第17話ㅤ縫合の谷


◆◇


ㅤアイリオスの北に広がる縫合の谷は、主に茶と黒の土で形成されている。その成り立ちは今はもう地の底に沈んだ火山が形作ったものであるだとか、過去の戦争によって流された血によって変色したなどと言われているけれど、真相は定かでない。深いひび割れによる起伏の激しい峡谷が広がっていて、町からすぐそばにある鉱石運搬用の斜面以外に谷底に降りる道はないという。

ㅤ崖から底を覗き込むと、濃い霧がかかっていて全容が窺い知れない。アッシュによればこの霧も、普段は滅多に見られないものであるらしい。明らかに予想できない何かが起こっている。彼女はそう明言して、私たちに気を引き締めるよう促した。


「町に来る前に出会った熊みたいなのも出るのかな……」

「基本的には精魂虫バグスピリットがわんさかいるものと思っていいけれど、もしかすると熊だっているかもしれない。なにが起きたって驚かないようにしないとね」


ㅤ私たち五人は、フェザーソードを構えるクロを先頭に、ハンマーを得物とするアッシュ、可愛らしくデコレーションされた短銃を構えるイルチェ、鉄板数枚からたくさんのナイフを生み出して収納しておいた私が並び、両手で槍を持つジトが殿を務める。

ㅤ私はイルチェが構えている銃に興味津々だった。そういえばアイリオスの門を潜る時、銃を撃っていた自警団員がいたように思う。あの時は風貌をよく観察する暇などなかったから確認できなかったけれど、おそらくイルチェだったのだろう。

ㅤ私の視線が背中に刺さったのか、イルチェが顔だけこちらを向いて私を睨みつけた。


「なに、イルの背中に何か付いてる?」

「あ、いやあ……この世界にも銃があるんだなあって」

「この世界にも?あんた、変な事言うのね……まるで他所の世界から来たみたい」

「ええと、実際外の町から来たから」


ㅤここで本当に別の世界から来たと言ったところで、彼女はなんと思うだろう。今のところはっきりと別世界から来たと告げる相手をクロのみに留めているのは、正直私自身がなんと思われるか不安だからである。

ㅤフィルターの言ったことが本当なら、国が主体だったとはいえ、この世界の人々は戦争を止めてくれた英雄を追い詰め、捕らえた人達の末裔という事になる。果たしてそれがどれくらいの規模であったのかは知る由もないけれど、クロという関係者がいる以上、わざわざこちらから聞くのも憚られる。

ㅤかつての英雄も、この世界の人間ではなかった。だとしたら、数十年の時を経てその事実を知っている人間が世に出ていてもおかしくはないと思う。私も英雄のように別の世界からやってきた人間だと知られたらどうなるか想像はつかない。だからこそ、精精珍しい能力を持っている少女、程度に思わせるくらいがちょうどいい。


「そうね、実際に外からやってきたものね。それはもう、ド派手に」

「あの時閃光弾を撃ってくれたの、イルチェだよね。ありがとう」

「別にお礼を言われるようなことはしてないわ。蛇を撃退するのはイル達の役目だもの。それにジトやジン様と一緒に並べたから……」


ㅤ後半は呟くように言っていたけれど、至近距離だったのではっきりと聞こえていた。なるほど、やっぱり彼女にとってはそれが何よりの報酬なんだなあ。私だってクロと並び立って戦えたら、それはもう嬉しい。そういうことなんだろう。


「見えてきた」


ㅤ特になにに遭遇することもなく、私たちは谷底へ到着する。斜面は鉱石などを乗せた台車を登りやすくするためだろう、傾斜は緩めで長い道のりだったので、これだけでも結構足に来る。

