第8話 イリエンシスの幻術
「ロザリーだ」
ぼくが何気ない調子で言う。
ぼくの言葉に、アリサはなぜか顔をこわばらせた。
アリサとは反対に、のんびりとお茶を楽しみながら、イリエンシスさまは緊張するアリサを観察している。
こつこつと軽い靴音する。その音は、ぼくらのいる休憩室に近づいてきた。
靴音がやむと休憩室の扉がガチャリと音をたて、迷いなく開く。
ぼくの予想どおりだった。開いた扉からロザリーが休憩室にはいってきた。ドアノブを手にしたまま、険しい表情の彼女が懐疑的な目をぼくらにむける。
「アリサさま。それに、見習い神官の
表情を少しゆるめ、ロザリーがつぶやく。
ぼくは、ちらりとイリエンシスさまを見た。
イリエンシスさまは、ロザリーに満面の笑みをむけている。
――イリエンシスさまの幻術は完ぺきだ。
ぼくは内心、舌を巻いた。
ロザリーが言った『見習い神官の方』とは、イリエンシスさまだ。
ぼくとアリサ以外の王城に出入りする人々に、イリエンシスさまは幻術をかけている。そのため、ぼくとアリサ以外には、彼女は見習い神官に見えるのだ。礼拝堂の
この幻術は、礼拝堂を中心として王城中を有効範囲としている。よって、幻術の有効範囲の人々には、イリエンシスさまは見習い神官にしか見えない。おかげで、イリエンシスさまは王城じゅうを自由に歩きまわれるのだ。
「こんにちは。ロザリーさん」
アリサは気ごちないほほ笑みをロザリーにむけた。
ロザリーはアリサをじとりと見ると、口をひらく。
「アリサさま。わたくし、そろそろ屋敷に帰りたいんですの。でも、女のひとり歩きは危ないと思われませんか?」
ロザリーの急な質問に理解がおよばず、ぽかんとしたアリサは「はあ、そうかも知れませんね」と応じた。
「そうですわよね。それで、
言いながら、ロザリーは頬に右手をあて、小首をかしげて困り顔をしてみせる。
するとアリサは「え?」と、驚いた顔をして窓から外を見た。
「ああ。もう、日が落ちかけてるんですね」
窓のほうをむいたまま、アリサが
直後。ロザリーはため息をもらした。
「義弟は確かにアリサ様の側近になりました。だからといって義弟を好き放題に使われては困ります。王族であろうと、秩序は守っていただかないと。いいえ、王族だからこそ、その権威の維持のためにも秩序を重んじるべきですわ」
王女であるアリサに臆せず、ロザリーは不服を申したてる。
アリサは「は、はい」と、恐縮した。
「ロザリー。いくらなんでもアリサ王女にたいして、その物言いは失礼だよ。ぼくはアリサ王女を自室まで送って屋敷に戻るから」
するとロザリーは、ぼくを鋭くにらんだ。
「アリサさまを甘やかしてばかりいては駄目ですわよ! 年若い王族の側近にとって、
たしなめたつもりが逆にぼくのほうがロザリーに
「だ、だけど」
ぼくはロザリーの剣幕にたじろぎ、うまい切りかえしが思いつかない。助けを求め、ぼくは目を泳がせた。途端、イリエンシスさまと目があう。
しかし、このやり取りにイリエンシスさまは関わる気がないらしい。素知らぬ顔で、彼女は花茶を楽しんでいる。イリエンシスさまは基本的に、彼女が神であると知るぼくら以外の人間に積極的に関わらない主義なのだ。
――まいったな。
ぼくは途方に暮れる。
「あ、あの。私は神官見習いさんに部屋まで送ってもらうわ。だから、カイはロザリーさんと帰ってあげて」
困り果てる僕を見かねたのかもしれない。アリサが助け舟をだしてくれた。
ただ、ぼくはアリサの申し出に納得出来ず「でも」と口をだしかける。
「ほら、カイ。アリサさまもご許可くださったし、帰りますわよ!」
ぼくの発言を妨害して、ロザリーがぼくに帰宅をうながす。
ぼくはアリサをおいて立ち去るなんて考えられず、決断に迷ってアリサをあらためて見た。
するとアリサもぼくを見ていて「大丈夫だよ。また明日ね!」と、やさしくほほ笑んでくれる。
やるせなくも
――このまま意地をはりつづけたら、アリサに余計な心労をかけそうだ。
ぼくはそう判断したのだ。
「ありがとうございます。アリサ王女、神官見習いさん、お先に失礼します」
ついに根負けし、ぼくはロザリーと家路に着くと承諾した。
ロザリーは勝ちほこった笑みを浮かべている。
アリサはとりつくろった笑顔で、ぼくに小さく手をふる。
イリエンシスさまも「またの」と言いながら、あわれみの目を僕にむけた。
こうして、ぼくはロザリーとともに居たたまれない空気になってしまった休憩室から退出した。
休憩室から一歩外へ出ると、目の前に礼拝堂の祭壇が見える。ただ、本来なら目視できるはずのイリエンシス像は祭壇にない。なぜなら、イリエンシス像はイリエンシスさまの
しかし、ロザリーは像がないと気づいていない。イリエンシスさまの幻術がしっかりと効いていて、彼女には祭壇にイリエンシス像があると認識されているからだ。
ぼくとロザリーは祭壇を背に、礼拝堂中央の通路を無言で歩く。そして、ぼくは礼拝堂の出入り口である木製の扉に手をのばした。
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