第030話 聖夜祭・前編

 一年が、暮れゆこうとしている。


 師走。または極月ごくづき窮月きゅうげつかぎりの月と呼び名は多々あっても、要するにとっても忙しい月、といこと。一年の終わりに向けてやり残したことを片づけ、年始に向けた準備に今を楽しむイベントが続く。

 一年で一番、陽の短い冬至には、昔からの習わしとする祭事もある。

 僕が放浪の途中でひと時の休みを得た、カフェ・クリソコラで働きながら暮らすこと九ヶ月余り。すっかり店の仕事も覚え、それでも日々新しい発見に驚きながらも慌ただしく走り回っていた。

 そんなある日、急ぎの話が舞い込んだ。


「旦那が、やっちまったんですよ」

「ぎっくり腰とはまた、大変だね」


 年末冬至の頃、町を上げて行われる聖夜祭が駅前の広場で開催される。

 二階の飯屋、赤瑪瑙あかめのうは鶏肉料理とホットワイン――大人向けグリューワインとノンアルコールのキンダープンシュの提供で出店を予定しているのだが、その隣のブースの主人がぎっくり腰になってしまったという。

 代わりの人を出そうにも、既に人手はぎりぎりの状態。

 どうにかならないかと相談が来たのだが一時間前の話だ。


「ここも普段は、のんびりしたものなんだけれどねぇ」


 そう、日に数組。下手をすれば一人、二人程度のお客さんしか来ない日もある。連日ほぼ貸し切り状態でのカフェを、どのように店を維持しているのか不思議にも思うが、どうやらここは、半ば女主人マスターの道楽でやっているようだ。

 人と、時々人ではないような不思議な人たちが訪れるカフェを、心の拠りどころにしている人たちも少なくない。

 そんなのんびりとした店でも、さすがに師走はお客さんが入っていた。

 駅前のイベントが予定されている日も、数組の予約が入っていたはず。手伝いたくても、なかなか難しい。

 赤瑪瑙の店長も、その辺りの事情はよく知っている。


「だよなぁ。すまん、他を当たって――」

「お待ちよ」


 茶を出しつつ、マスターが呼び止める。ちらり、と僕の方を見て口の端を上げた。


「本人の了承があれば、手を貸せなくはない」

「……僕、ですか?」

「ここは当日、予約の時間だけ赤瑪瑙のヘルプがあればどうにかなるだろうよ。玲、聖夜祭の市場に行ってみる気はないかい?」


 こうして僕は、急遽イベントの手伝いとして出張することになった。


     ◆


 駅前広場は多くの人で賑わっていた。

 中央ステージでは歌や楽器演奏の他、マジシャンがトランプを飛ばし、駆けだし芸人たちがトークライブで会場を盛り上げる。ヒイラギや松ぼっくりを使ったリースやオーナメントがあちこちを飾り、金銀のリボンは寒風もものともせず軽やかに揺れていた。

 そんな会場の僕らのブースは、ステージからやや離れた一角、立食できるエリアの隅にある。


「いやぁ、本当に助かったよ」


 クッキーを中心とした焼き菓子店「乳石英ミルキークォーツ」はご夫婦で営む小さなお店だ。

 旦那さんがお菓子を焼き、奥さんが店先で細々なことを受け持っている。今もこのまま飾って置けそうな、星や月、猫に雪だるまのクッキーやフィナンシェにマドレーヌ、色とりどりの一口マカロンと大作の「お菓子の家」までもが並べられていた。

 この甘い匂いだけでお腹がいっぱいになりそうだ。

 それら全てのラッピングをした奥さんは、今日何度目かになる言葉を僕にかけて来た。


「先月、娘に二人目が生まれたばかりでね。さすがに手伝いに来てとは言えないし、重い物を一人で運ぶのは限度もあるし。いやぁ、本当に男手があって助かったよ」


 力仕事はそれほど得意じゃないが、居ないよりはマシだろう。何より、次から次へと出てくる細々とした雑事を引き受けて、奥さんが動きやすいように立ち回ることが一番の役目だ。

 今も近所の人たちに会場まで届けてもらった商品をブース内まで運び、店先に並べ、トレイ箱を片づけてと駆けまわって来たばかりだ。


「それにしてもこれだけの物、準備も大変だったんじゃないですか?」

「うんうん、まぁでも、だいたい揃え終わった後だったからね。物自体はどうにか。ラッピングが間に合ってよかったよ」


 あははは、と笑いながら言うけれど、きっと寝ないで作業したんじゃないかと思う。僕は「休みも取って下さいね」と声をかけながら、ブースに近付いてきたお客さんの方へ顔を向け……思わず、動きを止めた。

 ここ最近、顔を合わせることが多くなってきた、リラの樹の下で出会った少女。

 ふわふわとした柔らかな白いマフラーを襟元に巻いて、恥ずかしそうな笑顔を向けていた。


「こんにちは。お店の方に行きましたら、こちらにいると聞いたので」

「そう……だったんですね。ありがとうございます」


 寒い中、駅前まで足を運んでくれてと、続ける言葉が声にならない。

 少女は店先の品に視線を向けて、楽しそうに瞳を細めた。


「クッキー、可愛い。マカロンも。このお菓子の家、すごいですね」

「ひと欠片食べてみるかい?」


 冗談めいて言う言葉に、少女は「もったいないです」と慌てて首を横に振った。くすくす笑う奥さんが、僕にそっと耳打ちする。


「彼女さんかな? だったらちょっと、休憩しておいでよ」

「え、いえ、そんなんじゃない……です」

「遠慮しないで。それとも、一緒に店に立ってみるかい?」


 奥さんの声が聞こえていない様子の少女は瞳をきらきらさせながら、どれにしようかと品物を眺めていた。

 奥さんの言葉が、魔女の誘惑のように聞こえる。まだお菓子の家は食べていないのに……。


「え、あぁぁ……そ、そう。ですね……」

「よし、じゃあ聞いてみよう」


 言って奥さんは突然、目の前の少女に声をかけた。人手が足りないから、一時間ばかり店を手伝ってくれないかと。

 少女は大きな瞳をぱちくりさせながら僕の顔を見て、店主の奥さんを見て、もう一度僕を見てから「はい」と小さく微笑み頷いた。なんか、思いがけない展開になってしまった……。


 店の裏手に回り、荷物置き場にコートと鞄を置く。奥さんからエプロンを借りて、軽く仕事内容を聞いてから僕の隣に立った。

 奥さんは、「それじゃあちょっと、休憩させてもらうね」と店を後にしていった。









© 2020-2023 Tsukiko Kanno.

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