第4話 夜闇の精霊と泣き声

 庭園に立ちつくし、ぼくは夜空を見あげた。

 まるい月がぼくをやさしく照らす。


 視線を夜空から前方にもどすと、ぼくは庭園の人工池に歩みよった。


 人工池の噴水は、とめどなく水を吹きあげている。

 つぎからつぎへと吹きあがる水滴がぼくの視界をよぎった。

 月の光と大広間から漏れる光が水滴に反射する様子は、きらきらと幻想的だ。


 水滴のひと粒ひと粒を何気なく目で追う。そのうちに、ぼくは水滴とはちがう小さな光の粒を目の端にとらえた。

 その光の粒はうすぼんやりした青紫色の光で、空中にふわふわと浮いている。しかも、ひとつだけではなく無数に存在した。


 ――夜闇よやみの精霊か。


 ぼくは、すぐに光の粒の正体に気づく。そして、この光の粒が多くの人には見えないとも知っていた。


 この光の粒は精霊魔法をあつかう素質のある人間にしか見えないのだそうだ。


 精霊魔法の使い手だった産みの母の素質を受け継いだのかもしれない。ぼくは誰に教わるでもなく、光の粒として精霊を認識できるのだ。ぼくの特異な体質は、義父とうさんやロザリーも知っている。そのため、いつかは産みの母とおなじく、ぼくが精霊魔法の使い手になるにちがいないと、ふたりとも信じて疑わなかった。


 夜闇の精霊が僕の周囲をゆったりと飛びまわる。その様子はまるで『遊ぼうよ』とでも言っているかのようだ。

 精霊の誘いに、ぼくの心は踊る。


 たいていの精霊は、ぼくが意思をもって呼ぶと近づいてくる。

 しかし、夜闇の精霊はちがった。彼らは自ら好んで僕に近づいてくる傾向があるのだ。


 大広間にいる義父さんとロザリーが少し気にかかったが、ぼくは精霊たちの誘惑に負けた。彼らにいざなわれ、ぼくは庭園の奥へと足を進める。


 人工池の水面を叩く水滴の音が少しずつ遠くなる。

 すると、今まで聞こえなかった音が僕の耳に届いてきた。


 ――なんの音だろう? いや。これは音ではなく、むしろ泣き声?


 僕は、そう感じた。あるきながら周辺を見まわすも、人影はない。

 ただ、音には近づいたらしい。音はどんどんと大きくなり、今や泣き声だとはっきり認識できる。


「誰だろう?」


 疑問をつぶやいて、ぼくはもう一度あたりを見まわす。

 ぼくがつぶやくと同時に、まわりを飛びまわっていた精霊たちがゆっくりと、ぼくからはなれた。そして、ふわりふわりと庭園のより奥へと飛んでいった。しかし、そのまま飛び去りはせず、ぼくから距離をとった空中をただよっている。


 ――『こっちへ来い』と言いたいのか?


 そう思ったぼくは、精霊たちに近づく。

 すると精霊たちは、ぼくからまた距離をとる。

 近づいて、距離をとって。その繰りかえし。


 気がつけば、ぼくは小さな礼拝堂の前にたどり着いていた。


 そしてその頃には、泣き声が礼拝堂のなかから聞こえるのだと、推測がたっていた。


 ぼくは礼拝堂の扉へ近づく。

 ぼくが扉に近づくと同時に、ぼくのそばにいた精霊たちがいっせいにぼくから遠ざかった。


 礼拝堂の木造の扉には、銅製の精緻な装飾がほどこされている。

 装飾の模様から、この礼拝堂がこの国の人々が国の守り神として崇めるイリエンシス神を祀る場所だとわかった。

 途端。イリエンシス神を祀る本殿が王城内にあると、以前聞いたのを思いだす。


 ――もしかして、ここがイリエンシス神を祀る本殿? 国の守り神を祀っているにしては、小ぢんまりとした建物だ。


 考えをめぐらせながら、ぼくは扉ごしに礼拝堂のなかの様子をうかがう。

 思ったとおり、なかからは泣き声が聞こえてきた。


 ――いったい誰が泣いているんだろう?


 気になった僕はそっと扉を押してみる。

 子供の力ではなかなか重くはあったが鍵はかかっておらず、扉はゆっくりとひらく。


 ぼくは精霊たちを屋外にのこし、音を立てないよう慎重に礼拝堂のなかへ足を踏みいれた。


 礼拝堂にはいって最初に目にしたのは、正面の壁の上部にある豪奢なステンドグラスの飾り窓だった。

 今日は月が明るいためだろう。夜にも関わらず、飾り窓は礼拝堂のなかに色とりどりの光を送りこんでいた。

 神秘的とさえ思えるその窓から、僕は視線を下にずらす。


 そこは礼拝堂奥の中心にあたる場所で、国の守り神である女神イリエンシスの像が鎮座していた。像は実物大の大人の女性ほどの大きさで、整った顔立ちをしている。


 ぼくはイリエンシス像を頭部から足元へと視線を移動させて検分した。

 そして、像の足元付近で視線の移動をやめた。


 なぜなら、飾り窓からの光に照らされて立つ小柄な人物を見つけたからだ。

 その人物はイリエンシス像のほうをむいていた。しかし、服装から貴族階級の少女だろうと判断がつく。


 ――見つけた! 泣いていたのはあのだ!


 ぼくは隠された宝を探しだしたがごき高揚感に襲われ、思わず一歩少女に近づく。


 先程までのぼくは、物音に気をつけていた。それなのに浮足だってしまい、ぼくはカツンと靴音を立ててしまう。

 直後。びくりと肩をゆらし、おそるおそる少女がふりむいた。


「だれ?」


 警戒心のにじむ涙声で、少女がたずねる。

 僕はそんな少女の顔を目にして、思わず息をのむ。


 淡い桃色の長い髪と大きな水色の瞳が飾り窓から差しこむ光に照らしだされる。ふりかえった少女は、幼くはあるがとてもうつくしかった。

 義姉あねのロザリーもうつくしい少女であるが、彼女とはちがう儚さを感じさせるうつくしさだ。


「ぼくはカイ。舞踏会から抜けだして庭園を歩いていたんだ。そうしたら、泣き声が聞こえて。きみ、大丈夫?」


 警戒する少女に気づかう言葉をかけ、ぼくはゆっくりと彼女に近づいた。


「そうなんだ。わたしと同じね」


 ぼくが子供だったからだろうか。表情をゆるめ、少女は涙をぬぐう。

 ぼくは「同じ?」と少女の言葉を繰りかえし、首をひねった。


「わたし、舞踏会から逃げだしてきたの」


「逃げだす? どうして?」


 少女と似た状況の僕は、気になって質問する。

 すると、少女は「だって」と口にし、気まずい様子でぼくの疑問に答えた。


「お兄さまもお姉さまも、わたしの話を嘘だと笑うの」


 少女は急に語気を強めてそう主張した。

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