見つからず、ぼくは義父さんと目をあわせたまま黙りこむ。


 義父さんの言う『僕の気もち』とは、もちろん『アリサへの恋心』だろう。気づかれているとは思いもしなかった。

 ただ、ぼくを黙りこませた一番の原因は、気づかれたからではない。アリサに気もちを伝える気がないと、言い当てられたからだ。


 ぼくの動揺を見た義父さんは、表情をますます曇らせ「やはりそうか」と口にし、言葉をつづける。


「レーン家の身分では王女との婚姻は、まず叶わない。もし、アリサさまがお前をえらんだとしても、まわりが許しはしないだろう」


 義父さんがは、わかりきった事実を口にする。

 その言葉を聞きたくないと思っているのに、ぼくは義父さんから目が離せない。


「それでも、愛する人には幸せになって欲しいと、お前は思っているはずだ。わたしはそれを叶えるのが、ファビオだと思っている」


『これじゃ、王女だなんて胸をはって言えないわ』


 義父さんの話を聞くうち、城下町でアリサが言った言葉と彼女の苦しげな笑顔を思いだす。


『アリサさまが平穏な日々をすごせるよう、尽力するとお誓いしましょう』


 ほぼ同時に、ファビオが言った言葉も脳裏をよぎった。

 そしてぼくは、いつか訪れると思っていた事態がついに起こったのだと実感した。

 

「カイ」


 とりとめもなく思考をめぐらしていると、義父さんのやさしい声が聞こえた。

 ぼくはいつの間にか義父さんから目を離し、うなだれていたらしい。義父さんに応えて、ぼくは顔をもたげる。


「この婚姻は、わたしたちレーンの一族のためでもあるんだよ」


 言って、義父さんがレーン家にとってファビオとアリサの婚姻がどんなに利点が多いかを話してくれた。


 しかし、一族やぼくにとって有利かなんて、ぼくにはどうでもいい話だった。

 ただ、アリサにとっての幸せがどこにあるか。

 それだけが、とても重要だと感じた。

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