第二章 それぞれの立場

第6話 アリサって呼んで!

「カイ? カイってば!」


 過去の記憶に思いを馳せていたぼくは、アリサ王女が呼ぶ声で現実に引きもどされた。


「すみません。昔のできごとを思いだしていて」


「昔のできごと?」


 ぼくの謝罪に、アリサ王女は首をひねる。


「アリサ王女とイリエンシスさまに初めて出会った日を思いだしていました」


 ぼくの補足を耳にしたアリサ王女は、瞬く間に不機嫌な顔になった。


「カイ! 今までどおり『アリサ』と呼んでと言ってるでしょう!」


 そうなのだ。

 じつは今日の業務をはじめて以降、ぼくは何度かアリサ王女から呼び方の注意をうけていた。

 ちなみに、口調も普段どおりがいいと言われている。


「すみません。アリサおう……」


 慌てて謝罪しようとして、ぼくはまた口を滑らせかけた。

 指示どおりにできないぼくを、アリサ王女がじとりと見る。


「ではなくて、アリサ。ごめん」


 ぼくは言い直す。

 すると、アリサはうんうんと厳格な態度でうなずき、ぼくに満足の意をあらわした。


「今日から雇い主と使用人の関係になったから、話し方を変えるべきだと思ったのだけど……」


 僕は極力おだやかな言葉をえらび、苦笑まじりに言う。


「必要ないよ!」


 アリサは頬を可愛らしく膨らませ、ぼくの提案をきっぱりとしりぞけた。


 ――ふたりでいる時なら、かまわないかもしれない。でも、そうもいかない場面があるはずだ。いくらアリサのお願いでも、完全に受けいれるのは無理だ。


「じゃあ、ふだんどおりなのは公の場以外だけにさせてくれないか? これが最大の譲歩だ。そうでないと、ぼくの立場が……」


 ぼくは困り顔をつくり、泣き落としをこころみる。

 すると困るぼくを見たからだろう。アリサは慌てた様子になって言った。


「わたし、カイを困らせたいわけじゃないの。だから、公の場ではカイの思うとおりにしてくれればいいわ」


 アリサは頑固な面もあるが、根は素直でやさしい女の子だ。

 ぼくが本気で困っているときは、アリサはいつも譲歩してくれる。

 最低限だが願いを受けいれてもらえ、ぼくはホッと胸をなでおろす。そして「ありがとう」とアリサに礼を言った。


「それで。初めて会った日と言ったら、この礼拝堂で出会った日のできごとかの?」


 ぼくとアリサのやりとりをテーブルに頬杖を付いて眺めつつ、イリエンシスさまが口を挟む。彼女は「ちなみに、わらわは『イリエンシスさま』のままで構わんぞ」と口にし、にやりと笑った。

 ぼくは頷いて「昔からそう呼んでますしね」と気軽な調子でイリエンシス様に応じる。それから「とにかく」と言って、アリサのほうにむくと言葉をつづけた。


「普通なら関わるはずもないお姫さまにと話をしていたら、イリエンシス像が本物の神さまに変身したんです。ほんとうに驚きましたよ。そして今、ふたりにであった礼拝堂で三人でテーブルをかこんでいる……不思議な気持ちです」


 そう言って、ぼくは苦笑する。

 笑う僕を見て、アリサとイリエンシスさまもほほ笑んでくれる。


「しかもイリエンシスさまが『アリサの転生はわらわの差金さしがねじゃ!』とか言いだすし」


 僕が呆れまじりに言葉をつづけると、アリサが楽しそうに「そうそう」とあいづちをくれた。


 そうなのだ。イリエンシスさまは、アリサをこの世界に転生させた張本人らしいのだ。しかし、どのような経緯でアリサを転生させたのかは、はぐらかすばかりで教えてくれない。


 ただ、教えられずともアリサには転生前の記憶があるはずだ。

 だから以前『転生前後のできごとを覚えていないの?』と、ぼくはアリサに質問した。

 しかし、前世で命を落とした時の記憶を、アリサは思いだせないらしい。死の直前以外のできごとは記憶にあるそうなので、死の直前に記憶に負荷がかかるできごとがおこったのかもしれない。


 ――転生の話をするのは時間の無駄だ。


 ぼくもアリサも最近はあきらめていて、この件を追求する気もおきなかった。


「アリサが号泣しはじめて、転生させたわらわも責任を感じての……」


 衣装の袖で、イリエンシスさまは涙をぬぐう真似をする。

 思ったとおり、イリエンシスさまは『差金』の部分には触れない。


「!」


 イリエンシスさまの言動に、アリサの顔がぱっと耳まで赤くなる。


「たしかに大泣きでしたね。二十八歳まで生きた女性の記憶を持ってるはずなのに」


 僕も当時のアリサを思いだして、思わず苦笑する。

 ぼくとイリエンシス様の会話を聞いていたアリサの顔は、ますます赤くなり今やだこ状態だ。


「だって! 二十八歳までの記憶があっても、わたしの前頭前野ぜんとうぜんやは七歳の子ども並にしか発達してないんだもん! 感情をおさえきれなくなって、当然なの!」


 まっ赤な顔で、アリサは必死に弁明する。


「ゼントウゼンヤ?」


 アリサが聞きなれない言葉を口にしたと、ぼくは気づく。


「うん。頭のこのあたりにあるの。感情にブレーキをかける役割を持っていて、成熟するのは二十代。子どもの前頭前野は成熟には程遠く未発達なの。だから、感情をコントロールしきれずに些細な感情の変化で泣くし、怒ってしまうのよ」


 アリサがゼントウゼンヤの説明をしながら、右手で自分の額を軽く叩いてみせる。


 ――でたッ! ぼくの知らない知識だ!


 ぼくは投げだしていたペンを慌てて持つと、記録用紙にアリサが話した内容を書きとめた。


「アリサ、それだよ! そういう話が聞きたかったんだ」


 ぼくが手をうごかしながら言うと、アリサは半信半疑な様子で「え? そうなの?」と返事をし、言葉をつづける。


「そう言われても、何が役に立つ情報かとか分からない。だから「そういう話」と言われても、うまく思いだせないよ。今の話だって、テレビで見たの話題を思いだせただけだし……」


 何ともやる気のない調子で、アリサは不平を言った。

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