七 破死(3)
「――ハァ……ハァ……」
静かな朝の田園風景を楽しむ余裕もなく、誰もいない長閑な田舎道を全速力でサイクリングした俺は、橋の袂へたどり着くと借りた自転車なのも忘れて乱暴に放り出し、肩で息をしながら橋の中央付近まで徒歩で進む。
「…………ゴクリ…」
そして、一瞬、躊躇するもおそるおそる欄干から身を乗り出し、橋の下を流れる尾茂井川を眺めてみる。
「ハァぁ……クソっ……」
そこに見たものに、俺は驚きの声ではなく、落胆の溜息を吐いてから力なく欄干の上へ項垂れかかった。
ここへ来る前から、俺はこういう最悪の事態をすでに予期していたのだ……。
静かに流れる尾茂井川の
「――今度は転落事故か……君らはいったいどうなってるんだい?」
ブルーシートで隠された美鈴の遺体を望む河原の端、程よい大きさの丸石に腰かけ、事情聴取を受ける俺に佐久平巡査がぼやくように言った。
「おい、よせ……すまない。こちらもこう立て続けだと参っていてねえ……」
すると、思わず本音を口に出してしまった彼に、どうやら先輩であるらしい伊那谷巡査の方が注意して俺に謝る。
「ま、他に外傷はないし、おそらくは何かの拍子に落ちてしまった事故だろうけれど、ご両親の意向もあって、今回は所轄にも連絡して来てもらうことにしたよ。それに、偶然にしてもあまりに続きすぎだからね……」
次いで伊那谷巡査は迷惑そうな表情を努めて隠そうとしながら、美鈴の一件への対応について簡単にそう説明してみせた。
今回も第一発見者となった俺の通報により交番の巡査二人と死体検案のために診療所の須坂先生、それに美鈴のご両親が現場に駆けつけ、その後、毎度のことながら、俺はこの巡査達に事情聴取を受けることとなったのである。
振り返えれば一日一回の安定したペースで、これでもう受けるのは三度目となる……彼らがいい加減、辟易する気持ちもわからくはない。
だが、今回これまでと異なる点は、この後、下の町の警察署からも刑事が来ることになっている点だ。さすがにここまで関係者が立て続けに死亡する事態となったので、ようやく事件性を疑う気になってくれたみたいである。
もっとも、犯人が幽霊では殺人事件にすることもできないだろうけれども……。
それに今の口ぶりだと、たとえ生きた人間の仕業だったとしても、やはり事件ではなく事故として解決したいというのが彼らの本音らしい。
こんな長閑で平和な村で、恐ろしい事件が起きるはずがない……否、起こってはほしくないのでる。
この「思ひ橋」から美鈴の実家は、そう遠くない距離にある……今、上の道端に停めた自身の車で休んでいるご両親から聴取した話によると、昨夜、突然、東京に戻ると言い出した美鈴は、夜の7時過ぎくらいに荷物をまとめて家を出たのだそうだ。
おそらくは夕方、小学校で俺達と言い争って別れた後、そのまま帰宅してすぐのことだったのだろう。
実家を出て、電車の駅のある下の町へ行くバスに乗ろとしたら、この橋を通って、俺の降りた広場のバス停まで行くのが最短のコースだ。
夜は車もほとんど通らない場所なので目撃者もいないだろうが、須坂先生の見立てでも大雑把な死亡推定時刻は昨夜の7時~11時くらいだというし、家を出て広場のバス停へ向かう途中で悲劇に見舞われたと考えるのがまず自然だろう。
両親の聴取を傍らで聞いていると、急に東京へ行ってもう帰ってこないと言い出した娘と口論になってしまったらしく、そのために車で送っていかなかったことを大変後悔していた。
ケンカ別れしてしまったことを後悔しているのは、俺も同じである……。
あの時、もっとしっかり話し合って、彼女を止めていさえすれば……村を出て逃げようとしたから、彼女はシラコに殺されたのかもしれない……。
だが、もし逃げようとしていなかったとしても、果たしてこの悲劇を避けられたのだろうか? このまま村に留まっていても、いつかはシラコに……。
「ま、君とご両親の話を総合するに、立て続けに友達三人を、しかも一人は自殺で亡くしたショックから故郷を捨てて東京へ逃げようと考えて家を出たが、その途中、不幸にも橋から転落してしまったというところかな? そんな状況だし、精神状態も普通じゃなかったろうからね。キャリーバッグが一緒に落ちたにしてはちょっと離れた位置にあったから、もしかしたら何らかの拍子にキャリーバッグを落としてしまい、慌てて欄干から身を乗り出したことが原因かもしれない」
あずさや幸信の時もそうだったが、脳裏に焼きついて離れない、嘆き悲しむ美鈴の両親の姿を思い浮かべていると、伊那谷巡査が俺から聞いた話をもとに、全体をまとめてそう結論付けた。
腰ぐらいも高さのある欄干なのに、重たいキャリーバッグを何かの拍子に落とすだと? そんなバカなことがあってたまるか! 一緒に落ちなかったのだとしたらちょっと気になるが、きっとそれもシラコの仕業だろう。いあ、それこそが、これがただの事故じゃない証拠なのだ。
……だが、幽霊などという法律上、立件できない要素を差し引いたとすると、おおまかな筋はそういうことになるのだろう……この事なかれ主義の巡査達でないにしても、警察の捜査ではそれが限界なのだ。
……やはり、俺自身の手でシラコとこの事件の真相を解き明かすしかないのだ……なぜ、シラコは俺につきまとうのか? なのになぜ、俺ではなくあいつらを死に追いやったのかを……。
「シュウ~く~ん!」
その時、頭上から俺の名を呼ぶ声がした。
見上げると、橋の上には薄緑色の自転車で駆けつけたほたるの姿があった。言い出しづらかったが知らせないわけにもいかず、彼女にも先程、電話で伝えておいたのである。
「今度はスズちゃんまで……どうして、どうしてこんなことに……」
おそらくは美鈴の遺体を覆うブルーシートを見ているのだろう。悲痛な顔で河原を見下ろし、ほたるはその場に崩れ落ちる。
と同時に遠くから、けたたましいサイレンの音が徐々に近づいてくる。きっと伊那谷巡査らが連絡した所轄の刑事、それに司法解剖する病院へ遺体を運ぶための救急車だろう。
時を置かず、案の定、橋の袂に乗りつけた車からはわらわらと大勢の私服警官が降りてきて、俺とほたるは改めて所轄刑事による事情聴取を受けることとなった。
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