第033話 睦月に眠る

 ちらちらと、細やかな雪が窓の外に踊る。

 カウンター近くの席で緊張したような面持ちの少女が、キッチンに立つカフェの女主人マスターの立てるお抹茶を見つめていた。テーブルの上には、両手の平の中におさまる大きさのガラスの小瓶がある。その中には小さな少女の姿の観賞小人ホムンクルスが、ゆったりと眠っていた。

 時折、ストーブの薪がぜる。

 しゃしゃしゃ、と小気味いい音を終えると、のの字を書くように回し、真っ直ぐ茶筅ちゃせんを上げた。お抹茶碗は乳白と淡い薄紅色。器の内側、見込みにも梅が描かれている。

 ゆったりとした動きで、和菓子を用意してあるトレイにお茶碗を移す。

 受け取った僕は細かく粟立った、とろりと厚みのある淡萌黄うすもえぎに視線を向けながら、少女の席へと運んだ。


「お待たせいたしました」


 今日は冬休み最後の日だという。小さな友達と共に訪れた少女は、昨年の夏に会った時よりわずかに伸びた肩下までの栗色の髪を揺らし、胸の前で両手を握った。


「私、茶筅で立てたお抹茶を頂くのは初めてです。お作法とかよく知らなくて」

「堅苦しくならずともいいよ」


 マスターがにこやかに声をかける。

 古くからの伝統と作法のある一杯ではあるが、ここはカフェ。普段通り、あまり難しく考えず味わってもらいたい。僕も頷き、静かに並べて置いた。

 それでも少女は助けを求めるように僕を見上げる。


「ええっと……よければ先ずはお菓子から。どうぞ黒文字を使ってください」

「この大きな爪楊枝で切っていいんですね?」

「はい。お茶碗は正面を外し、時計回りに二度ほど回して飲み終わったら元の位置に回して……と教えてもらいました」


 僕もにマスターに教えてもらったばかり。にわか仕込みだ。

 少女はくすっと笑ってから、淡い色あいのお茶碗と初春のお菓子にキラキラと瞳を輝かせた。


「可愛らしい和菓子。何というのですか?」

「花びら餅です。砂糖などで甘く柔らかくした求肥ぎゅうひというお餅で、菱形にした紅色のお餅と牛蒡ごぼうの蜜煮、味噌餡みそあんを包んだ新春のお菓子です」

「ゴボウとお味噌の餡……なんですね。不思議。白いお餅にうっすらと透けた桃色が、花の蕾のようで可愛い」


 お菓子の材料にはピンとこないゴボウと味噌を使っていると聞いて、僕も初めは驚いた。けれど半月型の雅なお菓子には古い歴史があるそうで、それを今に繋ぐマスターに僕はいつも驚かされる。

 少女はガラスの小瓶の中で眠る小人に声をかけた。


「素敵なお菓子とお茶があるよ。一緒に、どう?」


 優しい声に一呼吸おいてから、観賞小人はぴくり、と肩を震わせ頭を上げた。そして瓶の縁に手を置いて、テーブルの上のお菓子とお茶を眺める。

 少女と似た雰囲気の小人は、ふわりと笑い見上げてから、瓶の中に敷かれた小さなクッションの上に戻り丸くなった。寝息こそ聞こえないけれど、目を瞑り幸せそうに眠っている。

 少女は肩を落とした。


「やっぱり、眠っちゃうか……」

「寒い季節は眠って過ごすのですか?」


 僕は観賞小人に詳しくない。

 飼育者の登録をしてやっと手に入れることのできる小さな生き物は、育てた人の心を糧にして育つという。心穏やかにしていれば大人しく、苛立つ気持ちで接していると問題行動を起こしたり、姿も醜くなる。