ㅤ私の身体はどういうわけか、アラサーボディから若返ったみたいだけれど、運動不足なのは変わらないみたい。ちゃんと適度な運動を日課にしないといけないな。

ㅤ足をさすりながらアッシュからもらった木製の水筒に入った水を口にしていると、クロが前方への注意を促した。


「さっそく何かいる」

精魂虫バグスピリット?」


ㅤクロは霧の向こうにいる何かの気配を黙って吟味した後、剣を胸の前で構え、後ろを向かずに声を発する。


「でかい」

「でかい?てことは……」

「……っ、伏せて!」


ㅤクロの叫びを聞き、全員が一斉に身を伏せる。ごめんなさい。正直言うと私は後ろにいたジトが肩を押さえてくれたおかげで伏せられました。ありがとうジト。

ㅤそんな私たちの頭上を、細長い何かが通り過ぎようとした。通り過ぎたのではない。通り過ぎようとしたのだ。つまり、通り過ぎられなかったのである。頭上を飛んだそれは、身を伏せるとともに槍を高く上へ突き出したジトの攻撃によって、見事に腹部を貫かれていた。


「うわっ、蛇?」


ㅤジトが仕留めた獲物を器用に地面に叩きつける。それはバスケットボールほどの大きさの頭をした、細長い胴体に背には小さな羽を生やした蛇のような魔物だった。腹部からを流し、大きな口から舌を伸ばしたままぐったりとして動かない。

ㅤどうやら襲いかかってきたのはこの一匹だけらしい。クロが警戒を少しだけ緩めこちらの様子を伺っている。

ㅤ魔物の亡骸をハンマーの先端でちょんと突いて、アッシュが唸った。


「これ、あのでかい蛇の小型版じゃない?町の外にいる蛇には羽はなかったから、大きくなると退化するのかも。にしても蛇か……そうね、確かにありえたはずなのに、考えていなかったかも」

「どういうこと?」

「もしかすると谷底には、あの蛇の巣があるのかもしれない」


ㅤ蛇の巣というと、木や岩の陰とか、巣穴を掘ったりするようなイメージだ。もし土と砂と岩だらけの谷底に巣があるとするなら、あの巨体を収めるだけの巨大な穴があってもおかしくない。もしその巣穴に潜入する必要が出たりしたらと考えて、私は背筋がゾッとした。

 その時だった。うっすらと視界を覆う霧の向こうから、人が着用する外套らしき布の端が、一瞬だけ覗く。感覚の鋭いクロがそれを見逃すはずもない。彼女は瞬く間に外套が見えた先へ剣先を向けると、叫んだ。


「誰!?」


 返ってくる声はない。しかし今度ははっきりと、誰かが足早に駆けていく足音がする。アッシュ達もそれには気づいたようだった。


「何、誰かいたの?」

「至近距離に一人、外套が見えた」

「顔は見た?」

「そもそも外套の端しか見えてないわ。だからそれが人かどうかすらもわからない。けれど足音がしたからには、間違いなく地に足の付いた生き物であることは間違いないでしょうね……そして」

「そして?」

「やつは私達の敵である事に違いないみたい」


 間髪入れず霧の中から三匹、先程と同じ小型の蛇が姿を現し、一匹は正面のクロへ、もう一匹はクロの斜め後ろにいたアッシュに、最後の一匹は銃口を下ろしていたイルチェに向かって飛びかかる。イルチェは霧の中に人がいた事によっぽど驚いていたらしく、口を開きっぱなしにして油断していたようだった。

 ジトが速やかにカバーに入る。身の丈以上の槍を器用に、そして軽やかに振り回し、勢いをつけた柄で蛇を薙ぎ払い、アッシュの肩越しにもう一匹の蛇を突く。その流れで一度払った蛇も一突きして、トドメを刺した。

 クロはというと、一切の予備動作なく、そして剣を振るった痕跡すら残さずに蛇を胴体から真っ二つにしていた。達人の居合いかな。フェザーソードには血の一滴すら付いていない。


「どういうこと……この蛇はあの外套を守ろうとした……?」

「クロ、他に気配は?」

「ないわ。おそらく」


 おそらく。気配を察知するのに長けているクロから不明瞭な言葉が出るのは少し珍しい。この霧で視界が悪いのが、知覚にも影響を及ぼしているのだろうか。クロもそれを歯がゆく思っているらしく、若干苦々しさが顔に出ている。

