祭典
日差しが厳しく冷気を求めて地元の図書館のロビーに立ち寄った日のことでした。
そこには若本さんがいらっしゃて熱心に本を読んでおりました。
私は特に声を掛けることもせず少し離れた席に座り窓から中庭を意味もなく眺めておりました。
鉢に植えられた朝顔がとても綺麗です。
小学生の頃、授業で朝顔を育てたことを思い出します。
私の朝顔だけ双葉が開くのがみんなより遅く、毎朝、学校に着くなり今日こそ開いていますようにと朝顔を見に行っておりました。
しばらくすると若本さんが私に気付いて声を掛けてきます。
今日も暑いですねといった社交辞令が終わると沈黙が生まれます。
私は会話は得意な方ではありませんし、男の人も得意な方ではありません。
しかし、社会で円滑に生きていくためにはそういった部分を改善していなかいといけません。
私は会話のきっかけを探すべく、ちらりちらりと若本さんを観察しました。
本を手にしていることに気付きます。
先程まで熱心に読んでいた本ですから会話のきっかけには丁度良いでしょう。
「何を読まれていたのですか?」と私は尋ねます。
「あぁ……、ちょっとドッペルゲンガーについて調べていてね」
「えっ?」
小説か大学の課題の調べものかと想像しておりましたので、その回答は意外でした。
私の反応にすぐさま若本さんは説明を加えて下さいます。
「いや、僕もこういったオカルトは信じない方がなのだけど、どうも妹の、その……、ドッペルガンガーに会ってね」
「はぁ」と私は気の抜けた相槌を打った後、これではいけないと「よく似た別人ではないのですか?」と言葉を付け加えます。
「それにしては似すぎている。本人だと思うんだが……」
「違ったのですか?」
「うーん、僕の実家は名古屋なのだけど、うちの大学のオープンキャンパスに妹が来ていてね、こちらにいることはいるんだ」
そうであれば、ますます本人である可能性は高まります。
私は小さく頷いて若本さんの説明を待ちます。
「妹はオープンキャンパスの翌日、僕にこちらの観光案内をして欲しかったみたいだけど、あいにく、その日は演劇部の活動があって断ったんだ。それで妹は
「声は掛けなかったのですか?」
「演劇部の仲間といたし、少し距離もあったから声は掛けなかったのだけど……、その日の夜、妹と夕食を食べた時、駅で見かけたと伝えるとそれは自分ではないと否定されてね」
「それではやはりよく似た他人なのではないでしょうか?」
私の問に若本さんはうーんと首を傾げて
「身内自慢になるようで言いづらいのだけど、兄として贔屓目にみても妹はとても美人なんだ。正直、妹ほどの美人が他にいるとは思えない」
と仰います。
若本さんの発言に少し驚きましたが、それは顔に出さずに済みました。
しかし、若本さんにそこまで言わせる妹さんには一目お目にかかってみたいのものです。
「そうだとすると妹さんが嘘を付いているのではないでしょうか?」
「それがその日は一日中、レイと別の場所にいたと言うんだ」
「日下部さんですか?」
「あぁ、どうも妹はレイのことを慕っているらしくてね」
「まぁ、そうなのですね」
そこで、あぁ、と若本さんは頭を抱えます。
「どうされましたか?」
「妹はレイに会ってから様子がおかしいんだ」
「どのようにですか?」
とても言いづらいのだけどと
会ったその日に
「恋は盲目といいますから」
私は何とか当たり障りのない言葉を絞り出します。
「そうかな? 女の子ってそういうことするものなのかな?」
「どうでしょう。十人十色といいますから……」
そんなことする女性に会ったことありません。
「レイとその日、何をしていたか尋ねても言いたくありませんの一点張りでね。早朝一緒にいて言いたくないことって……、遠野さんはどう思う?」
「さあ……? ところで日下部さんには確認されたのですか?」
私は会話を強引に切り替えます。
「あぁ、レイにも確認したが妹とは確かに会っていたらしい。何だかショックだったよ」
「それでドッペルゲンガーですか?」
「あぁ、そうなんだ」
私は若本さんの思考を疑問に思います。
「二人が嘘を付いているとは思わないのですか?」
少なくともドッペルゲンガーよりは現実的です。
しかし「二人が嘘を付くはずないよ」と若本さんは笑います。「特にレイは意味のない嘘は付かない」
『それは意味のある嘘なら付くということですよね?』という言葉を私は飲み込ます。
きっとこれは暴かなくていい嘘なのでしょう。
若本さんは日下部さんのことをとても信頼していて私にもそんな友人ができればと羨ましくなりました。
「ちなみに妹さんのドッペルゲンガーはどちらの駅にいらしたのですか?」
「ゆりかもめの有明駅だね。夏休みのせいか随分と人が多かったなぁ」
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