第015話 おいしい夏

「夏に合う、おいしい物を作りたいという話があるんだよ」


 通りに面したテラスから入り口側の中庭へと、心地よい風が通り抜ける昼過ぎ。お客さんがけて一息ついたカフェ・クリソコラで、女主人マスターが声をかけてきた。


「夏に合う……」


 本日の昼食は照り焼きソースのロコモコ。

 宿としての部屋を借りる代わりに店の手伝いをする……だけでなく、食事も頂いている。いわゆるまかないなのだけれど、とてもあり合わせで作ったものとは思えない。

 ふっくら炊き立ての半麦ご飯にほろっと崩れるハンバーグ。溢れる肉汁のうま味は濃厚で、輝くような甘辛いソースだけでも十分美味しいのに、彩り豊かな夏野菜ととろける黄身の半熟目玉焼きが絶妙だ。暑い夏に、活力を与えてくれる。

 主な食材は二階の飯屋からのお裾分けとはいえ、これを賄いで頂くのは、かなり贅沢だと思う。


「おいしい物を、ですか?」


 食事の手を止めて聞き返した。マスターはいつものように唇の端を上げている。


「そう、常連さんが集まって、まぁ簡単なパーティーみたいなものさ」

「面白そうですね。けど……ここで作るとなると……」


 カウンターの中のこじんまりとしたキッチンに顔を向ける。

 大きな設備の無いこのカフェでは、ボリュームのある調理はできない。裏メニューとして飯屋が開いていれば軽食の注文はできるけれど、基本フード系は、専門店から届けられるパンやケーキなどのお茶菓子に限られていた。


「手間のかからないものは、いくらでもあるさ」

「そうですね……」


 カフェで働いているというのに、僕はとりわけ料理に詳しいわけではない。それでも例えば、ゼラチンをとかしてフルーツを盛って冷やすだけ、という簡単なデザートは覚えた。


「それで、お前さんはどんな物が好きだい?」

「えっ、僕……ですか?」


 メニューの参考にするのかな?

 何が好きかと聞かれると悩む。基本、好き嫌いは無いから何でも食べる。それ以前に食の関心が薄く、手頃な量と値段のものであれば何でもいいというのが正直なところ。飲食店で働いているというのに、褒められたことではないだろうが。

 けれど今は、そういう話ではない。

 以前よく口にしていたのは――簡単に食べられて量が少なくても栄養があるもの。


「しいて言うなら……チーズ系、でしょうか」


 夏とあまり関係ないかな、と僕は苦笑いしながら答えた。


     ◆


 そんな話があってから数日後、珍しく貸し切りの札を下げて常連さんが集まった。

 以前、秘密の合言葉を教えてくれた少年と、変らず無邪気な笑顔を見せる、手のひらサイズの観賞小人ホムンクルスを連れた少女。二人はたまたま僕が居ない時に店で出会い、友達になったそうだ。

 こうして見ていると高校生と小学生の、仲のいい姉弟のように見える。二人は少年の召使いメイドロボエイダに見守られながら、鍋を使った湯煎焼きのプリンに挑戦していた。

 そして僕の担当は、飲み物とテーブルセッティング。

 いつもは壁際に三席ずつ配置しているテーブルを、中央に移動させる。僕がカフェに来てから、これだけ大勢の人が一同に会するのは初めてだ。


「椅子の数は間違いないかな」


 指差し数えていたところで電話が鳴った。マスターがゆったりとした仕草で出る。受け答えの様子から、常連さんと話しているようだ。


「カナコさんも、早めに仕事切り上げて来れるとさ」


 会話は短く、電話を終えたマスターが声をかけた。

 春過ぎ、忙しくて花見に行けなかったと嘆いていたお姉さんは、北の方で桜が咲いていると知ると、その場で飛行機のチケットを取り出発した。判断も行動力もスピーディーで、びっくりするほど元気な人だ。


「にぎやかになりますね」


 僕は答えて椅子を追加する。

 と丁度その時、外の螺旋らせん階段を駆け上がってくる元気な足音がした。


「まいどでーす!」


 明るい色の髪が跳ねた、三十六層の美味しいクロワッサンを焼く馴染みのパン屋さんだ。彼女はまだ二十歳過ぎながら、店の目玉商品を任されるなど、将来を有望視されているという。

