第011話 合言葉

 大きなスケッチブックの上で、ぐりぐりと色鉛筆が踊る。


「それでね、主人公が到着した町は機械とロボットの世界だったんだ。主人公も右手と左足がロボットになってた。町の前が川になってて……こう、橋をわたると門があるんだ」

「へぇぇ……」


 明るく柔らかな癖っ毛の髪を躍らせながら、少年は大きく腕を動かし、ぐるりと大きく町の輪郭を描く。二重線になっているのは、どうやら壁を現しているようだ。

 川は壁を取り巻くように、丁度ドーナツ状の形をしていた。お堀のようにも思えるが、少年が川と言うのなら、それはまだ描かれていないどこかに繋がっているのだろう。

 川にはナイフで切り取ったように橋が架けられ、壁を現した線に続く。壁に守られた町の中には、橋から真っ直ぐに線が伸びている。

 突き当りに大きな四角と丸を幾つも描いていった。ひと塊にまとめられた図形を指して、少年が言う。


「これはお城」


 尋ねる前に教えてくれた。

 少年が「城」と言った図形の手前――塀との間に小さな四角が幾つも書き足されていく。メインストリートを挟んだ反対側には、一列に並んだ四角。


「こっちが家で、こっちは市場だよ」

「きれいに並んでいるね」

「うん、お店はこんなふうに並んでいるだろ?」


 確かにこの辺りは、道を挟んだ両側に小さな店が並んでいる。

 顔を上げた前歯は生えかけで、隣の歯は抜けていた。たぶん十歳になるかならないか。小さな子供に見えた少年は、町の造りをよく見ている。

 僕は何気なく少年から顔を上げた。

 カウンターの所に置いてある小さな時計の針を見て、もうこんなに時間が経っていたのかと気がつく。


 二時間ほど前の昼過ぎ、母親に連れられて来た少年は用事が終わるまでの間、このカフェ・クリソコラで待っているようにと言つけられた。初めてこのカフェに来たらしい母親は、そのまま店を出て一向に戻って来る気配はない。

 ここは託児所ではないだろうに。

 けれどカフェの女主人マスターは、何を言うでもなく受け入れた。

 いつものようにカウンターの中でゆったりと茶碗を磨いては、時折お茶を淹れる。今日も色が抜けたような枯茶からちゃ色の髪をまとめ上げ、てろんとした生地の白いシャツをラフに着た姿で、何ら心配している様子はない。

 今、この店で働く僕とマスター、お客さんの少年の他に人はいない。


 燦々さんさんと降り注ぐ、七月の陽射しのテラスが眩しい。

 テラス席は少し暑いから、店の中ほどにある壁際の椅子に座っていたのは正解だったように思う。ここなら涼しい風も流れる。

 最初に注文したアイスティーフロートは、半分の量を残して置かれたままになっている。汗をかいたグラスの中では、溶けた氷とお茶とクリームが交ざり合い、薄く濁った茶色となって底に溜まっていた。

 少年は市場と城の間に、たくさんの歯車を描いていく。


「これは?」

「ロボット工場だよ。ここで機械獣と戦うロボットを作るんだ。すごく頑丈で強いんだよ」

「へぇ……町の人たちも安心だね」

「うん。主人公はロボットの仲間になって戦うんだ」

「戦士なんだね」

「そう! 相棒のロボットと敵をやっつけるんだ」


 町の絵の隣に、武器や細かい形で恐竜のようなフォルムの形を描き、人型の絵を並べる。肘や膝の関節の部分に丸を入れているから、これが機械獣と相棒のロボットなのだろう。髪の長い人型の側に、少年は「アビー」と文字を書いた。


