第25話 魔犬のいる応接室

 ◆


「うう、緊張する」


 青ざめた顔をし、アリサはよろよろと馬車の客車からおりた。

 ぼくとエスミーも、アリサのあとにつづく。


「行ってらっしゃいませ」


 丁寧なお辞儀をして、御者のニコラスがぼくらを送りだす。


 お茶に招待されて数日後、ぼくらはカノーバ邸にやって来た。もちろん、ファビオからのお茶のさそいを承諾してだ。城下町で世話になった手前、さそいを断るべきでないと意見の一致をみたのだ。

 最後までしぶるアリサを説得するのは、なかなか骨のおれる仕事だった。


 ぼくらの背後で、馬車をひく馬がザザと前足で地面をかく。すると、アリサは「ひっ!」と悲鳴じみた声をあげ、身をかたくした。どうも先日の城下町の一件以来、彼女は馬がこわいらしい。

 王城で馬車に乗りこむときも、馬を見て青ざめていた。


「だいじょうぶ? 馬が苦手だったっけ?」


 ぼくの質問にアリサは「苦手じゃなかったはずなのだけど」と、自分の話であるのに曖昧な返事をよこした。


 そこへ、ギイと木のきしむ音がする。音へ注意をむけると、屋敷の正面玄関の豪奢な扉がひらこうとしていた。


「よく、おいでくださいました」


 扉がひらき、中年の男がそとに出てきて挨拶する。

 装いからして、カノーバ家の執事だろう。


 ぼんやりと執事を見ているアリサを、ぼくはこっそり小突こづく。


 ――挨拶をかえさなきゃ!


「お、お招きをうれしく思います」


 ぎこちなく、アリサはほほ笑みで応じる。


「応接室にご案内いたします」


 うやうやしく言って、執事はぼくらをカノーバ家のなかへといざなった。


「こちらでございます。なかでお待ちください」


 言いながら、執事が応接室の扉をあける。同時に、先頭に立つアリサの目に応接室の室内がうつる。


「ぎゃッ!」


 つぶれるカエルじみた声で、アリサが悲鳴をあげた。


「どうされました?」


 危険を感じ、ぼくはアリサの前にすばやく移動する。そして、室内の様子を目にした。


「こ、これは」


 室内で見るべくもない存在を目にし、驚愕したぼくは言葉につまる。


「どうしたのです?」


 ぼくがうごけずにいると、エスミーが横から顔をだした。そして、応接室のなかを見た彼女は「ひゃあ」と悲鳴をあげて、尻もちをついた。


「お、大きな犬なのです!」


 尻もちをついたまま後ずさり、青ざめたエスミーが叫ぶ。


 エスミーの言うとおりだった。応接室のなかには巨大な黒い犬がいたのだ。

 黒い犬は筋肉質な体つきで、鋭い目つき。アリサほどの大きさなら、人間でも丸呑みできそうだ。


「で、でっかいドーベルマン」


 僕の背中にしがみつき、アリサがふるえる声でつぶやく。


 ――犬は犬でも、これは魔犬だ!


「どうして魔犬が屋敷のなかに?」


 ぼくは、アリサとともに一歩あとずさる。


 魔犬とは、いわゆる魔物だ。

 ふつうは瘴気のみちた辺境の森に生息していて、カナルサテン王国でも城壁のそとの村々でときどき確認されるていどだ。

 そんな魔犬は、なわばり意識が強い魔物。自分のなわばりと決めた場所にいすわる性質がある。獲物への執着心も強く、一度獲物と見さだめれば執拗に追う。

 ひとたび魔犬があらわれれば、大惨事になりかねない。

 なぜなら魔犬はしばしば、村をなわばりと認識してしまうのだ。

 それは長期にわたり魔犬が村にいすわりかねない事態。魔犬のなわばりになった村では人間が普通に暮らすのは不可能だ。

 よって、村ちかくで魔犬を目撃するとは、村に致命的な影響を与えかねない由々しき自体と言えた。

 しかも、魔犬被害は被害を受けた村だけの問題ではおさまらない。

 その村を領地にもつ貴族にとっても損失となり、ひいては国の損失ともなる。

 そのため魔犬は階級を問わず、この国の人々から忌み嫌われている。


 そんな魔犬が目の前に、しかも貴族の邸宅の応接室にいる。


「その魔犬は、この屋敷の番犬さ」


 応接室に入れずにいると、ぼくらの背後で男の声がした。

 魔犬ばかりを気にしていたため、ぼくは驚いてしまう。おそるおそる背後を見ると、はたしてファビオが立っていた。


「番犬? 魔犬を飼いならしたとでも言うのか?」


 疑いで眉をひそめ、ぼくは視線を魔犬にもどす。

 すると、ファビオがぼくの隣に移動してきた。彼は魔犬の首元を指し示すと「首輪をつけているだろう?」と言い、言葉をつづける。


「あれは魔道具さ。あの首輪には強い暗示作用のある魔法石がはめこまれていて、今は凶暴な性質を抑えこんであるのさ」


 いっきに説明したファビオは「ちなみに、魔法石はアドレム先生がつくってくださった特級品だ」と、とくいになって補足した。

 ファビオの説明を聞きながら、ぼくは魔犬の首元に目をやる。すると、たしかに魔犬の首輪に紫にちかい青色をした魔法石があしらわれているのが見える。


「凶暴性を抑えてしまって、番犬など務まるのか?」


 魔犬の首輪に目をむけたまま、ぼくは疑問を口にする。

 すると、ぼくを馬鹿にしているのだろう。ファビオは失笑した。


「務まるさ。あのすがたを見ただけで、みんな縮みあがる。今のお前みたいにな」


 ファビオは顔を魔犬にむけたまま、冷ややかな視線をぼくによこした。彼は応接室を背にふりかえり、身ぶりで入室をうながす。


「アリサさま。驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。あれは無害ですので、どうぞなかへ」


 言いながら、ファビオはアリサにうやうやしく会釈する。

 ファビオにうながされ、ぼくらはおずおずと応接室に足をむける。

 危険はないと言われても、魔犬がこわいのだろう。アリサはぼくの背に隠れながら、青い顔のエスミーはアリサのあとにつきしたがい、応接室にはいった。


 豪奢なテーブルをはさんで、ファビオとアリサがむかいあって席につく。

 僕とエスミーは、アリサの背後に立ったままひかえた。

 お茶に呼ばれたのは、あくまでアリサひとり。

 ぼくとエスミーは、従者にすぎないのだ。

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