第016話 ロボットと旅人

 テラスから見上げる雲は高く、秋の気配をまとい始めていた。

 街並みを縫う通りの人の流れは変わらない。けれど季節は巡り、徐々に朝夕の涼しさが増している。今も流れる風に、肌を舐める熱は感じなかった。

 あての無い旅の途中で巡り合ったこのカフェで、住み込みとして働き始めて二つの季節が過ぎた。次に向かう場所を見つけるまでの間――それまでの骨休めの場所として暮らし始めたものの、まだ行先は定まっていない。


「ごちそうさま」

「ありがとうございます。またのお越しを」


 扉の前でお客さんを見送る女主人マスターに続き、遠く海を望むテラスの側から声をかけた。

 時刻は午後三時半を過ぎたところ。

 店に居るのは僕と、カウンターに戻りゆっくりと湯を沸かし始めるマスターだけで、お客さんの姿は無い。それでもいつものように手早くテラスの食器を片づけ、椅子とテーブルを整える。忙しくも無いのにせかせかと動いてしまうのは、昔からの僕の癖だ。


 時々、身体を動かしていないと怠けているような気持になる……この感覚は未だに抜けない。

 他に仕事は無いだろうか。

 夕暮れ近くなったら次の来店もあるだろうか。

 のんびりとした時間の中で過ごすのも、ずいぶん慣れてきたつもりだが、ついつい手が止まると扉の方に視線がいってしまう。――と、その時、硬質な足音が聞こえた。


 ゆっくり、しっかりと、やけに規則正しいリズムで、三階のカフェに続く螺旋らせん階段を上って来る。

 気配はひとつ。僕は首を傾げる。

 足音に違いないのだが、人の音に思えない。

 不思議な感覚で様子を伺っていると、「カラン」と乾いた音と共に扉が開いた。


「いらっしゃいませ」


 反射的に声を上げた。

 扉の向こうには、一体のロボットが立っていた。


     ◆


 明るいテラス席に腰を下ろしたロボット――いや、アンドロイドは、柔らかなイントネーションで「メニューを」と言葉をかけてきた。


「どうぞ、こちらです」


 一呼吸遅れてメニューを手渡し、冷たい水を入れたショートグラスをテーブルに置く。

 思わぬ姿のお客さんに、茫然ぼうぜんとしてしまった。最新のアンドロイドは、人と同じ食事を摂ることができるのだろうか。


「懐かしい、お茶の種類は変わっていませんね。珈琲コーヒーは?」

「あいにく、只今取り揃えておりません」

「そう、やっぱりね。うん仕方がない。おススメは何かしら?」


 アンドロイドにおススメできるお茶が思い浮かばない。

 そもそも、下手に勧めて壊れたりしないのだろうか。いやでも、お客様が注文のために尋ねているものを、壊れませんか? とは訊き返せない。


「少し……涼しくなってきましたので、薬膳やくぜん茶でしたら爽やかな香りの紫蘇しそがあります。紅茶ならウバ。ミルクティーもおススメです」

「うんうん、紫蘇は色合いもいいよね。他にはあるかな?」

「面白いもの……でしたら花茶――工芸茶があります」


 この夏人気だった工芸茶は、ガラスのポットの中に熱湯を注ぐことで、ボール状の茶葉が花咲くように広がる。水中花を思わせる見た目にも楽しいお茶ながら、緑茶をベースに茉莉花まつりか千日紅せんにちこうと小菊を合わせ、ホットでもすっきりとした飲み心地だ。


「あぁ……いいね、それにしよう。それとあなた」

「はい」


 メニュー表を僕に返しながら、アンドロイドのお客さんはチラリと店内に双眼のレンズを向け、僕を見上げた。


「手が空くようならお茶の相手に付き合って貰える? 今注文したお茶を飲んでほしいの。是非感想を聞きたいな」


 表情筋もない、硬質なセラミック素材のフェイスだというのに、何故か笑っているように見えた。


     ◆


 慣れてきた手順でポットに熱湯を注ぎ、お茶の準備を進める。

 お客さんとの会話を聞いていたマスターは、視線だけで「ゆっくりしておいで」と合図を送るのを見て、僕は半ばあきらめるようにテラス席に向かった。


「お待たせいたしました」


 徐々に花開く、茶葉の入ったガラスのポットはテーブルの中央に。通常、青磁せいじ色の湯飲みはお客さんの側にだけ置くものだけれど、今回は僕の側にももうひとつと並べ、向かいの席に腰を下ろした。

 着席してから、濃紺の腰巻エプロンは外せばよかったと思いいたる。


「急に誘ってしまって、すまないね」

「いえ……」


 どうぞお茶を淹れて、と合図するお客さんに、僕は何と答えていいものか分からず視線を落としポットを手に取った。

 じわりと伝わる熱。ふたを抑えながら軽く揺らし、ほどよい水色を見て注ぐ。続いて僕の側の湯飲みにも。

 爽やかな香りを纏った湯気が、優雅に立ちのぼる。

 わずかに首を傾げ眺める、お客さんのレンズがゆっくりとピントを合わせた。それすら微笑んでいるように感じるのは気のせいだろうか。


「さ……どうぞ、飲み心地を、味の感想を聞かせて」

「は、はい……」


 マスターの入れたお茶をご馳走になることはあっても、それはどこか、この店で働くための勉強、という感覚があった。今こうして、自分が入れたお茶を客として飲んでみる、というのは不思議な感覚で……どうにも気恥ずかしい。

