第024話 買い物に行こう!

 ずっと曇天が続いていた中で、やっと眩しい秋晴れとなった休日の昼前。最近すっかり親しくなったカフェ・クリソコラの常連、カナコさんが、元気いっぱいに声を上げた。


「買い物に行こう!」

「はい?」


 ぽつらぽつらとお客さんの姿が見えるカフェで、カナコさんはベリーカラーニットとゆったりとしたパンツ姿という、休日ながらキリッとした装いで僕の腕を取った。カウンターの内では、女主人マスターがくすりと笑う。


「えぇっと……それは、荷物持ちとして……」

「そうじゃない。玲くんの服を買いに行こう!」

「僕の、ですか?」

「だってねぇ、マスター聞いてよ。もうすぐ雪の降る冬になるっていうのに、春秋物しか無かったんだよ! クローゼットの中。しかも靴だってローカットスニーカーだけなんて、冬をなめている!」


 先日、僕は風邪をひいた。

 ベッドから起きられなくなった所にカナコさんと、パン屋のマキさんやマスター、中庭のリラの樹の下で出会った少女までお見舞いに来てくれた。食事もまともに摂っていない状態だったから、手作りの食事はとてもありがたかったのだけれど……。

 着替えを取り出した時、カナコさんとマキさんに捕まって冬物は無いのかと問い詰められた。

 元々、放浪するように流れ着いた旅の途中だったこともあって、着の身着のまま、荷物はひどく少ない。そのうち買いに行きます、とは言っていたのだけれど……。


「全快祝いもかねて! マスター、玲くん借りていっていい?」

「まぁ、店は今日ものんびりとしたものだろうからね。本人がいいなら、行っておいでよ」

「よし、許可取ったよ! じゃあ、さっそく準備して」

「え、えぇぇっ……!?」


 僕はまだ何も言っていないのだが。

 確かに昼時だというのに数人のお客さんがいるかどうか、僕一人が抜けたところで影響があるようには見えない。マスターにも冬物はあった方がいいと言われていたのだから、見に行くのは悪くない、のだが……。


「こんな機会でもないと、自分の買い物なんて行かないでしょ? キミ」

「はい。……ですね」


 こうして僕は、半ば引きずられるようにして、カフェを後にした。


     ◆


 紅葉もそろそろ終わり。町を鮮やかに染め上げていた樹々も足元に彩りを残すばかりで、空に向かう枝はずいぶん風通しのいい姿になり始めていた。それで街中は、貴重な晴れの日を楽しむ人々で賑わっている。


「先ずはコート! それから厚手のトップス。セーターかフリース、シープボアパーカーも可愛くていいな。パンツも冬物があった方がいいし。それからブーツは絶対!」

「いったいどれだけ買うつもりですか?」

「勿論、満足するまで!」


 本気か冗談か、言うこともやることもハンパが無い。

 僕より五、六歳程年上のカナコさんは、黙っていればものすごく大人っぽいキャリアウーマンなのに、今は無邪気な近所のお姉さん、という感じだ。


「ねぇねぇ、玲くんはこういうのがいい、というのは無いの?」

「ええっ……と、あまりかさばる物は、考えてない……というか」


 僕はこのままずっとこの町で暮らし続けるのだろうか。それともまた、どこかへ放浪……いや、旅立つことになるのだろうか。どちらとも決められず、もしあの部屋を出ることになるのなら荷物は少ない方がいい……と思う自分がいる。

 カナコさんは僕の全身を眺めながら、「うぅん」と唸った。


「まぁ、もこもこに着ぶくれるのは、似合わないかもね」

「そういう意味ではないのですが。その、最低限の保温が出来れば……」

「えぇ? せっかくのイケメンなんだから、カッコよくなろーよー」


 どうもさっきから、からかわれているような気がしてならない。

 カナコさんやマキさんには風邪が治るまで何かとお世話になったので、楽しんでくれるのならいくらでも付き合おうと思う。……そう、思うのだけれど。

 不意にカナコさんの携帯通信機にコールが入った。

 ぱっと出たカナコさんは、二言、三言答えて電話を切る。そして僕の方に顔を向けて、にっこりと笑った。


「ふふふっ! ピッタリの見つけたって。行くよ!」

「え? 見つけた……って? えぇっ?」


 腕を組み、人の波をすり抜けるように連れて行かれる。

 たどり着いたのは古く赴きのあるビルの内装を一新して、最近オープンしたらしいファッションビル。上の階に続くエスカレーターに飛び乗り向かった店は、何かと話題に上っているカジュアルブランドの店だった。そこに……。


