第026話 豊穣祭を制する者
秋の夕暮れ時。飴色の明りを灯したカフェ・クリソコラに、カラン、と乾いた音が響いた。来客を知らせる鈴の音に顔を向ける。そのまま、僕は固まってしまった。
のそり、と姿を現したのは大柄な男性。それ自体は何も驚くことではないが、装いが少しばかり変わっている。
一番最初に目に入ったのは、頭の上、両端から伸びた大きな三角の獣耳。次いで革ジャンの背中側下、
仮装……なのだと思うけれど、すごくよくできている。
動きを止めてしまった僕の方に視線を向けて、狼男風のお客さんは、ニッ、と人好きのする笑顔を浮かべた。
「料理、下で頼んで来たんだ」
ハッとして、「どうぞ」と席をご案内する。
初めてみる顔だけれど、僕がいない時に来ていた常連さんなのだろう。下で、というのは、今日は開店している二階の飯屋、
ここ三階のカフェはキッチンが小さめで、飲み物や簡単なデザートの提供となっている。もちろんお客さんの希望があれば料理もお出しするが、手の込んだ品は二階で作りこちらまで運ぶ、という手順になっていた。
お客さんは僕が案内した窓辺近くのテーブルから、テラスに顔を向ける。
秋が深まり、陽の落ちたテラス席では肌寒い。それでもご希望とあればまだ座れないことも無い。
「こっちがいいな」
「では、ひざ掛けをご用意いたします」
「大丈夫だよ。夜風も気持ちいいし」
ここ最近冷え込む日々が続いたが、今夜は少し暖かくなりそうだ。
お客さん自身が大丈夫というのならテラス席をお止めする理由もない。飲み物にフェンネルのハーブティーの注文を受けて、僕はキッチンに戻った。
今日は
フェンネルは
滋養強壮や血流改善など、基礎代謝を上げるデトックスティーとして静かな人気がある……のだが。魚や肉料理の臭み消しやカレーに使われることの多い、スパイシーな香りが特徴となる。後味に甘味を感じることもできるので、好きな人には堪らないが苦手とする人も多い。数多くあるハーブティーの中でも、特に好き嫌いの分かれる一つだ。
それをあえて注文してくるぐらいなのだから、ストレートで淹れてもいいと思うのだけれど……。
僕はお湯を沸かしつつ、二階のキッチンに問い合わせる。
注文の品は、フェンネルと魚のタジン。今日はサーモンを使い、蕪や玉ねぎ、フィノッキオ、彩りと酸味にチェリートマトを散らしたっぷりのオリーブオイルと共に蒸す。フィノッキオは確かフェンネルの
十分もかからず出来上がるとの言葉に了解を伝え、僕はタイミングを合わせてお茶の準備を進めた。
やはりストレートではなく、レモングラスをブレンドしよう。
小さなキャンドルも用意して僕は二階に料理を取りに向かう。タイミングはぴったり。湯気立つタジン鍋を手に戻り、ハーブティーとキャンドルをトレイにテーブルへと向かった。
「お待たせいたしました」
「お、良い匂いだ」
両手の平をこすり合わせて、蓋を取った料理を覗き込む。耳がぴくぴくと動き、もふもふの尾は嬉しそうに左右に揺れる。
本当に……どんな仕掛けになっているのか。完璧な狼男コスだと感心する。
「ハーブティーはレモングラスをブレンドしております」
「お、料理に合わせた? いいね」
ポットとカップにキャンドルをテーブルに並べ説明する僕に、狼男さんが頷いた。さっそく一口、お茶を含んでから浮かべる満足げな笑みに、僕は心の中でほっと息をついく。
「他にご入用のものがありましたら、お声かけください」
「うん。あ、そうだ、コーン茶をひとつ準備しておいてもらえる?」
さっそく料理にパクつく狼男さんが、ニッと笑いながら言う。
「コーン茶……ですか?」
「そうそう、もうすぐ相方が到着するだろうから」
そう言って、狼男さんの耳や尾と同じ濃紺と色を変えた夜空を見上げた。
まばらな雲の向こう、東から大きな月が登り始めている。今夜は満月だろうか。などと視線の先を同じように見ていると、なにやら黒い影が
目を瞬いて首を傾げていると影は見る間に大きく人の形になり、そのままカフェのテラスへと舞い降りた。
魔女、だ。
黒い帽子やマントには、蕪やカボチャのランタンにコウモリや黒猫をモチーフにしたブローチやアクセサリーが、煌びやかに飾られている。ヒールの高い、黒いエナメル質のニーハイブーツに、フレアたっぷりの黒いミニスドレスは、かなり、セクシーだ。
鮮やかなオレンジのネイルに彩られた指先を口元に添えて、魔女は綺麗な形の眉根を寄せる。
「やだその匂い、今年もフェンネルづくし?」
「勝利のアイテムを堪能しているんだ。お前のコーン茶を注文しておいたよ」
ちらり、と僕の方を見てウィンクする。
魔女は狼男と同じテーブルにつき、「なにその気遣い」と頬を染めながら口を尖らせる。僕は会釈をしてキッチンに戻った。
びっくりした。というか、今のは僕の見間違え、じゃない……よね?
