洗脳、恐ろしいです。
キリスト教による植民地化を防いだ鎖国政策とか、共産主義による暴力革命を防いだ赤化抑止とか、過去の日本国政府はこれらの危険に実に鋭敏でしたが……。
リベラル指向が強い昨今、舵取りが難しいですよね。
国民の方に知識がなければ、権力による規制は、絶対悪にされてしまいますし。
でも、区別も国境もないリベラルの理想って、北斗の拳みたいなヒャッハー世界のようなw
作者からの返信
国家というものは、区別、国境、両方で成り立っています。
なので、それを全否定するのは、まったく現実に
そぐいません。自由とは法と責任の上に成り立つもので
ある事を、認識しなくてはいけませんね。
今のリベラルにはそのあたりの感覚が
抜け落ちている様に思います。
新興宗教に知人や教え子を何人か奪われました。退会する者もいましたが、殆どの人が退会すると今度は極端なアンチになってしまい(中には敵対する宗教団体に入会する人も)、辟易したことがあります。
憲法でいう自由は個人の自由であって、自分以外の人の自由を是認するという前提でしか認められていないはずです。
・排他的な教義は認めない。
・反社会的な教義は認めない。
・例えば政党への献金を禁止するとか集会への政治家の出席を禁止するなど政教分離を徹底する。
・成人年齢未満の入会を禁止する。
・大学内での宗教活動は大学の理事会が認めないかぎり禁止する。
みたいな宗教新法をつくったらいかがだろうか。
僕は多神教的無信教。訪問先に神社仏閣があれば必ずお参りするし、実家には神棚も仏壇もあります。結婚式や葬式などで教会を訪れる時には十字架の前で跪き主の祈りを唱えます。神も仏も信じている敬虔な無信教徒です。曹洞宗のお寺に親の墓を人質にとられているので一応そこの門徒とはなっておりますけど。因みに僕の旦那寺の僧正は青山学院卒(大学院は駒澤)で、主の祈りは英文で丸暗記されておられました。以前勤めておりましたミッション系の大学のチャプレンさんは、「神様は人々を公平に愛して下さいます。御寄附を頂いた方もそうでない方も」と(「御寄附を頂いた方」を一寸強調して)仰っていました。
日本の宗教は、やさしい宗教であるべきです。圧力団体教であってはいけません。
N党の党首さん、「こわい」って、あんたそれでも政治家かよ。
作者からの返信
いつもお読み頂き感謝です!
おっしゃられている事には完全同意ですね。
日本の場合、公明党が与党で、圧力団体と
化しているのが非常に問題だと思います。
彼らは宗教団体の行動規制には徹底的に反対するでしょう。
政教分離の基本原則を曲げ、選挙対策ばかりに
腐心している今の政治家には、
本当にがっかりさせられます。
400年以上前、最初に政教分離を断行した信長公が、
今の政治を見たらなんとおっしゃるでしょうね?
編集済
ちょっと内容をほぼ忘れたのですが、前に『日本人は本当に無宗教なのか』という新書を読みました。
https://kakuyomu.jp/works/16817139554585782531/episodes/16817139556770588952
この記事と、コメ欄にて、僕がその本で読んだことを端的にまとめてます。
洗脳っていう言葉、マジレスすると、そんなものは広汎すぎて述べるに値しない、なんて思ってしまったりします僕。
宗教自体が洗脳ということもできますし、「宗教が悪だ」っていう言説もある種、「周りがみんな言ってるから……」という洗脳のうちにあるでしょうし、戦争賛美という洗脳もありますし、戦争反対という洗脳もありますし。
まあ、それは穿った言い方ですがね。オウム真理教や今回の統一教会のように、人に害毒を与えるという意味での洗脳とは違う意味になりますもの。
でも、今回に関しては、宗教はオワコンだ、という自分のイメージを拡大させる結果になりましたね。オウム真理教のようなはみ出し者ではなく、グレーラインにいる際どい宗教がバッシング対象になったので。
自分としては、儀式を通じて人間のコミュニケーション空間を生み出す点において、現代の幸福度低下問題に強いと思っていて、宗教を期待しておりますが……。
一応僕は、臨済宗妙心寺派です。父が、先祖は農民の一族の癖して臨済宗にいる、と言ってましたね。でも、寺、仏教よりも、神道の方が自分には親しみが持てます。しかしそうとはいえど、日本書紀の創世神話にもピンと来ないですし……。そういえば、代々木上原のモスク、東京ジャーミィにも行きました。
無宗教か否かですが、そのテの議論を昔見て、それが複雑で理解しかねたので、ちょっと分からない、と回答します。
めちゃくちゃ長くなりました。長文失礼です。
作者からの返信
いつもお読み頂き感謝です。
宗教そのものは、人の心の救いになる要素が
ありますから、全否定する必要はないと思います。
宗教を利用して一儲けしようとか、
乱交しようとか、社会不安を煽ろうとかする輩が
出て来るのが問題な訳で…。
この手の宗教の教祖は大抵変な妄想に取り憑かれて
いる事が多いので、やばいですよね。
仏教も禅宗などは自力本願を基礎とし、
己を鍛えて悟りを得る事の大事さを教えます。
こういう考え方なら、広まるのはOKだと思います。
私は無宗教ですが、両親はクリスチャンです。父親の実家は天理教でしたかね。両親が入信した理由は、息子の親不孝が原因だったとかそうでないとか(滝汗)。
私は日本国憲法で保証を謳われる第19条思想・良心の自由と、第20条信教の自由に則って、法の枠の中で活動する限りはそれ以上の制限を課されるべきでないと考えています。
腹ん中で何考えてようと、どんな趣味を持ってようと、実際に犯罪に手を染めない限りは好きにせえよってのが民主的で自由な国だと思うのです。
綺麗事と言う方もいるでしょう。治安の維持に莫大なコストがかかり、これからも大きな事件は起きるでしょう。専守防衛ですから。
結論は出ないかもしれませんが、それでも議論されるべき課題ではないかと。
作者からの返信
宗教に洗脳されやすい人は、いつの時代にも
一定数存在すると思います。
悪辣な新興宗教に洗脳されると、
本人はそれが間違っているとは思いません。
それが社会常識を逸脱していてもです。
故に
>腹ん中で何考えてようと、
>どんな趣味を持ってようと
というのは、個人の範囲内であればOKですが、
これを集団で組織だってやられるとかなり危険です。
オームの例から見ても、起ってからでは遅い。
このあたりの考え方は、色々あるとは
思いますが…。
なんとなく、思想を強制する神が存在しない、というのは必ずしも良い事ばかりではない、という気がしてきました。
たとえば店員に対して横柄にふるまう客というのがよく問題になりますけど、これは日本人に特に多いそうです。
もしかしたらそれって、自分より上位の存在がいないために、欲が抑制されないからなんじゃないかと。
ちなみに昔なら「お天道さまが見ている」という事で、傍若無人なふるまいはそこそこ控えられてたようですし、それも一種の宗教だとは思いますが、今はそれも霧散しましたね。
作者からの返信
神社にも神の教えというものがあります。神社でお伺いすると、口頭で3つの教えを頂けます。
ひとつ、人を愛すること。
ふたつ、自然を愛すること。
みっつ、先祖に感謝すること。
傍若無人な行いは、人を愛する事に繋がらず、先祖の顔に泥を塗る行為ですから、神の教えに反する行為です。