第003話 観賞小人

 午後の陽は緩やかに西に傾く。白い雲が流れる中、風だけがまだ熱を持たず涼やかに流れていた。


 古びたビルの三階に設えたテラスに、春の終わりを予感させる花の香りが漂う。

 テラスは若葉と草花で彩られた中庭の面ではなく、通りに向いた、海までの街並みを望む方角にあるというのに。

 奥の備品庫の窓が開いているのかもしれない。

 敷き詰めた細かなタイルの床とテーブルが柔らかな西日を反射させる。カフェ・クリソコラには、今日も客の姿はない。


 気忙しい人が見れば店として続くのだろうか、と不安になるだろう。

 けれどカウンターの女主人マスターは悠然と蓋碗がいわんを傾け、色が抜けたような枯茶からちゃ色の髪をゆったりとまとめ上げた姿で、口元を笑みの形にしていた。


 この店で、宿代かわりに働くことになって数日。カフェの席が全て埋まるのは稀で、今日ももう、仕事は無いように思える。そんなふうにぼんやり海の見えるテラスを眺めていると、階段を上ってくる軽い足音がした。

 お客さんだ。

 気を引き締め直して入り口に顔を向ける。

 カラン、と乾いた音と共に、螺旋らせん階段から続くカフェの扉を開けたのは、制服を着た高校生ぐらいの女の子だった。

 初めての来店なのか、ちらり、と中を覗き込んでから店内をぐるりと見渡す。誰か人を探しているのだろうか。視線が合い、こちらが「いらっしゃいませ」という前に声をあげた。


「あの、ここって、この子も一緒していいですか!?」


 大切そうに両手で掲げた物は、手のひらに収まる程のガラスの小瓶に入った、小さな人だった。


     ◆


「観賞小人って言うんです」

「聞いたことがあります」


 肩までの栗色の髪の少女が注文したのは、鮮やかな赤のハイビスカスのお茶だった。

 甘酸っぱい香りが、窓ぎわの明るい席に広がる。厚い耐熱ガラスに細やかな彫りの模様を施したカップは、受け皿やテーブルにも光の模様を広げていた。

 その様子を不思議そうに眺める、瓶から身を乗り出した小さな人。

 少女の手作りなのだろう。てろんとした生地のワンピースにレースのリボンをつけて、耳の上、明るい髪には道の途中で詰んだのか、黄色い小さなコメツブツメ草の花を差している。


 性別があるのかまでは知らないが、柔らかな苔を敷いて小さな草花を箱庭のように並べた瓶の中の小人は、どことなく少女の雰囲気に似ていた。

 この小さな生命体のことは、一時期話題になってネットのニュース記事で読んだことがある。


「指の先ぐらいの卵から生まれるんですよね?」

「はい、飼育者の登録をすると卵を入手する許可がもらえるんです。人造人間とか、ホムンクルスとか……いろいろ呼び名はあるけれど、そっちの呼び方はあまり好きじゃなくて」


 少し困ったような顔をしてから、スプーンで赤いハーブティーをひとつすくい、唇を尖らせ息を吹きかけては冷まし、小人の前に差し出す。

 精巧なミニチュアのような腕と指を伸ばした小人は、銀の匙のへりを掴みながらお茶を口に含み、にはぁ、と満面の笑みを向けた。


「育てるのは、とても難しいと聞いています」


 ホムンクルスは飼育者の心を糧にして育つという。

 心穏やかに接していなければ悪魔のような醜い姿になり、問題行動を起こすことがあるという。飼育者の登録は万が一の際、責任の所在を示すものなのだろうと予想がついた。

 ただ可愛いばかりではない、小さくとも命を育てる責任の伴うものなのだ。


「感情の共鳴が高いので飼育者に似るんです。だからイライラしていると、この子も同じようになっちゃって」


 胸に手を当て、深呼吸する。

 精神統一でもしているような顔を見て、確かに難しそうだと感じた。人は常に心穏やかでいられるわけじゃない。


「でも……だから、この子が嬉しそうにしていると私も嬉しい」


 少女を見上げ、にぱっ、と無邪気に小人が笑う。

 そして小人はテラスの向こうの景色を眺め、遠く街の上を抜けてきた海風に小さなリボンをなびかせ、少女が持つスプーンのお茶にもう一度口をつけた。

 柔らかな陽射しの下で、瓶の縁に寄りかかり鼻歌でも歌うかのように瞼を閉じては、時の流れを楽しんでいる。

 見つめる少女の瞳が、少し哀しそうな笑みになる。


「観賞小人は……うまく育てられなかった子が悪いニュースで広まっちゃったから、私が持っているっていうだけで、怖がる人も多いんですよね」


 苦笑いしながら肩をすくめる。

 恐ろしい情報だけに踊らされて、攻撃的な言葉や態度をとる人はいるだろう。けれど、この少女と小人の姿をひと目でも見れば、恐怖は杞憂なのだと知ることができる。


「確かにそういう、あまり良くない事例もあるけれど、この子はとても、その……穏やかな子です。毎日が楽しそう……」


 少女が顔を上げ、と無邪気に笑う。

 そしてカップに口をつけてから、「美味しいね」と囁きかけた。



 春の終わりの昼下がり。

 淡々と過ぎていく時間は退屈なようでいて、実はかけがえのないものだと知ることができるのは、過ぎてしまってからなのだろうか。

 これが最後の日となるか、明日も続くかは誰にもわからない。

 それでも今この瞬間を、愛しく思う事はできる。



 二人はゆっくりと時間をかけてお茶を楽しみ、空が夕暮れ色になり始めた頃に席を立った。そして大切そうに瓶を手に持つ少女は帰り際、少し遠慮ぎみに尋ねてきた。


「……また、連れて来てもいいですか?」


 カウンターで微睡むように蓋碗がいわんを傾ける主人は、ちらりとこちらを見て、目尻に烏の足跡を深く刻み笑みのかたちにする。まるで……僕にも伝えようとするかのように。


「ここは、この場所が必要な者なら、誰でも訪れることのできる場所だよ。何の気兼きがねもする必要はない」


 少女は、ぴんっ、と背筋を伸ばす。

 そして会釈をしてから、軽い足取りで螺旋階段を下りて行った。




 先入観から物事を嫌悪する人はいる。それで臆することなく進んでいれば、理解する人たちはきっと生まれる。少女の後ろ姿を見ていれば、二人を受け入れる場所はきっとここだけではないだろう。

 それでも、そんな場所がもう一つ増えたなら、僕も嬉しい。







© 2020-2021 Tsukiko Kanno.

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