十 魂反

十 魂反(1)

 それから、再びあの大きく立派な豪農の大邸宅を訪れた俺は、座敷に設けられた祭壇の上の真人の遺骨と真新しい位牌に手を合わせた後、ご両親にお願いして葬儀の時の芳名帳を見せてもらった。


「……玉川……玉川……あった! 玉川浅三郎……千代……住所は東京とだけあるな……」


 膨大な名前の書かれた和綴じの帳面を端から確かめてゆくと、真ん中を少し過ぎた辺りにそう書かれているものをようやくにして見つけた。それが、ひなたの両親の名前らしい。


 つまり、あいつのフルネームは「玉川ひなた」っていったのか……。


 どうやらそれらしき人物の来ていたことが確認できたので、今度はその関係性についてご両親に尋ねてみると、まったく心当たりがないらしく二人とも小首を傾げていた。


 真人本人に限った知り合いである可能性も残ってはいるものの、自分達は一度もそんな話聞いたことないし、もし仮にそうだとしても、真人の性格からして日常の話題に一度くらいは登っていてもよさそうなものなのに…と、お二人もたいへん訝しがっている様子だった。


 そんなわけで、知っていればどんな年格好の人物だったのか訊こうと思っていたのだが、その計画は早くも頓挫した。さっき、須坂先生のとこで訊かなかったことが悔やまれる。


 もっとも、あの時はお説教されてしまったので、訊きたくともそんな質問のできるような雰囲気ではなかったのであるが……。


 ま、後でペンションのオーナーに訊けばわかることだし、直接会えば自ずとそれは知れる。それよりも、真人とはどういう関係で、さらにはあの日の出来事のことを話していたのかどうかを確かめられなかったのが残念である。


 そうして、ほとんど収獲のないまま飯田邸を後にした俺は、そろそろ約束の時間になるので待ち合わせ場所のペンション前へと自転車でボチボチ向かった。


夕暮れ時の風に青い稲が海の波のようにうねる、この美しい田園風景もだいぶ見慣れた景色になってきた……ほんとは一泊二日で帰るつもりだったのに、気づけば村に滞在するのもこれでもう五日目だ。


 だが、五日どころかずっと前からこの村に住んでいるような感じがしてならない……まあ、10年前には実際に住んでいたのだが……。


 暮れゆく村の情景に思いを馳せながら、湖畔に建つペンション前の待ち合わせ場所に行くと、まだほたるは来ていなかった。


 スマホで確認すると、もうすぐ約束した5時となる。気になることがあると言っていたが、あいつはどこまで行ったのだろうか?


「ちょっと遅すぎるな……」


 それから5時を回ってもほたるは姿を現さず、さらに30分以上待ってみても、あいつはペンションの前に現れなかった。


 嫌な予感がする……まあ、今までのことからして、昼間に襲われるようなことはないと思うのだが……。


 夕陽に煌めく湖面の小波さざなみを見つめながら、そうして言いようのない不安を感じ始めた時のことだった。


「……ああ、来たか。なんだ遅か……っ!」


 不意に人の気配を傍らに感じ、ようやくほたるが来たものとそちらを振り返った俺は、そこにまたしても、あの姿を見てしまったのだ。


 夕闇迫る湖の波打ち際で、こちらを恨めしそうに見つめて独り立つ、白いワンピースに麦わら帽子をかぶった幼い少女の姿を。


 俺と目が合うと、少女は――ひなたはすぐさま踵を返し、遊歩道とは反対側へ長い黒髪を靡かせながら湖の縁に沿って走り出す。


「……ま、待て! ホタルを……ホタルをどうかしたのか!?」


 俺は咄嗟にそう叫ぶとともに、今度もその背中を追って駈け出した。


 ……最早、嫌な予感しかしない……彼女が俺の前に姿を現す時は、決まって誰かが命を落とす時だ……ホタル、頼むからどうか無事でいてくれ……せめて、せめておまえだけでも……。


 緩やかな弧を描く湖の縁をなぞるようにして、ひなたはどんどんとペンションの前から遠ざかって行く……俺もほたるの身を案じつつ、まさに祈るような気持ちでその後を懸命に追った。

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