十 魂反(2)

「…ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」


 やがて、森から溢れ出した樹々が水際にまで広がっている茂みのような場所で、シラコはいつものようにその姿を夕闇の中へ溶け込ませて消える……。


 俺もその場で足を止めると、荒い息もそのままに周囲を見回し、おそらくそこにいるであろう大切な友人・・・・・の姿を探した。


「…ハァ……ハァ……ホタルっ!」


 それは、湖の波打ち際に浮かんでいた……。


 俯せになっているため顔は見えないが、濡れたおかっぱの黒髪と萌黄色の半袖ブラウスは明らかにそれが彼女であることを示している。


 そのずぶ濡れになったほたるが、湖の小波さざなみに岸辺からゆっくりと引き放されたり押し戻されたりしながら、ぷかぷかとそこに浮いているのだ。


「ホタルっ! ……冷っ…!」


 慌てて駆けより、水から上げようとその体に触れると、まるで氷のように彼女は冷たくなっている。


「…クソっ! ……ホタルっ! ……しっかり…しろっ…!」


 その良くない想像をしてしまう冷たさを両の手に感じながら、俺は精一杯の力で、水を含んで重たくなっているほたるの体を水面から岸へと引き上げる。


 そして、その冷たい体を仰向けにし、血の気の失せたほたるの口元と胸を確かめてみると、案の定、呼吸と心臓はすでに止まっていた。


「…クソっ! ……なんでこんなことに……おい、ホタルっ! 目を開けろっ!」


 俺は手を重ねて胸に当て、懸命に心臓マッサージをしながら彼女に帰ってくるよう呼びかける。


「…ちきしょう…スー……ハァ……ハァ……息をしろっ! ホタルっ!」


 さらに、彼女の紫色になった唇に口づけをし、見様見真似で人工呼吸も試みてみる。


「…ホタルっ! ……逝くなっ! …ハァ……ハァ……逝っちゃだめだ……なんで……おまえまで……」


 それでも、再び彼女の心臓と肺が動きを取り戻すことはなく、やがて俺の腕はゆっくりとその動作のスピードを落としてゆき、ついには諦めて力なくその場に崩れ落ちた。


 ……なんで……なんで、ほたるまで………もう少しで、すべての真相にたどり着けるところだったのに……こいつだけは、守ってやれると思ったのに……。


「…くっ……なぜだっ! なぜ、ホタルまで殺した!? やるんなら俺を殺せばいいだろう! どうして俺じゃないんだよ!?」


 急に抑えきれない怒りが込み上げてきて、俺は周囲にひなたの姿を探しながら、夕闇に包まれゆく湖畔に怒鳴り声を響き渡らせる。


「…………ハッ…!」


 すると、まさかその声に答えるとも期待していなかったのであるが、再び彼女は俺の前に姿を現し、悲しげな顔で岸辺の一角を指さすと、また背景に溶け込むかのようにして消えた。


 指さしたのは、先程、ほたるを引き上げた場所からわずかに離れた位置で、一本の朽ちた流木が転がっている。


「そこに、何かあるのか? …………これは!」


 湿った地面から立ち上がり、ほたるの傍らを離れてそちらに近づいてみると、その流木の折れた枝元には見憶えのある緑色の手提げ鞄が引っかかっている。


間違いない。ほたるの持っていたものだ。


「……中を、見ろってことか?」


 ひなたのジェスチャーをそう受け取った俺は、急いで鞄を取り上げると、口を開けて中身を確認する。


「……手紙?」


 中にはスマホやサイフなどの日常品に混じって、一通の湿った封筒が入っていた。


 薄闇に目を凝らし、取り出してその表を見てみると、「シュウくんへ」と俺への宛名が書かれている……許可なく勝手に見るのも悪く思われ、なんだか見るのが少し怖くも感じたが、それでも俺は意を決して、その封を切ってみる。


 すると、その中に折り畳まれていたずぶ濡れのピンク色の便箋には、次のような文面がほたるらしい可愛らしい丸文字で記されていた……。




 拝啓。シュウくんへ


 シュウくんがこれを読んでるってことは、残念だけど、うちももうこの世にはいないってことなんでしょう。


 お手紙を送るなんてこともこれが最後だろうから、ほんとのこと言うね。


 じつはうちも、シュウくんのことがほんとは好きだったんだあ(照)。


 だから、不謹慎だけど、マトンくんのお葬式で久しぶりにシュウくんに会えた時はとってもうれしかった。


それにね、アズちゃんやスズちゃんが亡くなった時、これでシュウくんを独り占めにできるなって、ちょっぴり思っちゃったの。


 こんな結果になっちゃったのは、うちがそんな悪い子だから、きっと神さまがばちをあてたんだね。




「……そんなこと……おまえが悪い子なんてことあるわけないだろ……」


 そこまで読むと、俺は一旦、溢れ出す涙を手の甲で拭い、ほたるに語りかけるように独り言を呟いてから、さらに先を読み進める。




 さて、前置きはこれくらいにして本題です。


 あのね、うちの考えではね、みんなの命を奪ったのはひなたちゃんじゃないと思うの。


 だって、うち達が遊んだひなたちゃんは、そんなことしないとってもいい子だったんだもん。


 それでね、シュウくんの前にひなたちゃんが姿を現すのは、シュウくんにみんなの亡くなったことを知らせるためだったんじゃないかな?