 ジトが槍に付いた青い血を払い、次はどうするべきか促した。


「どうする?このまま進む?」


 アッシュはなにやら思案しているようだった。今の私達の行動を決めるのが彼女の役割であるので、慎重に状況を整理しているんだろう。しかしどうも腑に落ちないところがあるようで、彼女もまたクロと同じような顔をしていた。


「少し状況を整理したいのだけれど、今まで見たことのない羽の生えた蛇がいて、普段見ることのない霧がかかっていて、外套を着た謎の人物が谷底にいて。あろうことか蛇の血は青く、外套を守るように襲いかかってきた。となると、考えられる事は決まってくるわよね」

「蛇の血が青いってのは?」

「何、あんた勉強してなかったの、イルチェ。青い血ってのは基本的に、この世界にいるべきでない……ううん、いたものでない生き物が流す色なのよ」


 この世界に、という言葉に私はドキリとする。クロも少し反応していたようだった。イルチェは腰に手を当て、プリプリと怒っている。


「そ、そんなこと知ってるわよ!」

「正しくこの世界で生まれ、この世界で生きる生き物は、総じて血が赤い。ただ一つの例外もなく。だけど魔力を介した存在、魔力を用いて無理やり使役している使い魔や、別の世界から召喚された召喚獣なんかは、血管に魔力が混ざり、しばらくは青い血を流すようになる」


 血液が赤いのは、確か血中を流れる色素が赤いからだ。酸素を運ぶ成分だかなんだかが鉄分を多く含んでいるから赤い。だけど例えばエビやイカなんかは、それが銅を含んでいるから血が青い。しかしアッシュの解説によれば、この世界の生き物は総じて血が赤いらしい。例外もないときた。ということはこの世界にエビやイカなんかはいないんだろうか。

 考えてもみてほしい。たとえ同じ現実だとしても、私がいた世界とこの世界は異なる世界である。異なる、という部分がキモだ。つまり、前の世界と今の世界では私の知る「常識」が通じない部分だって多分にある、ということになる。

 もし血の成分について科学的な違いがなかったとしても、例えばこの世界には何らかの作用が働いていて、本来青くなるはずの血が必ず赤いものになる、という法則が適用されている場合があるのではなかろうか。


「魔力ってものは、青いものなの?」

「そうね……って、何。トーカ、あんたも勉強不足なの?」

「あ、いいや……ううん、なんというか、知ってはいるんだけど、確認したくって。私、魔力……というものについて、造詣が深くないから」

「ふうん?」


 知ってはいる、というのは当然嘘だ。ほとんど、いやまったく知らない。しかし、これ以上私がこの世界について何も知らないとひけらかすのはよくない。あまりに無知であると知れたなら、私の、ひいてはクロの立場だって悪くなる。


「魔力というのは、いわば生命のエネルギー。澄み渡る空も、流れ広がる大海も、そのすべてが青で出来ている。だからこそ、魔力は青いとされている。例えばこう」


 アッシュが手のひらを広げると、その上をほんのり輝く青い粒子が渦巻いた。魔力というものを視覚的に見せてくれたんだろう、なるほど、たしかに青い。


「ただこれは、何の属性にも浸っていない純粋な魔力そのもの。これを火の属性として取り扱うと、赤くなる」


 つまり、魔力自体は輝く青だけれど、アッシュ達の挙げる火や土といった属性の影響を受ける事で、どんな色にも変わるということだ。だとすると、血が青くなるのはどういう事なのだろう。


「血が青くなるのは、それが使役や召喚によって術者の魔力が浸透しているから。そういう魔術というのはつまり、自分の魔力を相手に流して、無理やり言うことを聞かせる、支配下に置くためのものだからよ。血が他人の魔力の影響を受けて、青くなるという現象が起こる」

「つまりあの外套が術者かもしれないってわけでしょ。ならさっさと後を追う?それなら照明弾じゃなくて、鉛玉に入れ替えたほうが良さそうだけれど」


 イルチェは再度銃身をぱかりと二分して見せた。どうもあの銃というものは、結構簡単に分解できるらしい。装填リロード調整チューニングをしやすくなっているのかもしれない。


