第029話 ガラクタの底に
昼過ぎまでカフェ・クリソコラで忙しく動き回っていた午後、
例えば、柄や色合いが気に入っているわけでもないのに、たまたま手に入ったというだけで使っていた古いタオル。店先でてきとうに選んでいた歯ブラシや歯磨き粉。石鹸。シーツや毛布、食器はずっと借りたまま。掃除用具に至るまで。
店に立つようになって最低限の身なりは整えていたものの、自分自身を含め、すべてをぞんざいに扱っていたように思う。秋に常連客のカナコさんに叱られながら、靴から衣類まで買い揃えようと言われたのも、今なら気持ちが分かる。
旅を……また始めるのか。
それともこの町に根を下ろし、町の一部として生きて行くのか。
今はまだ、どちらと決められないでいる。決められないが、それはただ流されてのことじゃない。こうと決まった時には迷うことなく最初の一歩を踏み出すことができる。それまでは慌てて決めなくてもいい、という感覚だ。
以前の、深い霧の中を方向すら見失って、あても無く
自分の周囲にあるものがどんな姿形をしているのか。
どのような意味をもたせ、何を感じさせるのか。そういったものを改めて、意識的に、目に止める。
形を色を、重さや手触りを。香りと温かさを。
そしていずれ僕は、仮想の世界に再構築していくのだろうか。
時の狭間で忘れられていたような
いつもと違う道を歩いていた。大きな通りから外れた、小さな店先に飾られたのは古い
外側は深い黒。内側にそれぞれ、夜明けの淡い朱色や空色、夕暮れの
まるで……一日の流れを模したようにも見える。
もともと僕はこれと気に入ったものがあれば、とことん使い込むところがある。
愛着を持ちすぎて、なかな新しい物を受け入れられないぐらいに。
それを、春に全て捨てて飛び出してきた。いつまた捨てていいような、必要最低限の物だけで息を繋いできた。
だからこそ、心惹かれて手に取ってみたいという感情も久々だ。
◆
古い木の扉を開けると、キィ、と軋んだ音が響いた。
棚に所せましと並べられているのは、年代物の
異国の本が積み重なり、地球儀と天球儀が頂きを飾る。荒いタッチの油絵の隣には、モノクロの緻密な写真が飾られていた。
くすんだ石の並ぶアクセサリーと原石のまま箱に閉じ込められた鉱物が、窓の明かりの光を弾く。鮮やかなモルフォ蝶の標本は飛び立つ瞬間を待つ。
雑貨店というよりは古物店。骨董屋というほど、希少性の高い美術品の印象は無く、むしろガラクタを店先に連なっているような雰囲気だ。
高い天井から釣り下がる飴色の電灯は暗く、ゆったりと回るシーリングファンが無ければ開店しているように見えない。物音は無く、店員の姿も見当たらない。ドアは開いたのだから、とりあえずオープンはしているのだと思うのだけれど……。
僕はさして広くもない店内をぐるりと巡ってから、「すみません」と声をかけた。それでも声どころか人の気配ひとつ返らない。留守をしているのだろうか。
んんん、と声を漏らして考える。
出直し……してもいいけれど、偶然見つけた店だ。一点物だろう品は、次に来た時には売れて無くなっていた、ということもあり得る。それならそれで縁が無かったということだろうが、せっかく目に留まったのだから手に取って確かめ、場合によっては買って帰りたい。
あのボウルで温かいスープを頂いたら楽しいのではないだろうか。春にはサラダ、夏には冷たいデザートと、使い勝手もよさそうな感じがする。
もう少し待ってみようか。
そう思いながらあちこちを覗き込んでいると、奥の部屋に続く細い廊下が見えた。どうやら通りに面した手前だけが店舗ではなさそうだ。店員は奥の部屋にいて、気付かなかったのかもしれない。
ぼんやりと明かりが灯る廊下の向こうに誘われるように、僕は足を進めて行った。
廊下にも所せましと絵画が飾られている。
いつの時代に描かれた、誰の筆の物かは分からない。あまり大きな物は無いが、サイズもタッチも統一感は無い。モチーフも様々だ。
切り取られた時間の欠片のように、点々と明かりの灯る壁を埋め尽くしている。