 ね? そう考えた方がしっくりくるでしょ?




「俺に教えるため!? まさかそんなわけ……いや、その方が確かに自然なのか……?」


 深い悲しみの中にあってもその一文に驚き、思わず声を上げてしまう俺だったが、確かにそう言われてみれば思い当たる節はある……。


 現実にしろ夢の中にしろ、いつも彼女の後を追って行くと、その場所には必ず友人達の死体があった……ずっと俺に見せつけるためだと思い込んでいたが、そうした悪意からのものではなく、見方を変えれば、逆に善意からのものであったと捉えることもできる……いや、その方が正しい解釈なのかもしれない。


 いかにもほたるらしい、固定観念に囚われないその意見に俺は認識を改めつつ、再び手紙に視線を戻した。




 でね、それじゃあ、誰がみんなをあんな目に遭わせたのかっていうと、ここからはうちのただの想像なんだけど・・・ひなたちゃんのお父さんとお母さんだと思うんだ。


 さっき、おもひでの駄菓子屋さんに行って、この前、小学校で会った子達がいたから聞いてみたんだけどね、やっぱり、うちの考えをますます確信させるようなものだったよ。


 マトンくんがこども達にシラコちゃんの話をした時にね、その後、知らないおじさんとおばさんが、マトンくんに話かけてたっていうの。そうしたらマトンくんは、なんだかすごく驚いたような顔してたって。


 たぶんそれがね、ひなたちゃんのお父さんとお母さんだったんだと思う。


 そんで、そのお父さんとお母さんってのは、たぶん、あの二人なんだよ。


 マトンくんのお葬式でも会ってるし、ペンションにも避暑に来て滞在してるしね。


それに、こども達の話でも大柄な旦那さんと小柄で上品な奥さんみたいだし。


 でも、まだそれはうちの想像でしかないから、これから直接会いに行って確かめてみるつもり。


 ひなたちゃんはこんなこと望んでないよって教えてあげなきゃいけないしね。


 もしも、この手紙をシュウくんが読むような事態になったとしたら、それはうちの考えが正しかった証明だと思ってください。


 でも、うち達の復讐なんてことは考えずに、早くペンションを出て、村からも逃げてください。


 ひなたちゃんも許してくれると思うし、やっぱりそうしろって言うと思うよ。


 それじゃあ、今までありがとうね。ずっと遠い未来、天国でまたシュウくんと会えるといいな。その時はみんなも一緒に遊ぼうね。敬具。


あなたの親友(と思えてもらえてたかな?) 辰野ほたる より




「……親友に……決まってんだろうが……」


 まるで遺書のようなその手紙を最後まで読み終わる頃には、濃くなった夕闇のせいばかりでなく、溢れ出す涙で非常に文字が見えづらくなっていた。


 …………だが、ひなたの両親が犯人だと? もし、俺達がひなたの死に関わっていることを知っていたとすれば、確かに動機はあるのだろうが……。


 それでも、ほたるが最後に死を賭して伝えてくれたその可能性について、俺は落ち着いて考えてみる。


 ……あの二人とはいったい誰のことだ? この文面からすると、ほたるはすでに会ったことがあるような口ぶりをしているが……。


 ……ほたるが会ったことのある……いや、葬式でってことは俺達も会ったことのある人物ってことになる……それに、なぜ今もペンションに滞在しているような言い方をしている?


 ……その条件を満たす、大柄な男性と小柄で上品な女性……。


……いや、そうか。そういうことなのか。だとしたら、あの二人ならば確かに辻褄は合う……ひなたの両親は、最初から俺達の傍にいたんだ……。


 俺の中で、今度こそすべてが繋がった……。


「だけどごめん、ほたる……やっぱり、逃げるわけにはいかないよ」


 俺は袖で涙を拭うと手紙をシャツのポケットにしまい込み、今は亡きほたるに語りかけながら湿った湖畔の大地に立ち上がる。


「おまえの推理の一つ間違っているところは、ひなたもそうしろとは言わないってことだ。すべての原因は俺の犯した過ちにある……俺自身がきっちりとケジメをつけなきゃならない……」


 そして、彼女の意志には従えないことを伝えると、その体を真っ直ぐに整え、両手を胸の上に組むようにして載せた。


 色濃くなった夕闇の中、まるで彼女の魂を迎えに来たかのように、ぼんやりと淡い光を放つ無数の蛍が、いつの間にか湖面の上を緩やかに飛び回っている。


「こんなとこに寝かせっぱなしで申し訳ないが、ちょっとだけ我慢して待っててくれ。俺もすぐにそっちへ行くからさ……」


 その儚くも美しい夕暮れの景色にほたるを独り残し、俺は決意を固めると、すべての始まりの地である白いペンション――ひなたの別荘へと向かった。

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