「そうね。こういう時、ハズマならいいアイディアが浮かんだんだろうけれどね」


 ハズマはアイリオスの町の監督者だ。監督、という役割を任せられるからには、人を纏め、人の上に立つだけの度量と器量があるんだろう。しかし彼については、どうにも見た目が若いのが気になった。前の世界における私と同じくらいの年齢にも思える。本来ならもっと年長者が就くべきところに彼が収まっているあたり、買われるだけの経験を積んでいる人材なのかもしれない。


「彼はで騎士として務めていた剣の達人なのよ。けれど事故で手足に大怪我を負って騎士を引退、過去に彼の愛用の剣を製造した恩師が住んでいる、っていうアイリオスの町を訪ね、監督者になった」


 なるほど、そんな経緯があったのか。しかし騎士を引退したというからには、よっぽど怪我が酷かったんだろう。確かに彼は自ら先陣を切るような武装をしていなかった。


「けれど今こんな事を言っていてもしょうがないわ。後を追うしかないわね……」

「それなら問題ないわ」


 剣を構えたまま話を聞いていたクロが、静かに言い放った。


「外套はまだこの辺りにいる。近くから離れていないわ。まだ気配がするもの」


 そうして、彼女は首を捻って霧の向こうを顎で示す。


「だから油断はしないほうがいい。イルチェも、今すぐ鉛弾に換装して。あの照明弾は、魔術師には気休めにしかならない。だったら攻撃力はあったほうがいい。もし相手が魔術を発動しそうであったなら、物理的に一番に手が届く」

「わ、わかったわよ」


 イルチェが銃弾を入れ替え終えると、私達はクロが指し示した方向へと歩き始める。相変わらず霧のせいで視界は良くない。いつどこから蛇に襲われてもおかしくないだろう。クロが前方を、ジトが背後を警戒する。その隊列は変わりなく、しかし一度も蛇に襲われる事なく二つの色が綺麗に混ざった土壁にたどり着くと、クロがその壁を剣で突き始めた。


「ただの壁?クロ、何かあるの?」

「何か、というか……」


 端から端へ、下から上へ。調べ物をするみたいに土壁を虱潰しに突いていく中、やがてクロは一点で動きを止める。


「アッシュ、そのハンマーで、この部分を強く叩いてくれる?」

「壁を?なんで」

「この谷底に、正体の知れない外套と、それを守るように動く魔力の支配下に置かれた小型の蛇。そしてなにより、この視界不良の原因である霧。これらは全部、あの外套でないにしても、人為的に生み出されたものであることには変わりない。それなら、こういうだってできる」

「何か知らないけれど……そう言われたからには力いっぱいやってやるわ!すぅ…………そいや!」


 アッシュが言われるままにハンマーを土壁へ叩きつけると、茶と黒の土が綺麗に混ざっていたはずの部分が激しい物音を立て、ものの見事に崩壊して大穴を開けた。


「うわあ……!」

「わあ、すごいすごい!」

「ちょっ、ジト、危ないわよ!こっちに来なさい!こっち!」


 バラバラと舞い散る土塊から身を守る私と、見事に炸裂したアッシュのハンマーによる一撃に関心し飛び跳ねるジト、それを土壁から遠ざけようとするイルチェはひたすらに驚いていた。気のせいか、ハンマーを存分に振るう事ができてアッシュはやけにすっきりとした顔をしている。まるで場外ホームランを決めた野球選手のように清々しい。のんきに額から汗を拭っている様子とは裏腹に、彼女目掛けて飛んできた土塊をクロが弾いてあげていた。優しいね。


「ふぅ、そうね。言われてみれば、もしあの外套がこの谷底で何かを企んでいて、何かを隠そうとしているとしても、現にアタシ達が来ているのだし、霧だけで隠そうには心許ない。もっと大々的に隠す手段が必要になる……」