「カナコさん、こっちでーす!」


 手を振って呼ぶ声はマキさんだ。その隣には、リラの少女もいる。

 僕は呆然として、がっちりと腕を組むカナコさんに顔を向けた。


「こ、これは?」

「玲くんを変身させよう企画。大丈夫! お姉さんボーナスが出て、今、とっっても懐が温かいの。快気祝いにプレゼントするから、安心して遊ばれなさい」

「あそ……や、プレゼントって、さすがにそれは……」

「なぁに、お姉様たちの楽しみに付き合えないって言うの?」


 じろり、と睨まれれば反論できない。

 マキさんも「こっちこっち」とノリノリでいる。これはもう本当に、言う通りにするしかない流れだ。

 既にあれこれと目星をつけていたのか、マキさんが、「これとこれとこれなんかどうですか?」と、カナコさんに見せている。そっと隣に立ったリラの少女は、困ったような顔で笑いながら僕を見上げた。


「体調……もう、大丈夫ですか?」

「おかげ様で」

「よかった。お粥やチキンスープが効いたんですね」

「甘酒も……美味しく、温めてもらったから」


 ぼそりと、呟くような声になってしまった。

 それでも言葉は届いたようで、ぱっ見上げた少女ははにかむように頬を赤くしてから、そっと視線を逸らした。数歩離れた場所で、カナコさんとマキさんが僕を呼ぶ。


「これ! まずこれ試着してみて!」

「えっ……試着も?」

「勿論じゃない。君の服だよ、サイズが合わない物買ってもしょうがないでしょ」


 ほらほらとフィッティングルームの方に押されていく。

 本当に、楽しそうなお姉様たちを見ていたら、嫌とも恥ずかしいとも言えず、僕は言われるままに服を着替えた。


 ということがあって、小一時間。


 結局、上から下まで揃えて――さすがにショートブーツは自分のお金で払いはしたが、思う存分買い物を堪能し満足したお姉様たちは、「一休みしよう!」と連れ立ってビルの一角にあるカフェに入った。

 大きな窓からの日差しが眩しい。青々とした観葉植物がさりげなく置かれ、吹き抜けになった高い天井の開放的なティーラウンジになっている。

 カナコさんがさっそくタブレット端末のメニューを開いていく。


「お腹すいた! 食べよ食べよ」

「あ、私フレンチトースト食べたいなぁー。キャラメルナッツバナナがある!」

「マキさん、ご飯の前にデザートですか?」

「スイーツはご飯だもん。玲くんこそ、いっぱい食べなさいよ!」


 呆れた声で言う僕に、マキさんは拳を握りしめ言い返す。


「ピザも取って皆で食べよ。りーちゃんは何がいい?」

「りーちゃん?」


 聞き返す僕に、カナコさんがニヤリと笑った。


「ふふっ……雨の日にリラの樹の下で出会ったんでしょう? だからりーちゃん」

「ロマンチックよねぇ~」


 マキさんまでニヤニヤ笑っている。いったい何を想像しているのか。

 そう言えば、何となく彼女の名前を訊きそびれていた。店員の僕からお客さんの彼女に尋ねるのも失礼だし不自然な気がして、タイミングを逃してしまったのもある。

 彼女の個人的なことは何も知らなくても、こうして同じ時を過ごすことができる。

 それは、カナコさんやマキさんに対しても同じだ。

 フードとデザートに飲み物の注文を終えると、女性陣の賑やかな話に花が咲き始める。もちろんネタは、風邪を引いていた時の僕だ。


「熱出して寝てる男の子って、色っぽいよね~」

「ちょっと気怠そうな感じ、っていうの?」

「何言ってるんですか」

「大丈夫。これでもお姉さん、ちゃんと自制していたから」

「抜け駆けもしてないからね!」


 マキさんまで乗ってくる。もう、好き放題、言いたい放題だ。


「いろいろお世話したくなっちゃうのよ。ね?」

「え、ええ……」

「カワイイカワイイして、頭撫でたくなる」

「マキさん、そんなこと考えていたんですか?」

「え? 純粋に、早く元気になれーって思ってたよ」


 フードが届き、甘い匂いを漂わせるデザートも並ぶ。

 爽やかな香りのフレーバーティーは、大きなポットに入れられテーブルにのった。つい、いつもの癖で、皆のカップにサーブしてしまうと、カナコさんが楽しそうに笑う。


「美味しくお茶を淹れてもらえるの、幸せよねぇ~」

「お姉様に喜んで頂けるなら、光栄です」


 秋晴れとなった休日の昼すぎ。買い物も楽しいかもしれないと、思い過ごした午後のこと。笑いながら、穏やかなひと時に身をゆだねる。息をつく。







© 2020-2023 Tsukiko Kanno.

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