恋文

 みんなはラブレターを書いたことをあるだろうか?


 俺はある。


 中学3年の11月24日、俺は山石由加の下駄箱にラブレターを入れた。

 その日は彼女の15回目の誕生日だった。


 6時間目の始まりを告げるチャイムの音、雨の匂いがする玄関、『山石』って書かれたネームプレート、下駄箱に手を伸ばした瞬間の胸の鼓動――、その全てを今でも鮮明に思い出せる。


 俺と由加は幼馴染だった。

 だからお互いのことをよく知っていた。


 由加は学年一可愛いとか、頭がいいとか、運動ができるとか、そういった類の女の子ではなかった。クラスでも目立つ方ではなかったし、友達も少ないし、運動も得意ではないし、成績だっていつも平均より少し下ぐらいの位置だった。


 由加は不器用な奴で何かに挑戦すると大抵の場合、人よりも上手くできなかった。

 逆上がりも、二重飛びも、25メートルのクロールも、手提げ袋の作成も全部ダメダメだった。

 

 それでも由加は諦めたり、不貞腐れたりせずにコツコツと努力する。

 その結果、才能が開花して何かの分野で一番になる――、なんてことはなかった。

 由加は人一倍努力してようやく人並みだった。


 俺だったら心が折れていると思う。

 もう頑張ることを諦めただろう。


 でも由加は笑う。


 かっこ悪くお尻を持ち上げて、顔を真っ赤にしながらジャンプして、今にも沈没しそうな泳ぎをして、何だか分からない動物を縫い上げて

「優君、できた!」

 って心の底から嬉しそうに由加は笑う。


 そんな彼女のことを俺はいつの間にか好きになってしまっていた。


「私の誕生日に好きな人からラブレターを貰うの、それが理想」

 いつだったか由加はそう言っていた。


 男だったら直接告白した方がいいと言う俺に

「うーん、それもいいんだけどね。手紙だったら口では言えない照れくさい想いも伝わるじゃない。だからね、私はラブレターっていいなぁって思うの」

 由加は何だか楽しげだった


 だから、ラブレターを書いた。

 由加がどれほど素敵な女の子なのか、そんな由加をどれほど好きでいるのか、

 口では言えない沢山の照れくさい想いをそこに残した。


 そして、最後に名前を書かなかった。


 ラブレターには2種類ある。

 名前が書かれたラブレターと名前が書かれていないラブレターだ。


 俺は後者を選んだ。

 だからこそ読まれたら死にたくなるような恥ずかしい想いも全て言葉にできた。


 それで満足だった――

 なんて嘘だ。


 本当言うと怖かった。

 由加のことを好きになりすぎて否定されるのが怖かった。

 由加と今まで通りでいられなくなることを想像すると苦しくて仕方がなかった。


 それなら永遠に幼馴染のままでいい。

 ラブレターに自分の気持を全て追い出して由加への恋心を消し去るつもりだった。


 11月22日の放課後、教室から去っていく由加の後ろ姿を俺は密かに追いかけていた。

 下駄箱に入ったラブレターを由加が目にするその瞬間を想像して俺は悶え死にそうになった。


 大丈夫、名前は書いていない。

 筆跡だって普段よりずっと丁寧に書いたのだから気付かれるはずかない。


 そう自分に言い聞かせて俺は教室に一人になるまで残っていた。

 由加と出会でくわすことがないようにするためだ。

 今、由加に会えば自然に振る舞える自信がない。


 深い溜息を付いた。

 由加が教室を去った時間を考えると間違いなくラブレターは見つかっているはずだ。

 もうどこかで中身を読んでいたりするだろうか、それとも家に返ってから読むだろうか。


 そんな風に悶々もんもんとした気持ちを頂きながら視線を前に向けると机に置かれた一冊の本が目に入った。


 日下部の席だ。


 気を紛らわそうと席を立って本を手にとってみると驚くことにSMの本だった。

 サディズムとマゾヒズム――、それは俺にとって未知の世界で自然と本を開いてしまっていた。

 しかし、そこには予期していたような如何わしい絵は載っておらず、サディズムやマゾヒズムに関する説明が書かれているだけだった。


 少し拍子抜けしてしまったが、それでもその内容は興味深いものだった。


 SMというとハイヒールを履いて鞭を持った女王様に踏みつけられるイメージしか持っていなかったが、踏まれるという行為一つとってみても素足で踏まれるのがいいのか、靴を履いたまま踏まれるのがいいのかなどその世界は奥深く俺は唸ってしまった。


 さらには靴を履いた女性ですらなく、靴そのものに対してフェティシズムを感じる、もはやSMの域を超えた深淵な世界もあるらしく、俺は思わず震えてしまった。


 本を戻す。


 日下部は不気味な奴だった。

 同じクラスにいながら殆ど話したことがない。

 おまけにこの本だ。

 かなり危ない奴に違いない。

 由加を近付けなようにしないと。


 いい加減大丈夫だろうと俺も下駄箱に向かう。

 下駄箱に着くとやっぱり気になって『山石』のネームプレートに自然と目がいってしまった。

 外ではしとしとと雨が降っていて辺りには誰もいなかった。


 静かだ。


 誰もいないのだから自然体を装う必要もなかった。

 それでも俺は自然体を装いながら自分の靴を取り出そうと――

「優君」


 この時ほど心臓が跳ねたことはないだろう。


 由加がいた。


 俺に冷静の二文字はなかった。

 既にみっともなく声を上げて驚いた後、「お、お、お、どうした?」なんて言葉をやっとのことで絞り出した。


「どうしてそんなに驚いているの?」

 いつもより幾らか落ち着いた声で由加が言う。


 俺は何だか怖くなった。


「い、いや……、お前が突然現れたから」

 唾を飲む。


 由加はじっと目を見つめたまま

「隠れていたの」

 と言って俺の様子をうかがっている。


「そ、そう、隠れていたのか。見つからない訳だ。か、帰らないのか?」


 俺は気が気がじゃなかった。

 ラブレターのことがばれているんじゃないか?

