第034話 キャンドルナイト

 お茶香るカフェの中央で、少年は赤々と燃えるストーブを不思議そうに眺めている。

 好奇心に駆られた姿は少し前の僕と同じだ。側に控える召使いメイドロボが、更に顔を寄せようとする少年の肩を軽く押さえた。


「坊ちゃま、それ以上近づくと放射熱で火傷やけどをしてしまいます」

「あ、そっか。ねぇ……エイダ、すごいね。ホンモノの炎だ」

「ええ、とても温かくございますね」


 穏やかに微笑む。あえてを残した膝や肘の関節が見えなければ、彼女が人ではない、と思わないだろう。

 ひとしきり物珍しい薪ストーブを眺めてから、少年はご機嫌な様子で近くの席についた。両足をぶらぶらさせながらメニューを眺める少年に、僕はお冷をテーブルに置きつつ、丁寧に注文を尋ねる。

 夕暮れ近くのカフェ・クリソコラでは、今日も他にお客さんの姿は無い。


「ミルクにココアかぁ……あぁーあ、僕も珈琲コーヒー、飲みたかったなぁ。お祭り……やってたって知っていたらなぁ」

「坊ちゃまには、まだカフェインが強いかと思われます」

「分かってるよ」


 メイドロボの言葉に口を尖らせる。

 昨年の秋、今の時代では希少になってしまった珈琲豆が入手できた。店ではバリスタと焙煎士を招いて、三日間限定の珈琲祭をした記憶は今も鮮明だ。準備を含めて一週間以上。僕は試飲として何度となく懐かしい珈琲を頂き、貴重な体験をさせてもらった。

 少年はその出来事を、秋の終わりになって耳にしたという。

 わずかでも残っていないかと店を訪れたが、残念ながら珈琲は完売。またいつか入手した時には、メイドロボを通じて連絡を入れて欲しいとまで約束したらしい。僕が風邪をひいて店を休んでいた間の話だ。


「それじゃあ、アイスティーフロートを……いや、やっぱりミルクティーを下さい。夏にアイスで飲んだのを今日はホットにして。それと苺のデニッシュ!」


 側に控えるメイドロボが頷く。十歳を過ぎたばかりの子供の、体調管理も任されているのだろう。無邪気な笑顔を向ける少年に応えて、僕はカウンターに戻った。

 果物系デニッシュはお祭りで好評だったこともあり、カフェの定番メニューに加わったものの一つだ。最近はそれ目当てで店を訪れる人も増えている。

 飲み物とデニッシュの準備をしながら二人に視線を向けると、しきりに話し掛ける少年に、メイドロボは優しく頷いている。その様子は親子のようでもあり、年の離れた仲のいい姉弟のようにも見える。


 以前、少年のメイドロボは「アビー」という名の旧式タイプだった。それを今の「エイダ」に機種交換したのが昨年の夏の始め。少年はそのこと自体に不平や不満は言わなかったが、帰り際、僕にそっと耳打ちした。


 ――いつかアビーを迎えに行くから、もしここに来たなら「合言葉」と一緒に伝えて、と。


 その後しばらくしてから、僕はさびれた裏道に佇む古い店の奥で、アビーと思われるロボットを見つけた。エイダに似た形式と雰囲気、何より合言葉に反応したのだから間違い無い。

 実験室や廃棄場とも違う不思議な場所で、僕は少年の言葉を伝えた。だが想像する以上にアビーの劣化は激しく、言葉には反応したもののそれ以上動くことは無かった。


 僕が見知ったものを少年に伝えたなら、きっと悲しむだろう……と思う。


 大切にしたアビーが戻らないこと、壊れてしまったこと。少年はかつてのロボットがどこかで元気に過ごしていると信じている。自分が迎えに行くのだと心に決めているのだろうから。

 だから……本当のことを伝えていいものか、僕は迷っている。

 このまま見つけられなかった――アビーはこの店に来なかったとして、何も伝えない……ということもできる。できるけれども……。


 ミルクティーとデニッシュの用意ができて、僕は少年が座るテーブルまで運ぶ。見た目にも華やかな苺のデニッシュは、見ているだけで食欲がそそる。それは少年も同じようで、瞳をキラキラと輝かせながらテーブルに並べられたお皿を見つめた。


「美味しそう! ねぇ、お母さんはまだ時間かかるんだよね?」

「はい。懇談終了予定時刻まで、まだ一時間以上ございます。こちらにお迎えにいらっしゃいますのは、さらに三十分ほどかかる予定です」

「へへっ、ゆーっくり食べよう」


 ふーふーとカップに息を吹きかけてから、ほんのりと甘い香り漂うミルクティーを傾ける。フォークで甘酸っぱい苺を取り小さな口に放り込む。パタパタと足が動く様子を、エイダは微笑みながら見つめている。

 僕はカウンターにトレイを置いてから、小さめのバケツと空き瓶、何本かのロウソクを手に取った。更に厚手の手袋をはめて、冬の間は閉め切っていた仕切り窓からテラスに出る。