 少女から、この少し扱いにくいと言われている小人に魅かれて手にしたのは、ちょうど一年ほど前だと聞いた。


「んん……冬眠、というわけじゃないのだけれど」


 僕の質問に苦笑するような表情で答える。


「観賞小人は、人ほど長く生きないので……」


 囁くように言って優しく「お休み」と声をかけてから、少女はお菓子を手に取った。


     ◆


 いつの間にか、窓の外の雪は止んでいた。

 それでも冬の空は、いつも和紙を貼ったかのように白く薄雲に霞んでいる。陽の光だけが、ロウソクの炎のように淡い色合いで辺りを照らしていた。

 お菓子とお茶をゆっくりと味わった少女は、息をついて茶碗を置いた。


「ふふっ、普段飲む軽いお茶も美味しいけど、お抹茶もとても美味しい。もっと苦くて飲みにくいかと思ったのに。甘い……だけじゃない、上品な味わいのお菓子を先に頂いたからかな。……ちょっと、大人になった感じ」


 確か、最初にこのカフェに来た時に頼んだのは、ハイビスカスティーだった。

 夏に常連さんが集まって楽しんだ「美味しいものパーティー」の時は、店でプリンを作り、アイスティーやミルクティー、爽やかなレモネードで盛り上がった。

 今日もカフェは、少女の他にお客さんのいない貸し切り状態だ。

 ストーブの薪の様子を見る僕は、これといって急ぎの仕事も無い。話し相手にちょうどいいというところだろう。


「……私、小さい頃からずっと観賞小人を育てるのが夢だったんです」


 すやすやと眠る小人を見つめながら、少女は囁くように語る。

 春の終わりに来た時も話していた。うまく育てられなかった小人の悪いニュースが広まったことで、持っていると聞いただけで怖がられることもあるのだと。けれど一度でも、少女と楽しそうにしている小人の姿を見れば、それは一部のものでしかないのだと知ることができる。

 このカフェ・クリソコラのように、少女と小さな友達を受け入れる場所はある。


「最初こそ……心無い言葉を言われたこともありました。でも私が思うよりずっと多くの人が私とこの子を受け入れてくれた。怖いことなんか無いんだって、分かってくれたんです」


 嬉しそうに微笑む。


「私、この子がいれば友達なんかいなくてもいい、なんて思っていた時もあったのですが、そうじゃなかった」


 この店だけでも、パン屋のマキさんや常連のカナコさん。リラの樹の下で出会った少女。召使いメイドロボを連れた少年と、何の抵抗もなく受け入れてくれた人たちがいる。

 もちろんマスターも僕も、小瓶の中で幸せそうに眠る小人を恐ろしいとは思わない。


「この子を通じてたくさんの人と出会いました。友達が出来ました。この子が引き寄せてくれたんじゃないかって、思うぐらい。感謝しているんです」

「小人は……」

「私という人間の視野を広げて成長せてくれた。だから今、役目を終えようとしているのかな……って、思っているです」


 少女が視線を上げて僕を見る。


「そんな顔しないでください。この子と出会った時から分かっていたことで、ちゃんと、覚悟していたことです。幸せな思い出をいっぱいつくって、たくさんのありがとうで送ろうと思っているんです。今日も……」


 窓の外に顔を向け瞳を細める。

 珍しく雲が切れたのか、柔らかな日差しがカフェの床までも白く浮かび上がらせていく。


「こんな穏やかな冬の日に、大好きな場所で美味しいお茶とお菓子を食べて、話を聞いてもらえた。きっとこの子は眠りながも、今……私が感じている想いを糧にしているのだと思います」


 そう笑いながら、少女はテーブルの上のお茶碗をもう一度手に取った。

 春に霞む梅園のような景色に、「素敵ねぇ」と少女は呟く。小瓶の中で小人の口元が笑みになる。

 別れてしまったなら、もうそれで終わりだ……という感覚が僕にはあった。けれどそうじゃない繋がりもある。今も心は、繋がっている。繋がり続けていく。







© 2020-2023 Tsukiko Kanno.

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