ニ 同葬会

二 同葬会(1)

「――乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵…」


 焼香の甘い香りが立ち込めた母屋の大広間に、低いがよく通る僧侶の読経の声が響き渡っている。


 昨今は田舎でも葬祭センターで行うのが一般的であるが、飯田家の場合、無駄に広い邸宅があることだし、また、この地域ではそこそこ名の通った旧家でもあるため、昔ながらの慣習に則って自宅で跡取り息子の長男・真人の葬儀を執り行うこととなったらしい。


 座敷の襖を取り払って作った広い空間ではあるが、この暑さの中で締め切られると、さすがに辛いものがある。


 葬儀なので仕方ないが、自分も含め、よくこんな蒸し風呂の中で長袖のジャケットなんか着ていられるものだと思う。列席のご老人達など、熱中症でぶっ倒れてしまわないかといささか心配だ。


 暑さと読経の単調なリズムに朦朧となりながら、座敷奥の上座に設けられた祭壇の遺影を俺はぼんやりと見つめる。


 ここら辺の常として、遺体の火葬は葬儀の前に行われてしまうため、祭壇にあるのは骨壺の入った白い光沢ある箱だけであり、現在の・・・…というとなんだか変な言い方になってしまうが、死ぬ直近の、俺が知らない真人の姿がわかるのはその遺影の写真だけとなる。


 だが、そこに写る20歳になった真人は、他の友人達同様、一目で彼とわかるくらい、こどもの頃と変わらぬ顔をしていた。


 がっしりとした骨太の体に角ばった坊主頭の日焼けした顔……キャンプや釣りなんかのアウトドア好きで、子どもの頃からそうだったが〝野生児〟という言葉がよく似合う風貌だ。


 その野生児が黒いリボンの下、〝死〟など無縁だといわんばかりの健康的な笑顔を浮かべてこちらを見つめている……仲間内では一番元気で長生きしそうだったのに、こんなにもあっさり逝ってしまうとは人生わからないものである。


 突然に、しかも若くして逝ってしまったということもあるだろうが、会場には彼の家族や親族、となりに座る女子三人をはじめ、多くの参列者が彼を偲んですすり泣く声が読経に混じって響いている。


 こどもの頃の彼しか知らないが、もしもそのまま変わらずに大きくなっていたのだとすれば、その気持ちは俺にもよくわかる……。


 真人は…その読み方をもじって〝マトン〟と呼び親しまれていた野生児は、そうしてみんなから愛されるような、その大柄な体躯に似合わず心優しく、そして、とても人懐っこい性格の人間だったのである。


 ここに集まっている者達みんなが、きっと真人のことを大好きだったに違いない……。


「…………⁉︎ あれは……」


 そんなことを思いつつ、こどもの頃のやつの言動を思い浮かべながら広間を見回していると、大勢の参列者の中に、またしても彼女の姿を俺は見つけた。


 あの、白いワンピースに真っ白い肌の少女である。


 白い衣装はちょっとどうかとも思うのだが、屋内だし葬儀の席なのでさすがに麦わら帽子はかぶっておらず、長く美しい黒髪と、やはり驚くほどに白い肌をした横顔がよく見える。


 彼女は広間の隅、照明が届かず薄暗い壁際にちょこんと座り、なんとも悲しげな憂いを帯びた瞳で祭壇の方を見つめていた。


 ここにいるということは、彼女も生前の真人と知り合いだったということだろうか? といっても、こんな歳の子との接点はあまり思い浮かばないし、親戚のこどもか何かだろうか?


 いずれにしろ、生身の人間であることには間違いないようだ。


なんだ、その容姿や湖畔でのこともあって、幽霊でも見てしまったのではないかと怖くなったが、なんてことはない。正体は〝枯れ尾花〟ならぬ、友人の死を悼んでくれる〝可憐な女の子〟だったというオチだ。


ま、幽霊じゃなくてちょっと残念という気もしなくないが……この暑さに納涼的なもの欲しいし……。


 だが、そうこうする内にも蒸し風呂状態の葬儀は滞りなく終わり、地元の千光寺から来た僧侶が退出するのとともに、参列者達もわらわらと立ち上がり始める。


「イテテテテテ…」


「なんか、電気流れてるみたいぃぃ~」


「ううっ…い、今、ツンツンとかされたら死んじゃう!」


 それを見て、正座をする機会など皆無の生活を送っている若者の常として、痺れた足をゆっくりと延ばしながら俺やほたる、美鈴も皆に一歩遅れて立ち上がろうとする。


「なさけないわね。これくらいの時間、正座できなくてどうするの?」


「この後、別間の方で精進落とし・・・・・だ。早く行かないと席なくなるぞ」


 一方、さすが優等生二人組だけあって、あずさと幸信はすでにしっかりと二本の足で畳を踏みしめ、今だに起き上がれない惨めな俺達を侮蔑するように見下ろしている。


「しかたないだろ? そういやおまえら、それぞれお茶に剣道やってたんだったな。それに比べて俺達は正座なんか滅多にすることないんだからよう……あれ?」


 上から目線な二人に文句を垂れつつ、ようやく立つことのできた俺であったが、ふと見ると、壁際にいたあの白い少女はまたしても気づかぬ内にいなくなっている。


 まあ、もうすでにたくさんの人が広間の外へ出て行ってしまっているので、その中に混じって行ってしまったのであろう。


「どうかしたの?」


「ああ、いや、なんでもない。さ、俺達も早く移動しよう」


 人影のまばらになった座敷を見回す俺を訝り、小首を傾げながら尋ねてくる知的なメガネのあずさに、俺は今日三度目となるあやふやな返事ではぐらかした――。

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