 まだ陽は完全に落ちていない時刻だけれど、気温はマイナス。ここは手早くやってしまおう。


 バケツに瓶を入れて、その周囲に昼の陽射しで少し融けた雪を詰め込んでいく。できるだけみっしりと。雪の厚みは五センチ程度が一番綺麗だと思う。

 バケツのぎりぎり上まで雪を詰め込んだら、瓶を抜き、テラスに置いてあるテーブルの上に逆さまにしてのせた。そしてそっとバケツを上げる。


「うん、イイ感じかな」


 数日前から何度か練習していた成果があったかもしれない。

 雪灯篭スノーキャンドルの完成だ。それを更に一つ、二つ、と作っていく。かまくら型もいいけれど、僕は円筒状の形の方が好きだ。ふと顔を上げると、少年が仕切り窓からテラスを覗き込んでいた。


「お兄ちゃん、何してるの?」


 仕切りを開けると、メイドロボと共に少年が出てくる。僕の手元を覗き込んで、首を傾げた。


「スノーキャンドルを作っているんだよ。もうすぐ日が暮れるから、ちょうどいいと思ってね」

「えー! ぼくもやってみたい!」

「じゃあ、この手袋をはめて。ちょっと大きいけれどね」


 外した手袋を貸して、作り方を説明しながらバケツに雪を詰めていく。雪の詰め込み方が足りないところは少し手伝って、少年のバケツはテラスの一番目立つ所で逆さまに置いた。

 そーっとバケツを持ち上げるも、少しだけ亀裂が入る。けれどこの程度なら問題ない。円筒状の穴にロウソクを一本立てて、柄の長いライターを使って火を点す。

 ちょうど日暮れと重なり、小さな炎は淡いオレンジ色に揺れた。


「わぁぁぁ……」

「きれいだね」

「すごーい、もう一個作る!」

「うん、今度はもっと強く詰め込んでみよう」


 二個目はコツを掴んだのか、とても綺麗な形のキャンドルが出来た。

 同じようにロウソクを灯すと、並んだ二つの明りが優しく揺れる。少年は興奮に頬を赤らめながらも、やはり陽の落ちた外にコート無しでは寒すぎるのか、腕を組んで肩をすくめた。


「坊ちゃま、ここから先はエイダがお手伝いします。どうぞ中で、見守っていてくださいますか?」

「わかった」


 もっと楽しみたいという気持ちより寒さが勝ったのか、少年は素直に頷いて店の中に戻った。

 僕は戻った手袋をはめ直して、エイダの手を借りながらキャンドルを作り再開する。あと二つか三つ作れば、ロウソクを灯して僕も戻ろう。そう思う僕に、エイダは思いがけない言葉をかけた。


「先日、前任の担当より通信が入りました」


 ひたり、と手を止めて顔を上げる。エイダは真っ直ぐ僕を見つめていた。

 その表情に感情のようなものは読めない。読めないが……エイダは僕の戸惑いを察したように瞳を細め、説明の言葉を続けた。


「前任のアビーは、全ての機能を停止する際、重要な情報を後任の者へと引き継ぐ秘密のプログラムがあったようです。わたくしは坊ちゃまに関係するすべての情報を把握しなければなりませんが、通信内容はパスワードで閉じられており、確認することができません」

「パスワード……」

「合言葉です」


 ふ、と僕の中で小さな光が灯るような……そんな感覚に、胸が震える。


「アビーの最期をみとった者が、その合言葉を知っていると」

「うん」


 僕は頷いた。


「わたくしは、坊ちゃまのメイドロボとして後任に相応しいでしょうか?」


 エイダは僕から視線をそらさない。表情も変化はない。けれどその言葉には、切ないほどに望む想いがある……と僕は感じる。

 ただのプログラムではないはずだ。

 ロボットにも魂が宿るのかは分からない。だが、もし……宿るものがあるのだとすれば、それは大切にされていた者の想いに他ならないのでは、と。


 僕はテラスから店内へと顔を向けた。

 少年はマスターと話をしながら、エイダが戻るのを……待っている。


「うん、相応しいと思うよ」


 頷いた僕は、言葉を続ける。


「合言葉は……ステゴ、だ」


 くんっ、とわずかにエイダの顎が上がった。

 瞼を閉じ、一つ、二つ、ゆつくりと呼吸するかのような間を置いてから静かに瞼を開く。メタリックな輝きを持つ瞳は人の眼球に似せていても、精巧に造られたレンズの重なりでしかないはずだ。

 それなのに柔らかな眼差しをもって、彼女は静かに微笑んだ。


「メッセンジャーからの合言葉を受け取りました。機械獣から坊ちゃまをお守りするため、今後はエイダとして、任務を続行いたします」

「うん」


 ――機械獣。懐かしい言葉に僕は笑い返す。

 少年が生み出したキャラクターを、ただの空想だと言って笑い飛ばしたりはしない。エイダはこれでただのメイドロボではなく、少年の相棒になったんだ。


「さぁ、明かりを灯して中に戻ろう」

「了解です」


 くすり、とエイダも笑い返し、スノーキャンドルに火を点けていく。すっかり陽の落ちたテラスは、星の明りを散りばめたようになった。

 やがて母親が迎えに来た帰り際、僕は少年にそっと耳打ちする。

 「アビーは誰にも知られないように変装して、側で護っているよ」と。少年は驚いた顔で周囲を見渡してから、エイダと視線を合わせた。その眼差しで、言葉の意味をすぐに理解したのだろう。


「エイダ……合言葉は?」


 エイダはそっと少年の耳元にまで口を寄せて、誰にも聞かれないよう囁いた。

 それはきっと、二人を結ぶ秘密の言葉だ。







© 2020-2023 Tsukiko Kanno.

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