九 心霊所

九 心霊所(1)

「――やあ、久しぶりだねえ、修史君。元気そうでなによりだよ」


 消毒の臭いが充満した昭和の香りがするレトロな診察室で、俺とほたるの前に座る白衣の老人が、丸メガネの中の瞳を優しげに細めてそう口にする。


 俺がより詳しい情報を得るために訪れたこの村の生き字引……それは、この白髪頭に黒縁の丸メガネをかけた尾茂井沢診療所の老医師――須坂八一すざかやいち先生だった。


この診療所は、やはり村役場や小学校、交番などが集まっている本来の村の中心エリアにある。レトロな診察室に見る通り、昭和も初めの頃に建てられたお洒落な洋風建築だが、今ではあちこち隙間風が入ってきそうな古い木造の建造物だ。


 俺達がお邪魔したのはお昼休みの時間帯だったので、患者さんは一人もおらず、ベテランの看護婦さんも洗濯物をするとかで近くにある家へ帰っていた。


「いやあ、大きくなったねえ。あれ以来だから、もう10年くらいになるのかな? 現場で何度か見かけて、そうじゃないかなあとは思ったんだが、場所が場所だけに声をかけずらくてねえ。挨拶が遅れたよ」


「こちらこそ、ご挨拶が遅れてすみません。こっちもやはり憚られまして……その節はお世話になりました。それから、俺が言うのもなんですが、あずさや幸信、美鈴のことについても……」


 非礼を詫びる須坂先生に、こちらも挨拶のできなかったことを謝罪する。


 あずさ達の死体検案をしてくれた先生とは毎度現場ですれ違っていたが、さすがにそんな状況で親しく言葉を交わすのもなんであるし、今まで声をかけられずじまいになっていたのである。


 先生は小学校の健康診断や予防接種などもしてくれているため、村のこどもならば誰もが知る一番の有名人だ。


 その上、俺は例の件で心を病んだ際に先生に診てもらい、大変お世話になった恩人でもある。


 そして、ひなたが日光アレルギーの発作を起こしたあの時、最初に彼女を診察した当時の事情を知る数少ない証人の一人でもある。


 さらには今回もあずさ達の死体検案をしているし、これ以上ない情報源だと俺は判断したのだった。


「……で、聞きたい話と言うのはなんだね?」


 一通り挨拶がすむと、先生の方から本題を切り出した。


「すみません。お忙しいところをわざわざこんな変なお願いきいてもらって……」


「なに、田舎の病院なんて、暇な爺婆のたまり場みたいなもんだから気にするな。忙しいのはインフルエンザの時期ぐらいなもんだ」


 言い出しにくい質問だったので、俺は謝辞にかこつけてさらにワンテンポ置いた後、皮肉を言う須坂先生に思い切ってストレートに尋ねた。


「あの…〝シラコ〟っていう、こども達の間で流行ってるウワサ知ってますか?」


「……ああ、知ってるよ。アルビノの少女の幽霊が出るって話だろ? ま、いかにもこどもが好きそうな怪談話だが、これにはちょっと感心せんねえ」


 すると、案の定、訝しげな顔で俺達を見つめる先生だったが、なぜそんなおかしな質問をするのかを尋ねられるようなこともなく、それどころか「知ってるか否か」を超えて、その都市伝説についての感想を語り出した。


「感心しない?」


 予期せぬその答えに、ほたるが小首を傾げて先生に聞き返す。


「ああ、そうだ。〝白子シラコ〟というのはご存知の通りアルビノの俗称だが、少々差別的な響きも含んでおる。アルビノは遺伝的な疾患だ。その見た目から奇異の目で見られるだけじゃなく、メラニンがないために紫外線に弱いし、皮膚癌のリスクが増加したり、色素のない赤い眼が日光にやられてしまうこともある……だから、こども達が話しているのを聞いた時、わしはアルビノがいかなる病気であるかを説いて聞かせ、まるで化け物か何かのようにおもしろおかしく話すことを諫めたんだ。ま、却って逆効果だったがな……」


「逆効果?」


 意味深なその台詞に、今度は俺の方が眉間に皺を寄せて聞き返した。


「ああ、それからというもの、それまでただ〝日光に弱い〟というだけだった少女の幽霊に、その理由は〝アルビノだから〟なんていう尾ひれまで付いてしまったのだからな」


「ええっ! じゃ、じゃあ、シラコがアルビノだっていう設定は……」


「先生が言い出しっぺだったんですかあ!?」


 さらっとしてくれたその爆弾発言には、思わずほたると卒業式の呼びかけ・・・・のようになって頓狂な声を上げてしまう。


「言い出しっぺとは人聞きが悪いな。ま、当たらずとも遠からずなんだが……それにな、他にもわしにはこの話を聞き捨てならない理由があった。君らがまだ小学生だった頃のことだがな、まさに〝シラコ〟の話と同じように、白い肌をした少女が不幸にも命を落とす出来事がこの村の中で起きたんだ」


「…………あの湖畔に建つ白い洋館に来ていた女の子ですね」


 予期せず知り得たアルビノ説の出所に驚きを隠せない俺とほたるだったが、続いて語り出した核心に触れる事件の話題に、俺は居住いを正して合いの手を入れる。


「なんだ、知っとったか? そうか、あれはまだ修史君が村におる時分の話だったか……ただし、日光に当って亡くなったのはアルビノではなく、重度の日光アレルギー……正しくは紫外線アレルギーのせいなのだがな。あの別荘の付近でアレルギー反応を起こし、最初に運ばれてきたのが村唯一の病院であるわしのとこだった」


 俺の言葉に意外そうな顔をする先生だが、その一件に俺達が関わっていたとまではさすがに考えなかったらしく、その頃に見聞きしたのだろうと納得して説明を続けた。


「だが、わしの手には負えず、すぐに救急車で町の病院へ移動となった……かわいそうに、その時にはもう手遅れだったがな。あの日は曇っていたせいかの。曇りなら大丈夫と思ったのか、両親の留守中に独りで外へ遊びに出てしまったらしい……そんなわけで、わしも多少ながら関わった事件だったのでな、それでついつい、こどもらにもムキになってしまったわけだ」


 多少どころか深くそれに関わり、その原因であると言っても過言ではない俺達にとってはとても聞き苦しい話だったが、今は自分の罪を呪うよりも真相を確かめる方が先だ。


過去に犯した罪だけでなく、この〝シラコ〟にまつわる事件全体と向き合うために、俺は今日、ここへ来たのだ……。


「じゃあ、なんでその少女の幽霊が今になって、突然、ウワサされるされるようになったんだと思いますか? 俺達が調べたところでは、二年前からこども達の間で流行りだしたみたいなんですが……それで、関係ないかもしれませんが、その頃にあの別荘がペンションとしてオープンしたそうなんです」


「うーん……それなんだが……西洋医学という科学を学んだ医者がこんなこと言うのもなんなんだがな……」


 俺のその質問に、先生は腕を組んで困ったように唸り声を上げると、そう断りを入れてからおもむろに話し始めた。

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