第30話 チーマーの見習いになりました
―時は午後7時30分前後まで遡る―
五畳半程の少年の部屋はサーバーラックに積まれたHumand Packard社製やIBML社製のPCサーバー、CISSCCO社製のL3スイッチや同社ファイアーウォール等が絶えずファンから結線された雑多な電源ケーブルやLANケーブル越しに熱風と騒音を送り出している。
その為、部屋には熱気がこもり、冷房がフル稼働している。
そんな暑さも意に介せず、少年はPCワークステーションに接続されたモニタ上に映し出された画像を見つめている。
「呆れた管理会社だな。今時ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)も取り組んでいないのか? 公園の監視カメラのファームウェアは初期バージョンだし、IDもパスワードも初期設定のまま。まぁ、こっちとしては好都合だけど」
少年は監視カメラをハッキングしてモニタ上に映し出された、立国川公園の映像。武と棟田の殴り合いを見ていた。
少年の名は
武と同じ年齢であるが、身長は180センチ以上あり、筋骨隆々、衆目美麗な美男子でとても武とは接点が無さそうである。
おおよそハッキングなどとは縁が無さそうな猛は年齢にそぐわぬネットワークの知識で公園のカメラをモニタリングしていた。
「ふーん。武君、やるじゃん。弱いけど。でも、武君、総長相手にワザとボコられるって計画だけど、これって逆だよな……」
先程、高校は別だが幼馴染である武から連絡があり立国川公園の監視カメラのハッキングと武の立てた計画の実行を頼まれていた。
武の計画は、総長とタイマンを張ってワザと殴られ、負傷したら、その時点で武がネットで検索した
要は武が殴られる事で傷害の罪で赤銅葛磨を逮捕させるという単純な計画だった。赤銅葛磨のSNSではメンバー向けにタイマン予定よりも30分早めに集合する事が書かれており、武は
何でそんな事をしたいのか、はっきりと理由も教えてくれないし、武の事を馬鹿だとは思うが、暴走族が逮捕されるシーンを見ること自体は面白そうだったので協力する事にした。
昨今の暴走族は敵対する相手に対して動画を作成して挑発を行い、ネットに投稿する事も珍しくない。猛は他にも通報につながるネタが無いのかSNSをチェックしていた。
そんな中、暴走族が下半身を露出させて単車に乗っている動画などうっかり見てしまい、猛は警察の怠慢を呪った。
警察は一度逮捕されている奴のSNSぐらいチェックしておけよと猛は呆れていた。
「でも、この状況聞いてないけど、どうするんだよ? 音声までは拾えないし、タイマン中じゃ連絡も取れないし……」
猛が聞いていたのは武が総長にワザと殴られるという事だった。
だが、映像では殴られているのは暴走族(?)の方だった。
この状況では通報しても逮捕されるのは武の方である。
そもそも武如きに良いように殴られているこの男が総長なのか怪しいものだったが。
ハッキングの知識を有する程、知能が高い猛もこの状況には流石に混乱した。
猛は立国川公園の映像が見えても音声まで拾うわけではないので、誰が総長なのかも、総長が来ていないかすら分からない。
どうするか猛が決断をしかねていると、モニタは武のガゼルパンチで棟田が尻もちをついて倒れる姿を映し出していた。
「……武君。勝ったのか? あれ……あの娘は?」
立ち上がった棟田となおも戦いを続けようとした武の手をとって喧嘩を止める少女の姿を見て、猛は暫しの驚愕の表情、そしてその表情は歓喜に変わった。
「そうか……『麗』って君の事だったんだね……まさか、武君と繋がりがあるなんて思いもしなかったよ」
猛はかつての自分と映像の少女の血塗られた因縁を思い出した。
「逢いたかったよ。……麗衣」
◇
その後、猛は立国川公園の映像の状況を見守り続け、葛磨の命令で乱戦になった時点で、110番通報した。
「はい、110番。警察です。事件ですか? 事故ですか?」
110番すると事件か事故か必ず聞かれる。
騒音の場合、どちらとも答えず、事実を言えば言い。
「あ、はい。立国川公園で違法改造車が集まっていて、騒いでいて五月蠅いんですよ」
バイクの騒音では弱いので違法改造車と言った方が良いらしい。
「空ぶかしですか?」
