悪夢のはじまり
「羽柴茂さん、あなたに会いたいです」
口づけ以降、夢でしか会わなかった彼と現実の世界で顔を合わせたいと思い、湖都は行動を決意した。
この日は七月七日――七夕の日。
(前に会った場所を考えると、そんなに遠い所には住んでいないと思うけど)
夢で見た光景が現実と同じか定かではないが、ひとまず夢の記憶を頼りに街を歩く。たしか彼の自宅の近所には大きな河川があって、橋も掛かっていた。自宅から東には交差点と煙草屋があった。煙草屋から南の方面には、口づけをした近くの建物が見えて――……。
(この辺りも……夢で見た)
時の移ろいによる若干の差異はあるも、ほとんどは夢で見たものと一致している。改めて不思議な夢だと、しみじみ思う。
おかげで時間をかけずに、茂の自宅の近くへとやって来られた。ただ、住宅がひしめいていて、目的の建物を探すのは骨が折れそうだ。
人に声を掛けてみよう。そう思い立った湖都は、通りすがりの人に『羽柴茂』の名を伺った。すると彼を知るという女性が現れ、
「羽柴さんのところの……息子さん、ね」
「はい、ご存じでしょうか」
湖都は伺うも、女性の何とも言い難い面持ちを見て、嫌な予感が背筋を冷たく流れた。
「残念だけど、数日前に亡くなったそうよ」
「え?」
『亡くなった』と、女性が言ったように聞こえた。
「そんな! つい最近、茂さんと――……」
湖都は血相を変えたが、途中で言葉を切る。
「いえ、ごめんなさい……。おかしく、ないですよね。人がいつ、亡くなっても」
「ええ。今はもう……」
そう。
今は――戦争の真っ最中だから。
西暦1945年。第二次世界大戦で荒れる世界。
昨日会話した者も、今日はこの世にいない。それが日常と化した異常。
(もしや、この前の不発弾で……!?)
真っ先に思い出したのは、先日知らせを聞いた不発弾の件。たしかこの辺りで起きた事故だ。
だが、そのときのこと。
「空襲警報だ!! 防空壕へ避難しろ――――ッ!!」
男性の怒号が一帯に響いたのだ。ラジオからもオォォォォ! と警報が鳴り、北関東方面から本国へと米軍機が侵入したとの情報が流れる。
「どうしてこんな時に……ッ!」
戦争は悲しむ時間すら与えてくれない。湖都は歯をギリリと食いしばった。が、
「ううっ!!」
ドォン!! 爆音が響いた。耳を劈くような音に湖都は顔をしかめて、地震のような揺れで転びそうになる。地面に手を付き、空を見上げれば、秋の草原を飛び回るトンボのごとく敵機が飛び交っていた。
防空壕に逃げないと!
震えてすくむ足をこぶしで叩いて、よろよろと立ち上がった湖都は、爆撃の揺れで千鳥足ながらも防空壕を探す。ドドドドドドドドッ!! 敵機から放たれる機関銃の雨が容赦なく地上へと注いだ。銃声に上書きされる老若男女の悲鳴に、飛び散る鮮血。
(怖い、怖いよ……!)
心臓がキゥゥ!! と縮む思いで、機銃掃射から身を守るために湖都は家屋へと潜り込んだ。防空壕に行きたいところだが、いま表へ出るとハチの巣にされるだけ。
「うぅ……っ」
限りなく身を縮め、両手で耳を塞ぐ湖都。あらゆる音が奏でるのは地獄の協奏曲。早く終わって……ッ、湖都は一心に願った。
それから十数分が経つと、こっそり見上げた空から敵機は消えていた。額に浮いた冷たい汗玉を、湖都は和服の袖で拭う。
「はぁ……はぁ。……いやぁ」
通りに面していた住宅はほとんどが原形を失い、たくさんの人が倒れていた。老人や女子供だって。
「もう……、無理」
凄惨な現実を目前にして、十五歳の少女は生きる意味がわからなくなった。
こんな世界がこの先も続くようなら、いっそのこと……私も。
そんな考えが頭によぎった矢先。
「あなたはこの世界を生きなさい」
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