 カフェで働き始めて半年。未熟な僕が、とても美味しいです、と言うのも己惚うぬぼれている気がするし、かといってまだまだというには、お客さんに対して自信の無いものを提供しているのか……と失礼な話になる。


 思考が頭の中で渦を巻き、ごちゃごちゃと絡まるのを感じながら、僕はアンドロイドのお客さんに顔を向けた。

 ただ真っ直ぐ、僕を見つめる双眼のレンズがある。


「美味しいです」


 肩の力を抜いた。

 余計なことを考えても仕方がない。

 だから今、感じたままの味と香りを、口にする。


「すっきりとしながらまろやかに味わい深くて、何より香りが、緑と花の香りが鼻の奥に抜けていく感じが心地よくて、ほっと息をつけます……」

「そう」


 ウィン、と体内のモータ音を微かに響かせ、お客さんはやや前のめりになっていた体を起こした。両手は膝の上。湯気立つ湯飲みを手に取る気配はない。


「思い出してきた……そう、緑と花の香り。ほっと息をつく感覚……」


 遠い過去を懐かしむように、視線は街並みに向けられる。

 僕は湯飲みをテーブルに置いて、目の前にお客さんを見つめた。このひとは、昔、本当にお茶を飲んだことがあるのではないだろうか。

 そんな疑問が顔に出たのか、ちらりとこちらに視線を戻すと、硬質なボディの肩を震わせた。


「あぁ……ごめんなさい。驚くよね」


 目をまたたいて僕は首を傾げる。


「見てのとおり、この体は機械です。だから普通の人のように飲み物は口にできません」


 自分の胸に手を当て、お客さんは顔を上げた。

 悪戯っぽい顔をしているように見えるのは何故だろう。


「食事はできないのに、一人でカフェに来て注文をするのは何故だろう? と思ったでしょう。勿論、壊れてはいません。所有者マスターの命令で来たわけでもない」


 千切れた雲間から陽射しが下り、滑らかなボディの輪郭を金色になぞっていく。


「この体はAI型のアンドロイドではなく、遠隔操作――つまり、このボディを操作する操縦者パイロットは別の場所にいる、分身ロボットなんですよ」

「分身……ロボット」

「聞いたこと無い? 様々な理由で自由に動くことができない人たちが、自分の体の代わりに操作して、行動するためのもの。私のように野外で制約なく動くボディは珍しいタイプだから、初めて見たという人も少なくない」


 ネタ明かしをするようにアンドロイド――もとい分身ロボットのお客さんは笑って答えた。

 そう言われてみれば、基本単独行動をすることのないアンドロイドが、一人でカフェに来たこと自体不思議だ。

 分身ロボットは学校やオフィス、店内の接客業で見る昔からある技術で、決して珍しいものではない。ただ安定した通信環境が必要なため、野外での単独行動というのは聞いたことが無かった。


「通信が途切れる環境では補助のAIが作動して、状況を記録しつつ回復ポイントまで移動する。というやり取りを経て動いているの。いわば、一つのボディに二つの人格を備えているようなものね。私は友達との共同作業……という感覚だけれど」


 今は通信が安定しているため、本来の操縦者パイロットがボディを操作しているのだろう。


「面白いよ。このボディを使って街の変容を調査していると、人では簡単に入れない場所も見ることができる。AIの型通りの記録とは違った視点で、住人が気にも留めないようなところから街を観察する。この感覚は……まるで旅人のよう」

「旅人……」

「そう、それにAIのアンドロイドだと思ってぞんざいな態度をする人もいれば、あなたのように接してくれる人もいる。普段は見せない本音が顔を覗く」


 ふふふ、と笑うお客さんは、悪戯を告白するように小さく体を震わせた。

 僕は気恥ずかしくなって視線をらす。そのままちらりとカウンターを見ると、最初から事情を知っていた風のマスターも唇の端を上げていた。

 気づかなかったのは僕だけか。

 いいですよ。お客さんが満足してくれたのなら、それで十分です。


「大病して二十年」


 お客さんが包み込むように、両手を湯飲みに添えた。


「こんな風に、自由に出歩ける日が来るとは思わなかった。もっと技術が進歩したら、このボディでもお茶の香りと味を楽しめる日も来るかもしれない。その時はまた、花のように開くお茶を飲んでみたいね」


 キュッ、とレンズが動く。

 僕は複雑な思いを心の底にたたえたまま、静かに頷いた。

 一つのボディを共有した、相棒のAIと共に様々な国を訪ね歩く一風変わった旅人は、次に何を見つけていくのだろう。







© 2020-2021 Tsukiko Kanno.

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