僕は時を遡るような心地で廊下を行く。
やがて手前の店の二倍……いや、三倍はあろうかという広さの部屋に出た。部屋、というよりは温室と言ったほうがいいだろう。夕暮れの鈍い明りの下で、季節を間違えたかと思うほどの、鮮やかな植物たちが植えられている。
そして緑の間に横たわっているのは……人、ではなく、眠るアンドロイドたちだった。
「ここは、いったい……」
陳列、または展示というにはあまりにも秩序の無い置き方だ。かといって使用済みの瓶を山のように集め投げ置いている、と例えるのも違う。
ひとつひとつが、収まるべき場所に収まっているように。まるで果てしない旅の果てにたどり着いたアンドロイドが、この場で力尽き倒れていったようだ。
「これも、売り物なのか?」
誰も居ない温室に僕の声だけが響く。
アンドロイドの種類や年式には詳しくない僕だ。それでも、どれもが最新式というには遠く、古い時代のものだということは察しがついた。手前の店にあった品々と同じく、以前、誰かの手によって使われ役目を終えてこの場所に来たのだろう。
僕はそのひとつひとつの顔を見ながら、温室の奥へと足を進めた。
花を咲かせている樹木でもあるのか、微かに華やかな香りが漂う。その匂いに誘われるように向かった先で、どこかで見覚えのある一体が古いベンチに座っていた。
薄く瞼が開いている。女性タイプの人型ロボット――ガイノイドだ。
美しく整った容姿。ボディも理想的なフォルム。
欠けは少なく、肘の部分に無骨な
ぴくり、と瞼が反応する。どうやら電源は完全に落ちていないらしい。
しばし見つめてから、以前、カフェにお客さんとして来ていた少年を思い出した。彼の母親が新しく入手したロボットに仕様が似ている。
少年は長年連れ添った
そのロボットの名前と「合言葉」を。
「ステゴ」
少年が空想した、機械の恐竜の背中に並ぶ骨板。ステゴザウルスの「ステゴ」を合言葉に、告げる。
ロボットはぱちぱちと瞼を瞬いてから、ゆっくりと視線を上げた。
僕は奇跡を感じながらほっと息を吐き、笑顔を向けた。
「君は、アビーかい?」
「お坊ちゃま……の、お友ダチ、で……いらっしゃい、ます、か?」
切れ切れの音声として、喉に内蔵されたスピーカーを震わせる。どこか不具合があるのは間違いない。けれどその原因がハードによるものかソフトなのかは、僕にはわからなかった。
ただ、ゆっくりと頷いて答える。
「伝言を頼まれているんだ。君を大切にしている子が、迎えに行くからと」
僕の言葉を受け止めたアビーは、ゆっくりと意味を解読し、柔らかに表情を崩した。まるで生きている人のように。
「お坊ちゃまが……迎え、に来る……と」
「うん……」
だから不具合があるならメンテナンスを受けて……と言いかけて、僕は口を噤んだ。
古くなって機種交換されたアビーが、修理された上でまた流通していったのではなく、不思議な古物店の奥にある。周囲には電源を失い、ただの「器」となったアンドロイドたちが置かれたままになっている。
この場所はもしかすると、再生される事無く朽ちていく物たちの、
「アビー」
「ご伝言……くださり、ありが、と、とととう……ごさいます」
アビーが囁く。そして瞼を閉じる。
「ワタシ、を……迎えにキテ……く、れようとしている。それだけ、で……」
満足です。
……そう、言葉が続くような気がしたが、アビーは動きを止めた。
音のない温室に、動くものは僕だけ。
日が沈み、手元が暗くなりはじめてから僕はアビーの前から立ち上がった。
◆
通りに面した店の方に戻ると、棚の間にイスを置き、
僕は店先に置かれていた
「あそこにあった、
「ああ……」
しわ嗄れた声が返る。
「昔の恋人が贈ってくれたものを、家族が誤って売ってしまったようでね。やっと見つけたと買い戻していったよ、つい今しがた」
「そうでしたか」
僕は会釈をして店を出る。
空には
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