 今も手にした四角いトレイカゴから、香ばしい匂いが漂っていた。


「本日は夏野菜を盛り合わせてみました!」


 蓋を開ける。

 綺麗な焼き色のついた手のひらサイズの夏野菜フォカチャと、木の実や赤い実が練り込まれたブレッドだ。

 フォカチャは綺麗な切り口で並べた茄子にピーマン、トウモロコシとズッキーニ、彩りのミニトマトを半切りにして、粉チーズを散らしてある。オリーブオイルの香りも爽やかで、見ているだけでもお腹が鳴ってきた。一緒に覗き込んだマスターも、満足げに頷いている。


「こっちはトマトブレッドかい?」

「はい! サッパリした感じで、バジルと松の実を練り込んであります」

「いいね。見ただけで美味しい。そうだ、春に仕込んだレモンの砂糖漬けがあるからレモネードも出そう。アイスティーに合わせてもいいし、炭酸で割ってもいい。もちろん一緒していくだろう?」

「是非、頂いて行きます!」


 ガッツポーズを見せる。

 その様子を見て、プリンの湯煎焼きをひと段落させた二人が顔を覗かせた。お姉さんはカウンターにトレイを置いて、元気に挨拶をする。


「初めまして、マキと言います! 坂上のパン屋です!」

「あ……もしかすると、有名なクロワッサンの店の?」


 ホムンクルスを連れた少女が、肩までの栗色の髪を揺らして声を上げた。


「食べて下さいましたか?」

「はい。サクサクで香ばしくて、すごく美味しいのでこの子も大好きなんです」


 小さな瓶から身を乗り出す、可愛く髪を結んだホムンクルスが、ぎゅうっと自分のほっぺたを両手で押した。美味しい、という意思表示らしい。


「いいなぁ、僕も食べたいなぁ!」


 羨ましそうに少年が頬を膨らませ、側のメイドロボが「今度頂きましょう」と優しく微笑む。

 少年は以前、断りも無く、長年連れ添っていたロボを母親に交換された。その別れと出会いに立ち会った僕は、二人のその後を少し心配していたのたけれど取り越し苦労だったようだ。


「賑やかになりそうだ」


 一歩離れた所から楽し気な様子を眺めていた僕に、マスターが声をかけた。


「ふむ、テーブルに季節の花を飾ってもいいね」

「用意しましょうか?」

「そうだね。中庭から少し、摘んできておくれ」


 頷いてハサミを手に店を出る。

 今なら千日紅センニチコウ。キバナコスモスもいい。ガザニアは鮮やかで目を惹くが、食卓を飾るには強すぎるか……。と、考え事をしながら階段を下り中庭に至ると、今は葉ばかりになったリラ――ライラックの樹の下に立つ少女がいた。

 夏になる前の、冷たい雨の日に濡れながら佇んでいた子だ。

 濃い焦げ茶の、真っ直ぐ背中に落ちる髪はあの日、頬や額に張り付いていたが、今は夏の風に踊っている。


「あ……」


 こちらの姿に気づいて振り向く。

 雨の中でうつろだった少女は今、木漏れ日の下で恥ずかしそうに視線を落とした。


「こんにちは……」

「あの日以来ですね」

「……ええ」


 挨拶はしたものの消え入りそうな声で返す。


「カフェにいらしたんですか?」

「ええ……急に、思い出して。でも、今日は入れないみたい……」


 僕は貸し切りの札が踊る三階の店を見上げてから、少女へと視線を戻した。

 扉の近くまで来てくれていたのだろうか。確かに知らない人が見れば、その場で引き返すだろう。けれどマスターなら、このリラの少女も受け入れてくれそうな気がする。

 一度でも、カフェ・クリソコラを訪れたのなら、かまいやしないとでも言うように。


「実は今日、常連さんが集まって、おいしいものパーティーをするんです。焼きたてのパンやプリンが揃ってます。せっかくですから、一口でも……飲み物だけでも飲んでいきませんか?」

