80th Chart:頭上の影
「
舵輪が回され数十秒直進を続けた後、『キング・エドワード』の艦首が左へと振られ始める。時を同じくして、やや距離を空けた第22戦艦戦隊の『サー・ボールス』や『サー・ベディヴィエール』も白波を泡立たせ艦首を左へと振り始める。
「『クイーン・メリー』取り舵!」
「『ドミニオン』、『ヴァーチュース』取り舵!」
「第12戦艦隊、各艦回頭中!」
『キング・エドワード』の後方でも、後続する第1戦艦戦隊の面々がそれぞれほぼ同時に取り舵をきり始めた。空から見れば、25の白い半円が蒼い海に浮かびつつあるだろう。王立海軍の名に恥じない、完璧な一斉回頭だったが、ここでまっすぐ突っ込んでくるだけだった敵艦隊にも変化が現れる。
「『ナーガ3』面舵!続いて『サーペント4』面舵!」
「陛下!敵は我が方と同航戦に移る模様です!」
「フン、よほど腕に自信があると見える。構わん!奴らがその気なら正面から叩きのめすまでだ!回頭終了次第、砲撃を再開!蹴散らせ!」
グレゴリーの血走った眼が、艦の回頭により左から正面へ、正面から右へと移りつつある敵艦隊を睨みつける。29隻に減じた敵戦艦隊は、反撃の砲煙と損傷の黒煙を噴き上げつつも歩みを止めない。
「やらせはせん」
ぼそり、と真一文字に引き結んだはずの口から独語が漏れる。
本国艦隊司令部は自身をこの戦に巻き込むことを良しとせず、ほとんど無断で第1戦艦戦隊指揮官であるはずの自分を戦列から外した。
彼らの言い分は理解できる面もある。
即位間もない玉体に何かが有れば、自身の首が社会的にも物理的にも危うくなる。その上、社会に与える混乱や影響は計り知れないものとなるだろう。
――しかし、しかしだ。海神の大群に怯え、国軍の陰に隠れつつ彼らを死地に送り出すだけなど、浮浪者にもできる。それでは駄目だ。王族は国難の時にこそ、
かつて、自らが指揮を執って敵海神を撃滅するという快挙を打ち立てた守護王エドワード。その名を与えられた艦を旗艦に選んでおきながら後方に下がるなど、王族としての矜持が許さなかった。
「貴様ら化物に、本国を、【グレーター・ロンドン】をやらせはせんぞ」
静かな、それでいて煮えたぎるような決意を露にしたグレゴリーの目は、敵艦隊上空へと移った観測騎群へ接近する、ゴマ粒の姿を映すことはなかった。
熾烈な海戦が続く海を無数の
それらは全てブリスタル・ペガシスと呼ばれる、頭の一角が特徴的な大型飛竜を元に開発された航空騎であった。
背部に備えた2対の巨大な翼が風を一杯に孕み、高度2000m付近で旋回を繰り返す。滑らかな騎体表面には装甲板となる様な強固な甲殻は有していないが、その分軽く機動性が高い。しかし、大柄な体の為高速を発揮するのは大の苦手としており、最高速力は時速220㎞を僅かに超える程度だ。
モルガン社製、艦上雷撃騎ソードフィッシュ。王立海軍航空隊の主力艦載騎を務める飛竜はこの日、空からの観察者として蒼空に浮かんでいた。
「おっと、敵さん。逐次回頭。そんでもって、単縦陣へ陣形変更か。見事なもんだな。ジム、味方に打電。【敵艦隊ハ単縦陣ヘ陣形ヲ変更シツツアリ、新針路3-1-5】だ」
「イエス、サー」
「パッキー、どうだ?遊覧飛行だからって寝てないか?」
伝声管から聞こえて来た揶揄うような声に「寝てませんよ、機長殿」と苦笑を噛み殺しながら返答する。眼下の熾烈な砲撃戦と異なり、空の上は平和そのものだったが目は冴えている。
乗艦である『テリブル』から、いつものように曲芸じみた発艦で出発してからどれほど時が立っただろうか。敵の上空に張り付きながら、担当する艦の弾着位置を報告する任務は、単調ではあるが集中力が切れることは無い。2000m直下の海面を騒がせる無数の艦が、海面を泡立てながら疾駆し砲煙と水柱に塗れていく様は、圧巻の一言だ。