実際に音は聞いていないし、もう鳴らしていないかもしれないが、どうせ単車に乗れば騒音を発するのだ。
憶測でも構わないだろうと猛は判断した。
「あ、はい。そうです。あとプレートナンバーが見づらい様に曲げてありますね」
道路運送車両法の一部改正により、平成28年4月1日からはナンバープレートの表示義務が明確化され、ナンバープレートについて、折り返すこと等が明確に禁止されいる。
罰金については、道路運送車両法第109条第1項で、50万円以下の罰金に処することが定められており、空ぶかしのような騒音よりも遥かに重い罰金なので、暴走族を通報する場合は必ずその事を伝えるべきである。
「あと何か喧嘩しているみたいですね」
「そうですか。何台ぐらいですか?」
「はっきり分からないですけど少なくても十台以上、二十台は居ないと思います」
「分かりました。すぐにパトカーを現場に向かわせます。ありがとうございました」
「あ、待ってください」
「何でしょうか?」
「暴走族のリーダーがSNSで今日の事を投稿しているので、そちらのURLをお伝えします」
猛はSNSのURLを伝えた。
現場は一刻を争う為、早めに110番は切り上げ、SNSに関しては後ほど警察署に連絡した方が良いのかも知れないが、警察署や交番だとその場の判断で話がもみ消される恐れがある。
だが、110番の場合通報記録が残る為、対応してくれる可能性が高いのだ。
「SNS上には今日以外の事でも犯罪につながる内容が多いかと思うのでご確認をお願い致します」
「分かりました。情報提供ありがとうございました」
「宜しくお願い致します。失礼致します」
こうして、猛は通報を終えると、スマホを下ろし、モニタの画面を見守った。
◇
日本の警察は通報後約七分で駆けつけるというのは本当なのだと猛は感心した。
この優秀さが事前の犯罪抑止にも結び付いてくれれば良いのだが。
「SNSで悪さ自慢していたけど、リーダーはこれ以前も少年院入っていたみたいだし、再逮捕じゃこの暴走族は終わりかな?」
これで武達が無事逃げてくれれば、当初と予定が狂ったとはいえ、総長以外にも複数の逮捕者が出たので、計画以上の結果を得られたと言っていいだろう。
「それにしても、武君別人みたいだったな。俺には黙っているけど、一昨日武君が彼の学校の裏サイトで自殺宣言していたのと何か関係あるのかな? だとしたら無理に止めなくて良かったよ」
猛は武の知り合いであるが、自殺宣言を知りながら止めようとせず、今日も無茶な計画を止めもせず賛成していた。
まるで彼にとって面白い結果を得られれば武の無事などどうでも良いかのようだ。
だが、両方とも止めなかった事で彼にとって思いがけぬ収穫を得る事が出来た。
「面白いよ武君。まさか俺が一番欲しかったものまで見せてくれたんだから。さてと……これじゃあ、武君一人だけ得してずるいよね。感動の再開をする前に俺も楽しみたいし、もっと盛り上げて行きたいよね?」
猛はモニタに映る、武と共に野球場の方へ逃げていく麗衣の後ろ姿を見て、怪しげな笑みを浮かべた。
◇
俺達は警察が居ない事を確認すると野球場から出て、近くのコンビニの駐車場でクロカンを止めていた姫野先輩と勝子と合流した。
姫野先輩は車に麗衣と勝子を乗せ、これから病院に連れて行くと言った。
「この市の病院じゃ警察に捕まった
姫野先輩は出発する前に俺に声をかけてきた。
「ありがとう武君。麗衣君は随分君に助けられたと思うよ」
「いえ、俺は何も……むしろ俺が棟田と揉めなければこんな事にならなかったと思うのですが……」
「いや、君の件とは関係なしに
「いえ……もしかして、俺は余計な事をしたんじゃないかと……」
「結果的にはだけど君も戦力になった訳だし助かったのは本当だよ。まぁ、今は急いで麗衣君を病院へ連れて行くので、また今度話をしよう」
「あ……はい。あの、俺もついて行って良いですか?」
「それは駄目だね。車中で今後の『麗』の活動についても話したい事があるので、余所者の君に聞かせる訳には行かない」
「そうですか……」
姫野先輩のはっきりとした拒絶の言葉に凹んだ。
幾ら麗衣達と肩を並べて喧嘩したとは言え、俺が余所者である事は否定のしようも無かったので、反論できなかった。
それでも落ち込んでいる俺の気持ちを察してくれたのか?