「えっ……でも、私なんかが……」

「おぉーっ! 青年!! 元気だったかーい!」


 戸惑う少女と僕の後ろから、元気な声が響いた。


「カナコさん。いらっしゃいませ」

「さっさと仕事切り上げて来たよ。っと、そちらの綺麗なお嬢さんは……」

「お客さんです」

「ふふふぅーん?」


 おいしいこと、楽しいことに目の無いパワフルな女性ひとは、僕と並ぶリラの少女を目にしてニヤリと笑う。カナコさん、それ、たぶん誤解です。

 話題を変えよう。


「パーティーの準備、進んでますよ」

「おっし、今日は食べまくるよ!」

「あの……」


 すっかり圧倒されている。どう応えていいのか分からず戸惑う少女に代わり、僕は苦笑しながら答えた。


「こちらは常連のカナコさん。カナコさん、こちらは以前店に来た方で、思い出して訪ねて来てくれたのです。でも今日は貸し切りの札が下がっていたので……」

「そっか、そっか、じゃあ! おいで、一緒に食べよ!」

「えっ……で、でもっ」

「いいからいいから。カフェ・クリソコラにハズレは無いよ!」


 カナコさんはリラの少女の背中を押していく。もし本当に嫌なら無理強いはしない。けれど一歩を踏み出す勇気が出せないでいたらしい少女は、戸惑いつつも、嬉しそうに頷いた。

 僕は手早く幾つかの花を摘んで、二人に続く。

 店では既にプレートやカトラリーの準備も整い、僕たちを迎えた。


「マスター、一人追加でぇーす!」

「いらっしゃい。窓から中庭の声が聞こえていたよ。さて、席をもう少し増やそうかね。たぶん他にも来るだろう」


 花を生ける。

 椅子を増やし、飲み物を配っていく。

 たっぷり用意されたパンやデザート。足りなくなる心配は無さそうだ。

 気後れしていたリラの少女も、珍しいホムンクルスや優雅なメイドロボを前に興味を持ったのだろう。直ぐに打ち解け、控えめながらも笑顔で返す。


「青年、青年!」


 席に座ったカナコさんが声をかけてきた。


「そう言えば君の誕生日っていつ?」

「あぁ……」


 その単語をずいぶん久しぶりに聞いた。


「夏、生まれです」

「ええっ! じゃあ正に、今じゃん!」

「まぁ……そうですね」

「お祝いしないと!」

「えぇっ!?」


 カナコさんの提案にパン屋のマキさんが頷いて、少年やホムンクルスの少女も歓声を上げる。リラの少女まで頬を赤くして、パチパチと小さく拍手をした。


「別に、いいですよ……」


 誕生日なんてものを祝った記憶が無い。生年月日など書類に記入する時の記号ぐらいの感覚でいたから、普段は思い出すことすらしなかった。

 それに……正直、気恥ずかしい。


「まぁ、そういうことになると思っていたからね」


 僕の背中からマスターが声をかけ、大きな四角い深皿を持って来た。

 たっぷりのクリームの上には、色鮮やかなベリーやミントの葉で飾り付けられている。そして火のついたロウソクが数本。


「レアチーズケーキだよ。柔らかいからね、大きなスプーンで豪快にすくって取るといい」

「まずはロウソク、お兄ちゃん! ロウソク、ふーってして!!」


 頬を膨らませて少年が言う。

 嬉しい、よりも恥ずかしさが上にきて、素直になれない。


「誕生日なんて……今更……」

「何言ってんの」


 乾杯の準備で待ち構えるカナコさんが言う。


「こんなおいしい物、生まれてこなかったら食べられなかったんだよ! それだけでもぅ、めでたいじゃん!」

「そうですよ、堪能しないともったいないです!」


 マキさんも加勢する。


 確かに。


 ほんとうに。


 生きることを止めなかったから、あの日、このカフェに巡り合った。温かいお茶を口にして、ほっと息をつくことができた。


 真っ直ぐに僕を見つめるリラの少女が、微笑みながら頷く。


 僕は覚悟を決めて、息を吸い、ロウソクの火を吹き消した。




 サクサクのビスケット。濃厚ながら滑らかな口当たりのクリームチーズ。甘酸っぱい、色鮮やかなベリーたち。

 深い味わいと香りのアイスティーや、甘くまろやかなミルクティー。

 炭酸で割ったレモネードは、爽やかさが夏の思い出となって刻み込まれる。どっしりとしたトマトブレットと、これでもかとのせた夏野菜ホカッチャの、もちっとした歯ごたえと香ばしさ。

 優しくとろける、素朴な甘さの小さなプリン。


 おいしい、おいしい夏の、ひと時。







© 2020-2021 Tsukiko Kanno.

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