一列に並んだ戦艦隊が、2列縦隊で突撃する敵戦艦隊に対して針路を塞ぐようにT字を描いている。損害の程度は同程度か、ややこちらが不利だが巻き返しは十分可能だ。今は敵艦隊が進行方向から右へ45度変針し、一斉回頭した結果、先頭になる臨時戦艦戦隊へ接近しつつある。2つの艦隊は、Λの様な形を描きつつある。
そこから北の海面に目をやれば、快速の遊撃隊が敵主力の護衛を務めている快速部隊の突撃を、同じく東進しながらT字を描いて迎撃している。敵は我が方の『インフレキシブル』を始めとする巡洋戦艦の巨砲にさらされ、ヤスリ掛けをされるかのように徐々に脱落艦を増やし続けていた。また1隻、駆逐艦級の海神が小口径砲弾の猛射を浴び、崩れ落ちる様に停止する。なぜかあの艦だけ、他に比べ妙に弾着が多い様な気がした。
自分たち、
101NASの3番騎を務めるソードフィッシュも、味方の援護をすべく敵の上空にまで踏み込み観測に当たっている。
機長兼操縦手、フレドリック・ブライアン中尉。電信手兼雷撃主、ジェームズ・ダヴェンポート曹長。そして、後部機銃手兼偵察手、パトリック・ベケット1等水兵。
パトリックが『テリブル』に配属されてから変わっていないメンバーであり、非番の日には3人で街に繰り出すほど仲がいい。
「なあパッキー。風の噂によると、お前さん、帰ったら告白するんだって?」
「んなっ?!ど、何処で聞いてきたんですか中尉!」
目を皿の様にして、目標艦の『ナーガ4』の姿を追っていたパトリックの耳に、とんでもない暴露話が持ち掛けられる。思わず首をひねって前を見れば、一列に並んだ操縦席と電信員席から2対の瞳と飛行眼鏡のレンズを通して目が合う。
「俺が教えた」
「曹長!?」
予想外の裏切りに、素っ頓狂な声が上がり、伝声管から爆笑する中尉の声が聞こえて来た。吹き曝しのコクピットに吹き込む暴風の中に、微かに乗騎の笑い声すらもまじっているように感じられた。
「で、誰だ?PXのサラか?それとも、向かいのテラスのカタリナか?」
「言いませんよ!てか、作戦中なんですけど!?」
「まあそう堅いこと言うなよ。どっちも回頭中で、砲火は止んでる。束の間のハーフタイムじゃないか」
中尉の言う通り、先ほどまでこの高さまで響いていた砲声はピタリとやんでいた。
いくら距離が近くとも、互いに回答している最中は未来位置の予測が難しい。また、旋回中は遠心力で艦体が傾くため、敵の未来位置を正確につかんだとしても、砲弾は明後日の方向へとすっ飛んでいくことになる。
敵も味方も、無駄弾を打たないという判断が出来る程度には混乱していないらしい。
まあ、そのおかげでこうして極秘にしていようとした大作戦を暴露される事態になったのだが。
「……お二方とも知らない人ですよ。地元の幼馴染ですからね」
「へぇ、そりゃいい。可愛いのか?」
「ご想像にお任せします」と大げさに肩を竦めるが、無意識のうちに片手は胸のポケットへと延びていた。中の手帳に挟まれた写真に写った少女、観艦式に自分が参加すると聞いて別の方舟からわざわざ足を運んでくれたのに海神の襲撃とは、運命と言うのは酷く意地が悪い。――――彼女は避難できただろうか?
「まあ無事に帰ったら、文字通り凱旋だ。英雄の一人として、幼馴染に
「その時は、一杯奢ってくださいよ」
「いいだろう。ところで指輪は買ってあるのか?」
「安月給の兵卒に何言ってんすか。花ですよ、花。知り合いに頼んで、基地に届けてもらう予定で」
「ッ!正面!