「だからってこんな土壁に隠すもん!?」


 がっしりツッコミをしてみせるイルチェの顔を押さえて、アッシュは真剣な面持ちで言い放った。


「ま、なんだっていいわ。ただ一つ問題があるとすれば、これが魔窟ダンジョンである可能性だけれど」


 来ましたダンジョン。こういった世界の定番といえば、やはり宝が眠り魔物蔓延る地下迷宮ダンジョンだ。でも当て字は魔窟ダンジョンと来た。

 この場に似合わず、ジトがわくわくしているような声を出す。


魔窟ダンジョンって、私初めて見たかも!でもこんなところに出来るものなの?」


 アッシュの説明によると、この世界には魔窟ダンジョンが自然発生するという。とんでもない世界であるけれど、いくら自然発生するとはいえ町中に突然生まれたりするようなことはなく、ある程度決まった法則があるらしい。

 一つ、人が頻繁に出入りする場所でないこと。

 二つ、固定された属性概念が一つであること。例えば縫合の谷であれば、土の属性。これが水と土の属性が混じっている深い河の流れる渓谷であったならば、複合属性であるので、条件には当てはまらない。

 三つ、地域に影響を及ぼす強い原生生物がいないこと。もし竜種ドラゴン鷲獅子グリフォンなどの縄張りを形成するようなボス級の魔物がいたならば、魔窟ダンジョンなど出る幕はない。なにせすでにそこが魔窟ダンジョンのようなものだからだ。

 魔窟ダンジョンはその土地の構造を捻じ曲げ、たとえ物理的に不可能な状態であろうとまるで元からそこにあったかのような厚顔で存在するという。内部には魔窟ダンジョンと共に生まれた魔物が闊歩しているが、しかしその奥地には決まって親玉が存在し、それを倒して手に入れるに値する一攫千金のお宝もある。

 聞いてみればわくわくする話だけれど、それは他所から来た私だからこその考え方なのであって、元々その土地に馴染みのある人々からすればいい迷惑だろう。お宝は誰だって欲しいだろうが、それが厄介な邪魔者付きで存在するのなら、手の施しようもない。

 それに、魔窟ダンジョンがいつどこに発生するかは完全に気まぐれなので、対策しようもないという話だった。


「だけど魔窟ダンジョンが発生した場合、それを感知する組織がいち早く全国の腕利き達に伝えるし、もし本当に魔窟ダンジョンであれば人が殺到するでしょうから、それに事態の解決を任せてもいいけど……現に今アイリオスの町は大蛇の標的にされてる。もしかするとこの魔窟ダンジョンの親玉があの蛇で、それがどうやってか魔窟ダンジョンを抜け出し町を襲っているなんて可能性もある……」

「何にせよ、可能性に足を掬われてる場合じゃないと思うけど?この穴はあの外套の隠れ家かもしれないし、今町の外で動けるのもあたし達だけ。大蛇はフリュエ達に任せてきたし、この穴を調べないでいられるほど余裕もないでしょう?」


ㅤアッシュはどうにも歯痒いようで、腕を組んでうつむきうんうん唸ったのち、決意の眼差しで顔を上げる。


「……ま、それもそうね。のんびり待っている暇はないわ」

「だとしたら、やることは決まってくるんじゃない?」


 クロは鼻を鳴らして、剣を床に突き立てた。


「いざ、魔窟ダンジョン攻略よ」



◇◆


 どうも、こちらトーカさん達と分かれたフリュエです。手に魔術補助手甲フリュアステリズムを嵌めた、休学中の魔導学生です。理由あって旅をしていた途中、これまた理由あってアイリオスの町を守るための戦いに参加する事になりました。


「君がフリュエ君か。アッシュから話は聞いているよ。なんでも、その手に嵌めた手甲で光の魔術を放つことができるとか」


 ここは自警団詰所です。今私は詰所内に無造作に置かれたテーブルに案内され、椅子に座っています。

 時刻は朝の七時くらい、でしょうか。本当はもっと早くここへ着いたのですが、なんでも監督者であるハズマさんが朝に弱いという事で、朝の協議ミーティングは少しずれた時間に行われるらしいです。ですが私の目の前に立つジトさんのお兄さん、燃えるような髪を持つジンさんは朝四時、つまりは夜明け頃から活動し、町の要所を警護して周っているそうな。

