第031話 聖夜祭・後編
日の短くなってきた十二月の下旬。もうすぐ冬の夕暮れ時。
屋根のあるプレハブ内でも冷たい空気は入り込む。だというのに、やけに暑く感じる。さほど広くないブース内では、肘がぶつかり合いそうになる。
「いろんなお仕事をされるんですね」
微笑みながら言う少女に、「いろいろと……声をかけて頂けるので」と、もにょもにょ口の中で言葉を濁し返す。何も意識する必要はないし、普通の態度でいればいいのに、どうしても緊張してしまう。
少女は「お仕事が丁寧ですから」と囁いた。
「私、玲さんの淹れるお茶が好きです。春の終わりに頂いた、
「……良かった」
お客さんが店先に並ぶ度に会話は途切れる。けれど、その度にどちらともなく一言二言呟き、他愛ない言葉を交わす。
「夏の美味しものパーティー、声をかけて下さって嬉しかった」
「皆で食べれば、もっと美味しく感じますから」
「ええ、本当に……素敵な人たちとご一緒させてもらえたから、です」
お客さんに品物を渡し、お礼と共に見送り、また次のお客さんをお迎えする。
日が沈み、辺りが暗くなると同時に来場者は更に増えていった。ほとんど途切れることなく訪れるお客さんに、会話をする間もなくなっていく。それでも直ぐに仕事を覚え手際よく動く少女と、阿吽の呼吸で淀みなく流れていった。
「すっかり手伝ってもらっちゃったねぇ」
戻って来た奥さんに、いつの間にか一時間が過ぎていたことに気が付いた。
少女がぺこりと頭を下げる。あっという間だ。物足りないと感じるぐらいに。
「助っ人がもうひとり来たから、玲くんも今日は上がっていいよ」
奥さんの後ろから、荷物を運んでいた時に顔を見知ったお兄さんが、「よぉ!」と明るい顔を覗かせた。そして急遽、手伝ってくれた少女に店の品を幾つか袋詰めする。
「バイト代はこんなものでいいかい?」
「いえ、とんでもないです。こんなにたくさんなんて!」
「いいからいいから貰っておいて。美味しいから」
そう言って手の上に乗せられ、少女は顔を真っ赤にしながら「ありがとうございます」と、頭を下げた。僕もエプロンを外し、コートを手に取る。
「……そう言えば、もう少ししたら、いいものが見られるみたいだよ。お隣さんで温かい物でも買って飲みながら、待ってみたらいいよ」
「そうですか……」
呟いて少女の方に視線を向ける。隣のブース、
「暗い時間になってしまったけれど、まだ時間、大丈夫?」
「あ、大丈夫、です。まだ……もう少しなら」
「そう、よかった」
自然と笑顔になってしまうのを抑えられない。奥さんに「また明日も頼むね」と声をかけられながらコートを羽織り、ブースの外に出る。冷たい風が、心地いい。
僕は後について来る少女に振り向き誘う。
「隣、二階の飯屋が出店している所で、グリューワインを出しているんだ」
「グリューワインって、確かお酒ですよね?」
「そう。そのホットワイン風でノンアルコールのキンダープンシュ、というのが甘くて美味しくて、とても温まると思う。ひとつどう?」
僕の言葉に少女の
「是非!」
頷く僕は、二人並んで赤瑪瑙のブースに並ぶ。ブース内にいたスタッフは僕の顔見知りばかりで、ニヤニヤ笑いながら注文を聞いてきた。
「酒か? さっそく一杯ひっかけるのかよ!」
「違いますよ。ノンアルコールの方を下さい。ええっと、味は……どれがいい?」
結局、試作の三種類を全部出していたようで、僕は振り向き尋ねる。
少女は真剣にメニューを見つめてから、煮詰めた林檎を合わせた物を、僕はオレンジとレモンを合わせた方を注文した。なのに更に、手羽元の揚げ焼きチキンまで一皿ついて来る。
サービスでつけてくれたんだ。
お礼を言いながら受け取り、立食スペースの空いた端の方テーブルについた。少女が鞄を握りしめて言う。
「あの、飲み物の代金を……」
「いいよ、奢らせて。手伝ってもらって助かったし」
「え、でも……」
と言い淀みながら、譲らない僕に少女は「ご馳走になります」と頭を下げた。
「温かいうちに食べちゃおう」
「はい」
同じ皿のチキンを摘みながら、熱々のキンダープンシュに口をつける。葡萄に柑橘の酸味がここちいい。スパイスは深みを与え、幸せな甘みが残る。雪はねをした中庭で試飲した時より、更に味に深みが出ているように感じる。
柔らかな唇をカップにつけ、林檎のキンダープンシュを一口含んだ少女も、満面の笑みになった。
「甘いっ、林檎……美味しいです! スパイスが効いていて、ミントと紅茶の香りもする。初めて飲みましたけど、本当に美味しい」
「良かった、気に入ってもらえて」
「どうぞ、味見してみてください!」
と、不意に少女が口をつけたカップを僕の方に向けた。
一瞬……えっ、となりながらも、
「うん、美味しい……」
正直味はよくわからなかった。でも、美味しいと思う。絶対に美味しい。
「こっちも、飲んでみる?」
「いいんですか?」
無邪気に、嬉しそうに言うのを見て、邪な気持ちは横に置いてカップを向ける。
少女は僕と同じように細い指を添えて、一口、淡い色の唇に含んだ。そして顔を上げて、柔らかに微笑む。
「そちらも美味しいです! さっぱりしていて、オレンジもとっても合う……」
「うん、思ってもみない組み合わせというか」
うるさい心臓を宥めながら、戻って来たカップに口をつける。
なんだろうこれは。味覚まで変ってしまった感じだ。
……と、その時、ヒョロロロと細く尾を引く音が空に走った。次の瞬間には、どぉん、と衝撃音が体を包む。見上げた空に、光の華が咲く。
「あぁ、花火……」
同じように見上げた少女が呟いた。
淡く、淡く、この世にひとつの宝物のように。
聖なる夜を彩っていく。
「あの、聞いて……いい?」
僕の声に少女が振り向いた。
真っ直ぐに僕を見つめ、軽く首をかしげて「はい」と微笑む。
「今更……なんだけれど、ずっとタイミングを逃していて。その、君の名前を……」
「えっ、やだ……私っ、まだ言ってなかった?」
言いかけた言葉の途中で、少女は口を手で覆い顔を真っ赤にする。そして肩を軽くすぼめるようにしてから、そっと顔を寄せてきた。
花火が上がる。
囁くように告げた名を耳にして、僕は彼女にぴったりの名前だと思った。
© 2020-2023 Tsukiko Kanno.
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