「名前はアビーなの?」

「そう! アビーは僕の考えていることが何でもわかるんだ。悪い奴らのアジトにも、変装して行ってやっつけちゃうんだ」

「変装したら、誰がアビーか分からなくならないかい?」


 話の流れで訊いた僕の言葉に、少年は顔を上げ、呆れた様な表情で返した。


「そんなの、最初に合言葉を決めているから大丈夫だよ」

「なるほど賢いね」

「当然だよ。敵にバレるような変装じゃダメだから。どんな姿になっても分かるように準備しておかないと」


 ふふん、と鼻で笑う少年は、再び力を入れて続きを描いていく。

 僕は軽く興味をもって尋ねた。


「合言葉はどんなの?」

「えっ? そんなの仲間以外のヤツには教えられないよ!」

「ああ、そうか。そうだね、僕は敵のスパイかもしれないしね」


 少し意地悪い顔で答える。

 少年は驚いた顔を向けてから、途端に口を尖らせてぷいっと顔を背け、テラスの向こう側に視線を向けた。ややしてから僕の方へちらりと目線を戻す。睨むように見つめている。

 これは、僕が敵か味方か観察しているんだな。

 僕は、ふふふん、と余裕の顔で腕を組んで椅子の背もたれによりかった。少年が、ずい、と身を乗り出して訊いてくる。


「お前の得意の武器は何だ?」

「んん……僕は戦うのが苦手だから、メッセンジャーかな。自転車なら一晩中でも走り続けて仲間に情報を届けるよ。機械獣から町の人たちを守るためにね」

「むむうぅぅ……」


 少年が唸る。

 そしてちらりとカウンターに振り返り、マスターの様子を覗き見た。茶碗を拭き終えたマスターは、いつものようにのんびりと、ケトルに湯を沸かしている。


「うん。ここはアビーが見つけた隠れ家だ。敵がいるような場所に、僕を連れてくるわけが無いもんな」


 少年が納得したように独り言を漏らす。

 僕がこの店で働くようになる前に、もしくは不在の間に、少年はアビーと言う名の人と訪れていたのだろう。それでマスターも顔を見知っていたのかもしれない。

 少年は意を決したのか更に身を乗り出し、内緒話をするから耳をよこせとジェスチャーする。


「いいか? 僕とアビー以外には誰にも言うなよ」

「もちろん」

「合言葉は、、だ」


 ゆっくりしっかりと発音して、少年は耳打ちした。

 僕は声を潜めて訊き返す。


「ステゴ?」

「そう、屋根っていう意味だ。機械獣の背中に並んでいるギザギザのやつだよ。あいつらはここが弱点なんだ」


 なるほど。ステゴザウルスの背中に並ぶ骨板「ステゴ」の部分か。


「誰も思い浮かばないような合言葉だね」

「だろ? アビーはいつもこっそり、僕の耳の側で合言葉を答えるんだ。周りに人がいる時、聞かれないようにしているんだよ。頭がいいだろ?」


 僕は頷いて答える。少年は満足そうな笑みを向けた。

 ――その時、カフェの階段を上る音が響いた。お客さんだろうか。「カラン」と乾いた音と共に扉が開く。


「待たせたわね。機種交換済んだわよ」

「お母さん……」


 店に入ってきたのは少年を連れてきた母親だった。続いて静かな動きで女性がもう一人入って来る。

 一瞬、連れのお客さんかと思ったが違う。顔こそ人のようだが、肘の部分に無骨な関節ジョイントが見える、良くできた人型ロボット――ガイノイドだ。


「最新の召使いメイドロボよ。いろいろ性能が上がって機能も充実しているから、これでお母さんも安心だわ。あ、お会計を」


 席を立った少年が、美しく整ったロボットの前に立つ。

 その表情は喜びのそれではなく、戸惑いと不安のものだ。


「お母さん、アビーはどうしたの!? いつものメンテナンスじゃないの?」

「古くなったから交換することにしたのよ。大丈夫、あなたの学習記録はちゃんと引き継がせたから心配ないわよ」


 軽い言葉で返しながら会計を済ます。

 少年は言葉を失った様子で、新しい召使いを見上げた。ロボットは優し気な微笑みを浮かべながら、軽く首を傾げるようにして少年を見下ろす。


「初めまして坊ちゃま、エイダとお呼びください。どうぞよろしくお願いいたします」

「合言葉は?」


 硬い表情で少年が問う。

 エイダと自己紹介したロボットは、柔和な表情のままで答えた。


「はい。合言葉とは、事前に決めていた言葉を使い、相手が味方かどうか確認するための合図であり、または同じ目標を持つ者同士の目標や信条となる言葉を指します。わたくしと合言葉を設定いたしますか?」


 少年の表情は変わらない。

 そして一呼吸の間を置いてから、静かに視線を下ろした。


「うん、そうだね。そのうち……何か思いついたら、決めるよ」

「かしこまりました」


 答えるエイダに少年はくるりと背を向け、テーブルの上に広げていたスケッチブックと色鉛筆を片づけに来た。母親はロボットに、少年が帰宅した後のスケジュールについて、あれこれ指示を出している。

 僕は、少年にかける言葉が見つからない。

 その視線を感じたのか、不意に僕の方を見上げ、声を小さくして囁いた。


「大丈夫だよ。アビーは強いから、きっとどこかにいる。いつか僕が迎えに行くから、もしここに来たら、合言葉と一緒に伝えて」


 そう言って先ほど描いていた絵のページを破り取り、僕に差し出した。

 受け取り僕は、頷いて答える。少年は、「またね!」と元気に手を振り、母親に続いてエイダと共に店を後にした。


 いつの日かアビーがこのカフェに来たとしても、その時、僕はまだここに留まっているだろうか。そう思いはしたが、僕は黙ったまま親子とロボットを見送っていた。

 メッセンジャーなら、どこかで伝えなければ。

 それまで、「合言葉」は決して忘れないようにと、僕は思う。







© 2020-2021 Tsukiko Kanno.

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