第五章 思いがけない申し出
第23話 神さまへの供物?
「昨日は、たいへんだったようじゃな」
言いながら、イリエンシスさまはおいしそうに菓子をほおばった。
暴れ馬からはなんとか逃れたが、アリサはなかなか正気にもどらなかった。困りはてたぼくらは、馬車で王城に帰るべきだと判断した。しかし、約束の場所までアリサは歩けそうにない。しかも、ぼくの上着をつかんではなさず、ぼくも身うごきがとれない。よって、エスミーがニコラスを呼びに行くと言いだした。
すると、ファビオが「女の子がひとりで人ごみを歩くのは、危険だ」と口をはさみ、エスミーに同行してくれた。しかも彼は魔導騎士見習いの立場をつかい「急病人がいる。緊急事態だ」とまわりの人々に協力をあおいでくれた。おかげで、本来なら停車禁止のこの場所で、ぼくらはアリサをすんなりと馬車に乗せられたのだ。
ファビオとは普段、できるだけ会いたくない。
しかし今回ばかりは、いてくれて助かったのはまちがいない。
ところで、イリエンシスさまが食べている菓子は、アリサが気にしていた露店で買った菓子だ。
馬車に乗せる直前。ようやく正気をとりもどしたアリサが「お土産に」とほしがったので、馬車に乗りこむ前に、ぼくがいそいで購入したのだ。
『イリエンシスさまにお土産を買って帰ろうよ』
――なにを探しているのかと思った。まさか、イリエンシスさまのお土産を選んでいたなんて、アリサらしいや。
昨日はたいへんな一日だった。しかし、この件に関してはほほ笑ましく感じた。
「それで、アリサ。そなたは、だいじょうぶなのかえ?」
イリエンシスさまがたずねる。
イリエンシスさまへのお土産の菓子を自分でもつまみ、アリサは「うん!」とうなずき、返事する。
「もう平気!」
元気に答えるアリサは、昨日とは別人だ。
「ほんとうに?」
ぼくは、いぶかしんでたずねる。
昨日の様子は、尋常ではなかった。あんなアリサのすがたを見ては、問題ないとは信じがたい。
アリサが答える。
「馬が走ってきたのを見た瞬間。なんだか、暗くて白くて寒い場所に立ってる気分になったの。不思議な感覚だったわ。とても恐くなって、うごけなくなっちゃった」
当時を思いだしているのだろう。アリサは手もとの菓子を見つめながら、記憶を言葉にしていく。それから、視線を菓子から僕にむけた。
「だけど今は、どうして恐いと感じたのかも分からないほど、元気だよ!」
そう言って、アリサはにこりと笑う。そして、手のなかの菓子を大きな口でぱくりと食べた。
そんなアリサの軽い態度に、ぼくはため息しかでない。
「まあ、元気なのが一番だけど。少しでもおかしいと思ったら言うんだよ」
ぼくはアリサに念を押す。
「……」
そんな僕らのやり取りを、イリエンシスさまがじっと見ている。しかも、彼女の顔にはなんの感情も浮かんでいない。
イリエンシスさまの態度を不審に思い、ぼくは彼女に話しかけるべく口をひらきかけた。しかし、言葉を口にはできなかった。
「こんな場所で立って飲食なんて、はしたなくってよ!」
突然の厳しい声。ぼく、アリサ、イリエンシスさまは、ちぢみあがって声の主を見る。
すると、小さな包みを手にしたロザリーがこちらをにらんでいた。
ここは、王城の建物と建物をつなぐ渡り廊下。
ロザリーの言うとおり、人気が少ないからといって、立って飲食するのは品がない。
わかってはいた。しかし、制止する間もなくイリエンシス様が渡したお土産の包装をあけはじめ、ぼくは声をかける機会を逃したのだ。
とは言えだ。はたから見れば、ぼくも同罪。ぼくはロザリーの非難を甘んじて受けいれ「ごめん。つぎから気をつけるよ」とロザリーに謝罪し、言葉をつづけた。
「ところでロザリーは、どうしてここへ?」
ぼくは人気のない渡り廊下と中庭を見まわし、疑問を口にする。
「そ、それは」
ぼくが急に質問したからだろうか。一瞬、ロザリーは言いよどむ。
しかしロザリーが答える前に、彼女の手の包みを見たぼくが気づく。朝食のとき、ロザリーと話した内容を思いだしたのだ。
「そうか。今日は正妃さまのご依頼の魔法石を届けるって言ってたね!」
ぼくは自らの疑問に自らで答える。
「そ、そうよ。これから、魔法石をお渡ししに行きますの」
こわばっていた表情をゆるめ、ロザリーがうなずく。
すると、ぼくたちのやり取りを見ていたアリサが首をかしげ「でも」とつぶやいた。
「ロザリーさんが来た方向って、お母さまのサロンに行くには逆じゃない?」
「!」
アリサの指摘に、ロザリーは目を見ひらく。同時に耳まで真っ赤になった。
「そ、それは」
動揺するロザリーの背後で、くしゃりと軽い音がした。
音が気になって、ぼくはロザリーの背後に目をやる。見ると、ロザリーは右手を自分の背後にまわし、その手に折りたたまれた紙を握りしめていた。
僕はロザリーの右手にある紙をよく見ようと首をのばす。
「アリサさまーッ!」
唐突に大きな声がした。
その場にいた全員の意識がアリサを呼ぶ声へむく。
はたして、アリサを呼ぶのはエスミーだった。彼女は手をふりながら、こちらに走ってくる。
「エスミー。どうしたの?」
走りよるエスミーに、アリサがたずねる。
息もたえだえのエスミーは「そ、それが」と口にする。それから、ごくりと唾をのむと、ふるえる手で手紙をアリサにさしだした。
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