 ジンさんは昨夜すでにアッシュさんから文書で話を聞いているそうで、私の名前、経歴、武器の構造もすべて記憶していたので驚きました。私も記憶力にはある程度の自信がありますが、どうにも身近な人の個人情報となると途端に記憶するのが苦手となり、よく人の名前を間違えたりします。


「ご覧の通り、この町は鉄の加工に長けてはいるが、魔術師とは無縁でね。魔力を扱う事ができる人間はいるけれど、魔力を扱えるからといって魔術師とは限らない……というのは知っているね。平たく言えば攻撃に転じる魔術を扱える人間がいないということだ。情けない事にね。だからこうして君が我々自警団に協力してくれるというのは、大変喜ばしいことなんだ。だからまずは、こうして協力してくれることに感謝している」

「あ、はい。私で力になれるなら、こちらとしても嬉しいです」


 ジンさんが手を差し出したので、私は握手をします。

 彼の腕は一見すると細身ですが、手を握るとその見た目が信じられないほどにギュッと筋肉が引き締まっていて、鋼のように硬い事に驚きます。

 私の腕も長さだけが取り柄で細いばかりですが、見た目通りで筋肉などなく、一撃でも物理攻撃を受ければ簡単にへし折れてしまうほどに貧弱なので、羨ましい限りです。

 というか男の人の手をこんなにもしっかり握ったことなど久しくなかったので、なんだか照れてしまいました。すると背後から、元気の良い男の人の声が響いてきます。


「なんだあ?ジンさん、随分かわいい子が詰所にいますねえ!ナンパすか?あ、ジンさんはそんなタイプじゃあないか!すんません!」


 元気が良いというか、とても軽薄な声でした。

 その男の人は跳ねた茶髪に黄色い瞳をしていて、背にジトさんが背負っていたものとは系統の異なる槍を交差させて二本括り付けており、自身に満ちた堂々とした姿で胸を張り、口の端を吊り上げ大変愉快そうな顔をして詰所に入ってきます。

ㅤ彼は私に並び立つと、私の視線が自分より高い位置にあることにたじろぎました。


「あ、あれえ?近くで見ると俺より背が高い……」

「こらウェハ。元気に戻ってきたかと思えば、朝から無礼なやつだな、君は」

「そんなことよりジンさん、この人だれっすか?紹介してくださいよ!」


 ジンさんは一つため息をつくと、私に申し訳なさそうな顔をします。


「うるさくしてすまないね。彼の名前はウェハ。自称自警団の一番槍でね。口と身体が元気なのがなにより取り柄の若者だ」

「やだなあジンさん。俺はあんたより二つ年下なだけですよ。そんなに若く見えますかね?」

「ウェハ。そんな事は言っていないしなんでもいいが、君はもう少し声を落としたほうがいい。まだ町は朝を迎えたばかりだ。君があまりにうるさいと、また近隣から苦情が舞い込んでしまう」

「あー、へいへい。すんませんした。…………え、てか苦情来てるんすか?」


 ジンはこほんと一つ咳払いすると、目をつむったまま言い放った。


「苦情なら、ジトからも来ている。ジトに対抗するために槍を二本持つのは自由にして構わないが、そろそろ問答無用で勝負を挑むのを辞めて欲しい。実力の差は歴然のはず、だそうだ」

「……があっ!?ま、まじっすか……凹むわあ……確かに俺は一度もジトに勝った事はないっすけどぉ……なんでこう、あんた達兄妹はどっちも武術の天才なんすか!ジンさんなんかどんな武器をもたせても達人級なんて、無茶苦茶っすよ!」


 ジンさんはやはりそれほどまでに強いのでしょうか。確かに彼の立ち振舞いは、あらゆる状況下においても冷静さを欠く事なく、常に表情に余裕を湛えていそうに思えます。この場で突然ウェハさんが槍を突き出したとしても、あっという間に返り討ちにしてしまうでしょう。

 おそらく彼に私の魔術補助手甲フリュアステリズムを渡したとしても、なんとかなってしまいそうな気すらします。


「そこはほら、日々の心がけしだいだよ。私やジトは常日頃から寝る時間以外のほとんどを警護と鍛錬に費やしているが、君は空いた時間があれば女遊びに興じるだろう。色恋に夢中になるのも自由だが、あまり熱を込めすぎないようにするといい」