姫野先輩は一つ俺の肩を叩いて言った。
「それにしても、昨日までとは別人みたいに良い顔をしていたよ。いつか、麗衣君の事を振り向かせられるように頑張るんだ」
「なっ! 俺はそんなのじゃ……」
そこへ、クロカンの窓が開かれ、中から麗衣が首を出して叫んだ。
「オイ! 姫野! あたしの下僕とばっかり話してないでサッサと行くぞ!」
俺が姫野先輩と何か話しているのが気に入らないのだろうか?
何処となく麗衣は不機嫌そうに見えた。
「はいはい。僕らの御姫様が妬いちゃったかな? 今後の武運を祈るよ」
武運って何だよ?
そんな俺の疑問を口にする間も無く、姫野先輩はひらひらと手を振り、車に乗った。
別れの挨拶代わりにクラクションを二回鳴らすと姫野先輩の車は隣の市へ続く街道へと姿を消した。
◇
俺は登校すると麗衣と棟田は学校に来て居なかった。
そもそもあの後、棟田は釈放されたのかお勤めする事になったのか分からないが、どうでも良い。
それよりも麗衣の事が心配だ。
麗衣はあの怪我だ。下手したら入院する事になるかも知れない。
後で姫野先輩を探して、麗衣がどうなったか聞かないと。
◇
迂闊だった。
姫野先輩は三年生なので授業が昼までで終わりだった。
放課後になり、気付いた時はすでに遅し……
人気の無い三年生の階に来て俺は呆然としていた。
勝子に聞くのは怖いし……クラスも知らない。
そもそも麗衣の友達ならば、まともに学校に来ているのかすら怪しいものだ。
このまま帰宅するのも気が進まず、何となく屋上に向かった。
◇
俺は目を疑った。
屋上の柵に寄りかかり、風でスカートと髪を靡かせた金髪ヤンキー美少女、美夜受麗衣がそこに立っていた。
麗衣も屋上に出てきた俺の姿に気付いたのか、目を合わせると笑った。
「よう! 武。また死にたくなったのか? また、あたしに付き合って欲しいか?」
麗衣は何回でも一緒に死んでやると言わんばかりだ。
気安く麗衣は言ってくれるが、あれは葛磨のナイフなんかよりずっと怖かったのだけれど。
「いや、あんな目に合うのはもう二度と御免だよ。それよりか、怪我は大丈夫なの?」
麗衣は片目に白い眼帯を着け、唇にガーゼの上から貼られたテープ、鼻筋は絆創膏、顎にもガーゼが貼られていた。
とても大丈夫そうには見えない。
「あー痣は数日で治るけど、
「なんか色々痛そうだけど……」
「そうそう、ヘボ医者でよぉ、唇にやった麻酔の注射がスゲー痛くてよぉ、アルコールを肌に当てて痺れるかどうか聞いてくるんだけど、よく分からないって言ったら『もう一本麻酔打ちますか?』って聞かれて、ハイ感じてませんって慌てて答えたんだよな。あんなの二本も注射されたらマジで泣くわ」
面白おかしく麗衣は言うけれど、聞かされているこちらとしてはあまり楽しい物ではないが……。
「麗衣さぁ、今日ぐらいは学校来ない方が良かったんじゃないの?」
「ああ。今日ぐらいは流石にフケようかと思ったけどよぉ……下僕が余計な心配するんじゃねーかと思ってさ」
「……今日ぐらいって、麗衣が授業フケてるのはいつもの事じゃないか? しかも授業が終わった後に来ても意味ないじゃん」
「うるせーよ。お前はあたしのお母さんか?」
「せめてお父さんにしてくれよ?」
「そうだな。ちげぇねぇや……はははっ」
麗衣は少し笑うと、唇を抑えた。
「いてててっ……ったく、この口じゃ禄に笑えもしねぇな」
痛そうにしている麗衣を見て、俺はある質問を投げかけようとした。
「……ねぇ麗衣」
「ん? 何だ武?」
(何で麗衣はこんな怪我をしてまで暴走族潰しなんて危険な事をやっているの?)