 その考えで頭が一杯だった。


 でも、ばれるはずがない。

 少なくとも確信は持てないはずだ。


「それがさ――」

「お、おう何だ?」


 緊張で気絶してしまいそうだった。


「靴がないの」

「えっ?」


 緊張が驚きに変わる。


「どういうことだ?」

「どうって……、そのままの意味だよ。帰ろうとしたら靴がなかったの」

 由加は表情を暗くした。


「靴って……」


 ラブレターの話ではなく靴?

 思いがけない事態に混乱しながらも俺は考えた。


 6時間目の始まりまでは由加の靴は下駄箱にあった。

 それは俺自身が確認している。

 6時間目が終わって由加が帰ろうとした時には靴がなかった。


 ということは6時間目の間に由加の靴が盗まれたってことだ。

 えっ?

 その場合、ラブレターは?


 由加の方を見る。

「他に変わったことはなかったか?」

「変わったこと? うーん、ないかな?」


 あぁ……、と俺は落胆する。

 ラブレターを由加が見ていたとすれば靴を盗んだ犯人と何か関係があるかもしれないって考えるはずだ。

 それがないってことは靴を盗んだ犯人は俺のラブレターまで盗んだってことになる。

 とんだ恋泥棒だ。


 そこでふと嫌なことを思い出す。

 日下部の机にあった本だ。

 世の中には靴そのものに対してフェティシズムを感じる奴がいて、そしてそれが日下部だったら?

 由加に対する恋心から靴を盗み、ライバルになりうる相手のラブレターを捨ててしまう。

 十分ありえる話だ

 そういえば、あいつ、6時間目の途中でトイレ行っていたじゃないか!


「日下部の野郎!」

「えっ? 日下部君?」

「日下部の奴が犯人だ!」

「どうして日下部君が犯人って分かるの?」

「あいつ授業を抜け出しただろ? そのとき靴を盗んだんだ」


 由加は頷いた。


「私も覚えているよ。6時間目にトイレに行くっていて授業を抜け出したよね? でもそれだけじゃ、犯人とは限らないよ。今日は雨が降っていたから私、一度も外に出てないんだよね。だから、登校してから下校するまで、いつ盗まれたか分からないの」


 いや、6時間目まではあったんだ!

 そう言いたかった。

 その情報があれば由加だって間違いなく日下部を疑うはずだ。


 でもそれを言うことができない俺は

「いや、日下部が犯人だって! 俺には分かるんだ、信じてくれ!」

 と感情に訴えかけることしかできなかった。


 しかし、「日下部君はそんなことする人じゃないよ」と由加は首を振る。


「どうしてお前にそんなこと分かるんだよ?」

「だって、日下部君、私の相談に乗ってくれたし」

 少し照れくさそうに由加はそう言った。


 目眩がした。

 日下部が由加に近づいていたことも、由加が俺でなく日下部を相談相手に選んだことも、由加の照れた様子も、何もかもがショックだった。


 俺は由加を諦めると決めていた。

 そのためにラブレターを書いたんだ。

 日下部がまともな男だったら身を引いていただろう。

 でも日下部だけは許せなかった。

 あいつが由加の靴を使って俺の想像を超えた何か如何わしいことをしていると思うともう我慢ならなかった。


「6時間目が始まるまでお前の靴はこの下駄箱にあった」

 俺は言ってやった。


「どうして知っているの?」と由加は言う。

 

 それは当然の疑問だった。

 しかし、「理由は言えない」と俺は答えるしかなかった。

 当然、由加は首を傾げる。


「でも本当なんだ! こんなこと言えば、お前は……、俺が靴を盗んだと思うかもしれないけれどそれだけは絶対に違う。俺は犯人じゃない」

 と俺は心から訴えた。


「確かに優君は6時間目の授業に遅れてきたよね。普段、遅れないのに変だなぁと思った。それでも優君が私の靴を盗んだ犯人だと疑う訳がないよ」


 途端に俺は嬉しい気持ちになった。

 由加は俺を信じてくれているのだ。


「でもラブレターを入れた犯人かもしれないって思っちゃダメかな?」


 由加の手には俺が入れたラブレターが握られていた。


 一瞬で血の気が引いた。


「優君は私の下駄箱を開けたんだよね? どうして?」

 絶句している俺へ由加は追撃してくる。

「普通、他の人の下駄箱を開けないよね? ラブレターでも入れない限り」

「ラブレター、盗まれたんじゃ……」

「そんなこと言ってないよ」


 もはや言い逃れはできない状態だった。

「――俺が犯人だ」

 消し去るはずだった俺の想いは最悪の形で全て明るみになった。


「でも靴を盗んだのは俺じゃない! 日下部なんだ!」

 それでも日下部と由加が上手くいくことだけは阻止したかった。


「それはもういいよ」

「もういいって……」

 日下部のことを信じるってことか?


「名前さえ書いてくれれば、こんな回りくどいことしなかったよ」

 ぽつりと由加はそう言って

「一緒に帰ろう」と下駄箱から靴を取り出した。

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未然探偵レイ 山田 @user_ice

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