「いや、あんたやジトは鍛錬ばっかしすぎでしょ!二十四時間鍛錬してると思われてもしょうがないほどの鍛錬バカ!ついてけませんって!…………というか色恋って!女遊びって言い回しも単なる異性との文化的交流だと思ってそうだし!ウブすぎるでしょ!純真すぎるでしょう!俺がやってるのは色恋じゃ……ってそんなことはどうでもいいっすわ!」


 ウェハさんは頭を抱えてくねくねとしながらも、突然ぴしりと直立したかと思うと、何かを諦めたような顔をして、さわやかに疑問を投げかけます。


「あーところで、二度目っすけど、この人誰なのか説明してくれませんっすか?」

「妙な言葉遣いをするな。それにウェハ、まだ気づかないか?君は一度彼女に会っているはずだぞ?」

「へ?」


 そう言われて、ウェハさんは私の顔をまじまじと見つめます。こういう浮かれたタイプの人は苦手ですが、やはり男の人に見つめられると照れますね。彼はしばらく私の顔、というか頭のてっぺんから爪先まで舐め回すように見つめると、ようやく何か思い出したように顔を明るくさせました。


「ああっ?!もしかして住宅街の隠れ酒場のお姉さんかな!?」

「違う。彼女は最近この町を訪れた三人組の旅人、その一人のフリュエさんだよ」

「旅人ォ……?」


 ウェハさんは手をぽん、と合わせます。


「ああ!あの超!滑り込みセーーーッフした三人組!思い出したっす!ああ、投げられた人だぁ!いいケツっしたあ!あざす!」


 ジンさんは予備動作もなく詰所の壁に立て掛けてあった掃除用具を振るい、ウェハのお尻をひっぱたきました。


「ぁだい!」

「彼女は今日、我々の防衛任務に協力してくれるんだ。彼女の右の手に嵌め込まれたものが?ウェハ」


 ジンさんの言葉は、語尾がものすごく強調されています。まるで幼子に注意する親のように。ウェハさんはジンさんの言葉を聞いて、口を強く結んでそれから何も言わなくなりました。


「それは魔術を埋め込んだ手甲でね。アッシュの話によると、激しい閃光を放つ事ができるらしいんだ。これはあの大きな蛇への対抗策になる。ウェハもあの蛇が眩い光に弱い事は、よく知っているはずだ。そうだね?でないと試し撃ちとして君の毛髪をちょっと焼いてもらうくらいの行為を彼女に頼むのもやぶさかではないが」


 ウェハさんは黙って高速でうなずきました。


「それと引き換えに、ジトとイルチェはアッシュの依頼で谷底の調査に出てる。いや、これから出るのかな。門番からの合図はなかったからね」


 ウェハさんは寂しそうな顔をしました。きっとジトさんがいないことが寂しいんでしょう。


「……そうだ、フリュエさん、これからハズマさんが来るけれど、その前に一つ質問していいかな」

「はい、なんでしょうか」

「君は青い血がどういうものか、知っているかな」


 青い血というのは、この世界に本来いるべきでない、或いはいたものではない存在が流す血の事です。血が青色をしているのは他者の魔力が多量に含まれているためで、本来であれば赤いはずの血中の色素が、何の属性にも染まっていない魔力によって変色し自身が他者による支配下に置かれているという証明として、血が青くなる、とされています。

 しかしそれは一部異なる、というのが魔導学会による見解です。

 確かに魔力は生命エネルギーであるがために青く、その色は空や海の青から来ているものとされています。しかし魔導学会の頂点であり、この世ではない場所を見通す瞳を持つとされるは、魔力そのものは次元の異なる層から引き出されるエネルギーであると提唱し、青は異なる層そのものを示す色だとしています。人は人を活動させる原動力である心臓を介し、この世界における神秘である生命を引き換えにして、異なる層における神秘である魔力を引き出す。