猫が軒伝いにテラスへ降りて来たことはあったが、箒に乗った魔女が空から来店したのは初めてだ。すごい完璧な
頭の中は疑問だらけながら、手早くトウモロコシのお茶を準備する。
さすがに女性の方は肌寒いかと思い、ひざ掛けとコーン茶を手にテラスへと向かった。
「お待たせいたしました」
「んん~、良い匂いっ!」
「よろしければ、こちらもお使いください」
ひざ掛けを手渡すと、魔女さんはにっこりと微笑みながら受け取る。
「やだぁ、気が利くぅ。誰かさんも見習ってほしいなぁ」
「何だよ、さっきはいい気遣いだって、褒めていたくせに」
「あら……そうだったかしら」
軽口を言い合いながら軽快な会話が続く。どうやら先日のパーティーの話らしい。ここ数日忙しくしていたため世間のイベント事に疎くなっていたが、そういう季節になっていたのだと改めて思う。
キッチンに戻りカップやグラスを拭きながら、テラスの楽し気な様子を遠く眺める。今日も他にお客さんの姿は無く店は貸し切り状態で、のんびりとした秋の夕べが過ぎていく。
ふと気が付けば、小一時間あまりが過ぎていただろうか。
テラスのお客さんが席を立ち、軽く手を上げた。
「お代、ここに置いておくね」
「あ……はい」
お会計だと思いテラスに向かう。その目の前で魔女さんは再び箒に跨った。狼男さんもタンデムするように、後ろにつく。
「来年こそは私が勝って、パンプキンスイーツづくしにするんだから!」
「はいはい、お付き合いしますよ」
言うと同時に魔女さんがブーツの踵で床を蹴った。と同時に二人は空に舞い上がり、月の眩しい夜空に飛んでいく。ひらひらと手を振り、「ご馳走様ぁ~」と言葉を残しながら。
僕はぽかんと口を開ける。
箒にタンデムしながら、テラスから飛んでお帰りになるお客さんも初めてだ。
と、ちょうどそのタイミングで店の扉が開いた。お客さんかと振り向けば、用事を終えて戻ったマスターがテラスの僕に気づいて声をかける。
「お客さんがいらしていたのかい?」
テラスまで来て隣に立つ。僕は夜空を指差し答えた。
「はい、たった今まで。箒に乗ってお帰りになりました」
「ああ、あの二人か」
そう言って、テーブルに残る食器と茶器に視線を向ける。瞳を細めて、マスターは楽しそうに呟いた。
「今年はベナンダンティ側が勝ったようだね。豊作になるよ」
何やら毎年恒例の勝負事があった、これは小さな勝利の宴、だったのだろうか。
テーブルのお代の横には、まるでチップのように手のひらサイズのミニカボチャがひとつ、キャンドルの明りに揺れながら残されていた。
© 2020-2023 Tsukiko Kanno.
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