フレドリックとパトリックの意識が戦場からそれた瞬間を見計らうかのように、ソレは真正面からやってきた。
唯一、異変に気が付いたジェームズの警告が操縦桿を握るフレドリックに届くより先に、ソードフィッシュに激震が走り視界がブレる。緊急着陸した時にも感じたことの無い振動が全身をシェイクし、後部機銃として搭載されていた7,7㎜機銃の銃把に強かに額を打ち付ける。
額に走る激痛と、飛行帽の下に広がる温かさを感じつつ。何事かと前を向いたパトリックは、前方から吹き込む深紅の飛沫と、目の前に広がった残酷な現実に言葉を失った。
自分と同じように、呆然と正面を見つめるジェームズの後頭部の向こう。騎首に陣取る1頭の蟲が居た。
すらりとした胴から突き出した鉤爪突きの6本の足は、騎体の頭部から操縦手席に至る範囲を抱え込むようにガッシリと保持している。棒状の腹部に対して一段高く盛り上がった胸部からは、向こう側が透けて見えるほど透明な2対の薄い主翼が伸び、時速180㎞の暴風の中でも小動もしていない。
そして、頭部には大粒のエメラルドを思わせる構造体が半球状に並び巨大な複眼を為しており、その直下には――――つい先ほどまで軽口を叩いていたフレドリックの頭を噛み潰し、もちゃもちゃと咀嚼を繰り返す異形の口があった。
「――――――っ!」
ビクビクと痙攣を繰り返し、赤い飛沫をまき散らす変わり果てた機長の姿に、どちらからともなく声なき悲鳴が上がる。巨大なギンヤンマに似た
騎体は力なく緩降下へと移りだしているが、それを気に留める者は誰もいない。もはや、乗騎が既に事切れていることに気づく余裕など欠片もなかった。
「クソッ!脱出だ!逃げるぞパっきひゅ!?」
いち早く頭を切り替えることに成功したジェームズが、シートベルトを外して脱出に掛かろうとする。
が、彼が電信員席から伸びあがった瞬間。フレドリックの返り血をたっぷり浴びた大顎が、ジェームズの分厚い胸板に食いつきロールケーキよりも容易く噛み潰した。
押しつぶされた肺から抜けた空気が、奇妙な音を喉から鳴らした直後には、隊内随一の早打ちの名手だった男の腕はだらんと力なく垂れ下がり、風にあおられている。
2人分の血の雨を浴びたパトリックに、もはや正気は残っていなかった。
「あ、うあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」
絶叫と共に、後部旋回機銃のトリガーを遮二無二引き絞る。途端、金切り声と共に銃口から無数の徹甲曳光焼夷弾が吐き出され、光の鞭のようにしなりながら機首側へと振るわれた。
しかし、後部旋回機銃の射角は操縦手席の真上に陣取った化物を捉えるほど広くはない。銃口から迸る火箭は、空しく右斜め上方の空へとバラまかれていく。両手の中で暴れる機銃を押さえつけながら、力の限り銃口を”敵”へと向けようとするが銃弾は空を切り続ける。
やがて、真っ赤に赤熱した銃身は装填されていたドラムマガジン内の弾薬を打ち尽くし沈黙する。弾切れとなった機関銃に新しい弾薬を補充するという、最低限の教育すらも血飛沫の彼方に持ち去られたパトリックは、狂ったようにトリガーを何度も握りこんだ。
返り血を浴びて静かにヒトを観察しているような蟲と、喉が潰れんばかりに叫び狂乱しながら、弾切れとなった銃のトリガーを引き続けるヒト。
異様な光景は長くは続かなかった。巨大な蟲は薄い主翼を微かに動かしたかと思うと、肉片やコクピットの残骸を巻き上げて跳躍する。1mほど飛び上がった蟲は、「用は済んだ」とばかりに2対の翅を震わせ、耳障りな音を立てながらパトリックの頭上を飛びぬけ後方の空へ駆け上がっていった。
釣られて蟲を視線で追いかけた生存者の目に映ったのは、最悪を通り越した光景だった。
空を舞うソードフィッシュと蟲がすれ違ったかと思うと、ソードフィッシュの2対の主翼の内片側の翼が根元から切り取られ、血飛沫と共に錐揉みしながら墜落していく。
また別のソードフィッシュはすれ違いざまに頭部を切り落とされ、血の煙を吹く赤い流星となって海面へと真っ逆さまに落ちていく。
少し遠くでは、3頭ばかりの蟲に追い掛け回されたソードフィッシュが真上から急降下してきた別の1頭に胴体を切断されて、赤い飛沫と共に空中分解を起こす。
空から海へと落ちていく影は、その全てが見覚えのある四翼の龍で。空を舞い続けるのは巨大なトンボとしか形容できない化物の群れ。例外は、一切なかった。
――敵は、制空戦闘騎を保持している可能性があります。弾着観測も大事ですが、空の監視も怠らぬように。
今更になって、扇子がトレードマークの航空参謀の言葉がよぎる。あの男は、この事態を予測していたとでもいうのだろうか。敵が制空戦闘騎を繰り出し、弾着観測の妨害に当たるという海神の作戦を。あの
硬直しそうになる意識の中、辛うじて残った理性が鳴らす警鐘に漸く気が付く。いったい、自分は何をそんなに慌てているのかと考えを巡らそうとした瞬間、風にあおられた騎体がぐるんと右へ回転し、青い空が左へすっ飛んだ。
「あ」
それが、手の届きそうなほど近くに砕ける波濤を見た、青年の最期の声だった。
2トン半の騎体が噴き上げた水柱は、主砲の弾着よりも儚く消え失せ。泡立った海面と海油の膜だけがそこに残った。
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