 生命を元に魔力を生み出すのは現在の考えと同じですが、その原理は異なり、自分ではなく、世界からエネルギーを引き出している、という話になります。

 確かに人は魔力を激しく消耗したとき、まるで激しい運動をしたような疲労感を得るようになっています。それは確かに自分の生命を消耗して魔力に替えているように思えますが、賢者の言う生命を代替品として他所から魔力を引き出しているやり方であったとしても、辻褄が合うのが面白いところです。


「青い血は、この世界にいるはずでないものに流れる血ですね」

「やはりそうか」


 どういうことか分かっていなさそうなウェハさんが、黙ったまま表情で訴えました。


「どういう原理なのか詳しくは解明に至っていないらしいが、他者の魔力が染み込んだ血液は、青色に変色すると言われている、という話で間違いないね?」

「はい。でも、その青い血が、どうかしましたか……?」

「君たちを襲ったあの大きな蛇は表皮が異常なほど硬く、私の得物やジトの槍、イルチェの銃を持ってしても傷つける事はできない。だから唯一の弱点と思われる強い光で撃退するに留まっているのだけれど、今朝この町を覆う鉄壁の状態を調べていた団員が、やつの体当たりによって破損した鉄壁の一部にこびりついた青い血を発見してね。我々はこれを、あの大蛇が流した血だと見ている」

「……あの大蛇の血が、青いと?しかしなぜ血がついていたんでしょうか」

「破損していた部分は鉄壁が折れ曲がり、尖った部分が外側を向いていた。もしかするとあの大蛇が鉄壁に突進した際に、口内を傷つけたのかもしれない」

「なるほど……ですが」


 私の頭に不安な考えがよぎります。どうやらジンさんも同じ考えが浮かんでいたようで、私と目が合うとこくりとうなずきました。


「あの大蛇は例えば変調域に自然発生したものの中でも、特別大きな体躯を持つだけの魔物に過ぎないと考えていたんだが、あの大蛇が流す血が青いというのなら、話は変わってくる」

「青い血は、謂わば他者の支配下にある証……。魔術的干渉によって眷属となった使い魔や、召喚術によって喚び出された召喚獣等……もしあの大蛇が、それらであれば」

「そうだ。この町は何者かが使役している大蛇によって襲われている事になる」


 詰所の入り口から、大きな足音を立てて誰かが駆け込んできます。それは急いで支度をしたためか服装が大きく乱れたハズマさんでした。ハズマさんは寝癖のついた茶髪をがしがしと掻いて、口を横一文字に結んで黙っているウェハに不思議そうな顔を見せます。


「なんでお前、そんなところにおかしな顔して突っ立ってんだ?……ああ、フリュエ、だったか。朝早くにご苦労さん」

「おはようございます。今日はよろしくおねがいします」

「ああ、こちらこそよろしくな。んでジン、何やら俺のところに起こしに来たズーハのやつが、早急に俺に相談したい事がある、つってたんだが……」


 ジンさんは真剣な顔をして、カップに注いだ水をハズマさんの前に差し出しました。ハズマさんはそれを喜んで受け取ると、一気にがぶりと飲み干します。


「実は今朝、ある発見がありまして」

「ほう?」


 私はこの時、何か大変な事態が起こり始めている胸騒ぎがしていました。不明瞭ですが、間違いなく私達に、そしてこの町にとって重大な事態である。そんな状況を見通せないが故の胸騒ぎがこみ上げて、胃が軋んでいる気がします。

 ハズマさんは近くにあった椅子を引っ張り出して腰掛け、ジンさんの真剣な話を聞く姿勢をとりました。


「で、どんな発見があったんだ。あの大蛇を打ち負かす兵器の案でも思いついたか?」

「その大蛇なんですが」


 ハズマさんはカップにおかわりの水を入れてもらい、再度口にします。


「あの大蛇は、何者かがこの町を攻撃するべく差し向けた使い魔、或いは召喚獣である可能性があります」


 そして驚いて、口に含んだ水を吹き出しました。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界の少女をのぞく時、少女もまたこちらをのぞいている 黒菓子 @blacktiramisu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