そう言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。
多分軽々しく聞いてはいけない事なのだろう。
幾ら麗衣に良くして貰っていても、所詮俺は麗衣の仲間では無い。
だから昨日病院に同行する事も拒否された。
当然こんな質問をしても答えてくれる訳がない。
余所者である限り、麗衣はこれ以上の距離を縮める事を許さないだろう。
ならば、まずは余所者で無くなればいい。
「麗衣。お願いがある」
「何だよ? 急に改まりやがって……出来る事なら聞いてやるけどよぉ。何だい?」
麗衣の眼帯が着けられていない片目から真剣な眼差しを向け、俺の言葉を待つ。
「俺を『
俺が余所者ではなく、麗衣の仲間として認めて貰う為に考えた方法はこれしかなかった。
「武があたし達のチームに入りたいって言うのか?」
「駄目なのか? 男子禁制とかなら仕方ないけれど」
「いや、レディースじゃあるまいし、そんな決まりは無いし、たまたま格闘技やっている三人が集まって、あたしの我儘に協力してくれているってだけだし、掟とか特に無いんだけどな……」
麗衣は困惑した表情を見せた。
「でも、昨日みたいな事がまたあるかも知れないんだぜ?
「覚悟は出来ているよ。昨日、麗衣が俺の事を強いって言ってくれたじゃないか?」
「馬鹿! あの位で調子乗るな!」
「でもさぁ、命の恩人って言っても良い麗衣がこんなに傷つくのは耐えられないよ。何で麗衣がこんな危険な事をしているのか分からない。でも、こんな俺でも、麗衣がしたい事なら、少しでも力になりたいんだ」
「ハッ! テメーみたいな雑魚が力になれるかよ?」
麗衣は努めて突き放すように言った。
俺を巻き込みたくない時、麗衣がきつい表現をするのは分かってきたから俺は引かない。
「確かに今の俺は弱いけど、必ず強くなって見せる。……麗衣。俺にもっと格闘技を教えてくれ!」
「……」
麗衣は俺を睨みつけるが俺も真っすぐ麗衣の瞳を見返す。
暫しの沈黙の後、麗衣の方が先に折れたように視線を反らした。
「……ったく、雑魚の癖にメンチ切るのだけは一丁前だな……本当に苛められてたのかよ?」
麗衣は溜息を付き、諦めたように言った。
「しゃーねーな。取り合えず見習いとして、『麗』に入れてやるよ」
「見習い?」
「『麗』の正式なメンバーになるなら、あたしに教わるより、ジムに通って欲しいんだよ」
そう言えば亮磨とのタイマン中にプロのジムの先輩と首相撲の練習をしているとか言っていたな。
空手が長続きしなかった自分がジム通いなんて出来るのか疑問だけれど、折角麗衣が歩み寄ってくれた条件を断るつもりはなかった。
「分かった。ジムに入るよ」
「いいのか? 料金も馬鹿にならないぜ」
「特に趣味も無いのでそっちに金廻すよ」
「そうかい。で、『見習い』じゃなくて正式なメンバーになる条件は二ヶ月以内にジムの昇級審査に受かる事。級を取得すればあたしも参加している中級クラスに参加できるようになるぜ」
「麗衣も参加しているクラスっていうと相当レベルが高いんじゃ?」
「いや、中級クラスに参加できる条件自体は級取れば出来るからそんなに難しい事じゃない。アマチュア大会出場を目指す人向けのトレーニングだから練習はきつくなるけど、マススパーも少しやらせて貰えるからな。まぁ、詳しい話は明日するよ。どの道、『麗』は暫く活動出来ねーし」
「そりゃそうだよね……でも、入れてくれてありがとう」
「まぁ、まだ正式なメンバーじゃねーけど、今日から武は『麗』の一員だぜ。宜しくな!」
麗衣は手を差し出した。
「ああ。こちらこそよろしく」
今は麗衣の背中は遥か遠くにあるけれど、必ず麗衣を守れるようになってやる。
俺は麗衣の手を強く握りながらそう誓った。
こうして俺は格闘技と「見習い」という肩書ながら惚れた女の元でチーマーを始める事になった。
◇
第2章終了です。
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